次元暦 895.108。TERA-001。 「窮地に陥ったお姫様を救った王子様かぁ」 そこでマナイユは、アミアを横目で見ると、にんまりと笑った。 「そりゃ、アミアじゃなくても、fall in love なシチュエーションね」 「そ、そっかな。あはは……」 「うふふふ。でも、なんで今までアプローチしなかったの?」 「そ、それは……」 「戦闘の合間にだって、暇を見つけては学校に行ってたわよね」 「ま、まあ……ね……」 「彼に会うために行ってたんでしょ?」 「ち!……違うわよ! い、一応は真面目な学生のふりをしてないと……」 「嘘おっしゃい。ここへ来たばかりの時は、よくサボッてたそうじゃない」 「だ! 誰がそんなこと!……」 「ハノイユ」 「う…………」 「で? あれだけせっせと通ってたのに、ちいっとも進展しなかったのが、どうしてまた今頃になってデートなの?」 「あの……」 「ふんふん」 「その……」 実のところ、全ては立木のおかげであった。つまり、公園で立木と鷹神に会った時… 「お詫び?」 「う、うん。ブレザーをそんなにしちゃったし」 確かに、皺くちゃである。が、まあ綻びはちゃんと繕ってもらったし、別に気にすんなよ……そう立木が言いかけた時だった。 「気にするなよ、華野。そんなんでいちいちこいつにお詫びなんかしてたら、永遠にたかられるぜ」 あのなぁ! そんな言い方はないだろう! ったく、今日はえらく絡むな、こいつ。 「で、でも。私が悪いんだし」 「いいのいいの。お礼なんていって、どうせデートしてくれ、なんて言うだろうしな」 「で、でぇと?」 「そ。で、一度デートしたら、送ってくよ……なんて言いながらしっかり住所をチェックして、毎日のように家へ押し掛けて」 おいおい。いつ俺がそんなことをしたよ。 「女の子が根負けして家に上げるまでそれが続く」 「え……」 「で、家に上げたらそれをいいことに部屋まで乗り込んで」 「ま、まさか……」 「ふたりっきりになったところを……」 「…………」 アミアが立木をヘンな目で見つめる。 「鷹神……」 「んあ?」 「俺はお前の友達なのをこれほど後悔したことはないぞ」 「何で?」 「あのなぁ! その言い方だと、まるで強姦魔だろ! 大体!……」 待てよ。いつもなら絶対そんなことを言わない奴が、ここまで言うということは……まるで華野とかいうこの女に俺を近づけさせまいとするこの言いようは…… 「ほほう」 「な、なんだよ、立木」 「ほほほほほう」 そうか。そういうことか。ただ単なる憧れの君ではなかったわけだな。 「お、おい、立木」 「ほほほほほほほほほう」 「おい。気味悪いから、その薄笑いはやめろ」 「おい、華野とやら」 「はい?」 「お詫びにひとつ、俺の言うことを聞いてもらおうか」 「ひ!」 「おい、立木」 「鷹神は黙っとれ。元はこの女が言い出したことだ」 「だけどな……」 「おい、華野」 立木はアミアに向かって意地の悪そうな声で言い放った。 「お詫びにデートだ」 「いやぁぁぁぁ! ごめんなさい! 堪忍して! 私には好きな人が!……」 「え゛!?」 「ほう。だが、言い出したのはお前だ」 既にアミアの目には涙が浮かんでいる。おいおい。 「今度の日曜日、午前10時に、鷹神とデートしろ」 「お願い! それ以外はなんでもするから許して!……」 「だからぁ、鷹神とデートしろって言ってるんだ」 「お、お願い…………って……え?」 「耳が悪いのか、お前? 日曜10時に鷹神とデートだ!」 「…………鷹神…君と?」 「そう! 待ち合わせ場所とかは二人で相談しろ」 「なんで?」 「どうでもいいだろ! 嫌なのか!?」 言われてアミアはぶんぶんと頭を振った。立木はそれを見て満足そうに頷くと、鷹神に声をかけた。 「そういうことでだな……」 と言ったきり、彼は絶句する。 「鷹神……君?」 アミアも声をかけるが、返事がない。見れば、鷹神は真っ白に燃え尽きていて、既に終わってしまっていた。 「ど、どうしたの?」 立木は深くため息をつくと、アミアをじとっと見つめた。 「まあ……強いて言えば、お前のせいかな」 「ど! どうして!? 私、何も!……」 「好きな人がいるなんて口走るからだ」 「!!」 ぽんっとピンク色の湯気を立てて赤面した彼女は、慌てて鷹神に取りすがり、懸命に言い訳を始めた。 「た、鷹神君! 違うの! いえ、いることはいるけど! でもそうじゃなくて!……」 「世話の焼ける奴らだ……」 立木は再び深いため息をついて、そばにあったベンチに座り込んだ。 「あははははは! 何それ! 可愛い!」 「わ、笑わなくてもいいじゃない」 「ご、ごめん……くっくっく……でも、今時、中学生でもそんな妬き方しないわよ」 「た、鷹神君は、真面目なの!」 「くっくっく……はいはい……くっくく」 「もう!」 赤くなってそっぽを向くアミアとそれを見てさらにくっくと笑うマナイユ。平和な時間がゆったりと流れていく。 「ルナイユの次はハノイユ。で、その次はアミアか……いいわねぇ」 「そ、そういえば! ハノイユの相手って誰なの?」 「うふふ。もう懲りた?」 「え……と……そ、そんなことより、ハノイユよ、ハノイユ!」 わかりやすい子。またくすりと笑うと、マナイユはカップに口をつける。 「あれだけあからさまなのにわからない?」 「へ? あからさまって……」 「いつも一緒にいて、仲が良くて……」 「あ!……まさか……?」 その時。客間の扉が開いて、都合良くハノイユが顔を出した。やたー! ホントにもう、カモネギなんだから。とアミアは矛先を向けるべき生贄が絶妙のタイミングで現れたことを天に感謝した。 「何してんだ?」 「あ、ごめんなさい。起こしちゃった?」 「え、いや、そうじゃないけど」 「こっちいらっしゃいよ。どうせ眠れないんでしょ?」 「う、うん」 もじもじしながらソファに腰を下ろすハノイユ。アミアとマナイユは顔を見合わせると、にまっと笑った。 「な、何?」 「うふふふふ」 「な、何だよ、アミア?」 「いつからなの?」 「え?」 「ソルジャーと」 「…………」 おお! 照れてる照れてる! 先ほどまで自分が突っ込まれて照れまくってたことなどどっかに置いて、アミアはハノイユの様子をにまにましながら楽しんでいた。 「その……先月の……聖餐祭の時に……」 「それって、アレが終わってすぐじゃない」 「………………………………うん」 上目遣いにアミアとマナイユを見て、蚊の鳴くような声で返事を返す。 「真面目そうな顔して、ソルジャーもやるわねぇ」 「…………ううん……」 「ううん……て……どういうこと?」 「……………………」 「ハノ?…………」 「わ、私……………………」 ちょっとした沈黙が流れる。 「「え…………ええ〜〜〜〜〜〜〜っ!!」」 アミアとマナイユの声が綺麗にユニゾンした。さすがのマナイユもそればかりは予測してなかったようで、それ以上言葉が出てこない。が、アミアはここぞとばかりに言葉を畳みかける。 「ハノって…………意外と積極的なんだ…………」 「そ…………そ、かな……」 「う〜ん。そうかぁ。でもハノって結構、力もあるし」 「は?」 「で、どうだった、押し倒した感触?」 もう、喜色満面でハノイユをからかう。 「そ!……そんなこと!……言えるわけが…………」 「へ?」 アミアの予想では、ここでからかわれてることに気づいたハノイユが食ってかかってくるはずだった。その虚を突いて、あれこれ喋らせようという魂胆だったのだ。が。 「………………な、何でもない………………」 「ってことは………あの…………」 真っ赤になってまた俯いたハノイユから視線を逸らし、ぎぎぎっと首を回してマナイユと顔を合わせる。 「あは……あはははは………はは……は…」 「……………………」 またしても沈黙が流れる。 「あ、あの……皆にはまだ言わないでくれよな……」 二人はまだ固まったままだ。 「そのうち、話すけど!…………なんか、まだ恥ずかしくて…………」 それでもまだ固まってる。 「な…………た、頼むから……」 二人が全く返事をしないので、泣きそうな声で訴えるハノイユ。 「あの……マナ……アミア……」 突然、ダンッ!と音を立ててマナイユが立ち上がった。アミアとハノイユがびっくりして見つめる中、ズカズカと食器棚に近寄って、アミア秘蔵のブランデーを取り出すと再びソファに戻り、カップにその中身をドバドバと空け始めた。 「マナ?…………」 返事をせずに、一気にあおる。 「それ、高かったんだけど…………」 一応、アミアが抗議するが、聞いちゃいない。…………でもなんで未成年の部屋にそんなものがあるんだ? 「世はおしなべて春なのよねぇ」 「まあ、そうだけど…………?」 「そっか…………そうだったんだ……」 アミアとハノイユは、目をぱちくりさせてマナイユを見ている。マナイユは視線を窓の外に向けたまま、ふっと吐息を漏らした。 「あんなことがなければ…………きっと…………」 「マナイユ? どうしたの?」 アミアの問いが、まるで耳に入っていない様子である。手酌でブランデーを注いでは一息で飲み干している。 「ばか…………」 涙? だがアミアが再度問いを口にするより早くマナイユが振り返った。 「で、子供はいつなのっ?」 「マナ…………? ど……どうしだんだ……?」 恐る恐るハノイユが声をかけるが、豪快にブランデーをあおり続けるマナイユは、聞く耳を持たない。 「私だって……私だって……」 「マナイユ?」 ひょっとして…………酔ってる? と言いたかったようだが、 「あによぉ!」 「な、なんでもありません」 情けないぞアミア。 「で!? 一体いつっ!? 何人欲しいのっ!?」 「あの…………その…………」 急激な展開に、ハノイユはついていけない。 「よぉし! 今日は朝まで飲む!」 おまいはおやじか。 「で、でも。明日もなんか予定があるんでしょ?」 「もちろん! あんたたちも付き合うのよ!」 「き、聞いてない…………」 「マナ、でも……大丈夫か?」 「なにが?」 「なにがって…………」 「私の言うことがきけないっていうの〜!?」 「お、おつきあいさせて頂きます…………しくしく……」 「よろしい。じゃ、子供の予定から聞きましょうか。うふふふふ…………そうそう、その前に…………うふふふふ…………ソルジャーって……よかった?」 「マナイユぅぅぅ!…………」 以後、酔っぱらいと化してしまったマナイユに、二人は明け方近くまで尋問を受け続けることになるのだが、それにしても、 「一体、どうしちゃったの?」 「わ、わかんない。今までこんなことなかったし…………」 突然のマナイユの豹変ぶりにアミアとハノイユはとまどうばかりである。そんな二人に構わず、爆走を続けるマナイユ。どこかで誰かがため息をついたが…………取り敢えず世の中が平和なので、問題はなかった…………と思う。 誰かが頬を撫でている。指の動きが、柔らかくて、優しい。…………唯? この指には確かに覚えがある…………龍之介の脳裏に雛菊のように愛らしい笑顔が浮かぶ。だが、ゆっくりと目を開くと、ぼんやりと霞む目に映ったのは、涙で潤んだ瞳であった。 「お兄ちゃん…………」 声が震えてるぞ…………全く心配性だな………… 「良かった…………お兄ちゃん…………」 見る見るうちに唯の瞳が涙で溢れ、ひとつ、ふたつと煌めきが龍之介の頬にこぼれ落ちた。 「よか……った……」 それを聞いて、龍之介がふと微笑む。昔から唯は泣き虫だった………… 「おに……い……ちゃ……」 龍之介が肩を震わせる唯の頬に手を添えると、唯の両手がその手を愛おしげに包む。そして二人は、互いに顔を見つめ合い、微笑みあった。唯の微笑みは、涙で崩されがちであったけども。 「無事で良かった」 「で……でも……お兄ちゃん……怪我……して…………」 「唯が無事なら、そんなのどうでもいいさ」 「でも…………」 唯は泣きやもうとしない。龍之介はふぅとため息をつくと、体を起こした。 「だ、だめ…………」 慌てて唯がそれを止めようとするが、龍之介はにかっと笑うと、差し出された手をとり、強引に唯を抱き寄せた。 「お!……兄ちゃん…………」 「大丈夫、大丈夫。唯が手当してくれたんだろ? どこも痛くないし、おかしなところもないさ」 そう言って深く息を吸い込むと、唯を抱く手に力を込める。唯の体臭が龍之介の鼻をくすぐった。こんなに唯を近くに感じるのは何年ぶりかな………… 「どれだけ心配したと思ってるんだ。勝手に家を出たりして」 「ご、ごめんなさい…………でも……」 「一緒に帰ろう。いいな?」 「だめだよ…………唯がいると、お兄ちゃんやお母さんが……」 「駄目だ。唯が何と言おうと、一緒に帰るんだ」 唯の肩が少し震えた。 「お兄ちゃん…………見てた…………でしょ…………?」 「ああ」 「あれは…………唯たちがやったんだよ…………」 「だから?」 「…………一緒にいたら……きっと…………」 「だから?」 「危ないよ…………そんなの……」 「だから何なんだ? 何度も言わせるな。唯は俺と一緒に帰るんだ」 「だめだよ…………だめだよ!…………」 龍之介の腕の中で首を振り、懸命に龍之介の言葉を拒もうとする唯。だが、龍之介は そんな唯の髪を撫でながら、断固として言い切った。 「唯が嫌でも絶対に離さないからな。一緒に帰るんだ」 龍之介がこう言い切ったら、てこでも意見を変えないことを唯は知っていた。それでも言わずにはいられない。いや、本当は唯の心も激しく揺れていた。一緒にいて………唯を離さないで!…………そう叫びたかった。でも唯が一緒にいたら、きっと…………きっとお兄ちゃんは………… 「お兄ちゃん…………お願い…………」 だから、掠れる声で囁くようにそう言うのが精一杯だった。龍之介はそれを聞くと髪を撫でていた手を唯のあごにかけ、そっと顔を上げさせると優しい声で一言一言を確かめるように話し始めた。 「昨日、唯がいなくなってから考えたんだ」 「…………」 「俺は何もわかってなかったんだってな」 「…………」 「どんなに唯が俺には必要か、わかってなかったんだってな」 「お兄ちゃん…………」 「唯は妹なんだ……血が繋がってなくても、妹みたいなもんなんだって……」 「う…………」 「そう思ってた……いや、思いこもうとしてただけなんだって」 「そ…………」 「うまく言えないけど」 「…………」 「本当にただの妹ならこんな風な不安の感じ方をしたりしないんだ……ってね」 「う…………そ…………」 唯の目が期待を込めて見開かれる。 「ひどく……胸がつぶれそうな…………自分が自分でないような……」 「お兄ちゃん…………」 「唯がいないことが、あんなに辛いことだとは思ってもみなかった」 「うそ…………」 指の震えが止まらない。心臓がこんなに………… 「散々邪険にしておいて勝手だけどさ」 「ちが…………う…………」 龍之介の指がそっと唯の涙を拭った。 「好きだ…………唯が好きだ…………」 「お兄ちゃん…………」 「どこにも行くな」 「お兄ちゃん…………!」 「どこにも行かないでくれ」 「お兄ちゃん!…………」 龍之介の微笑む顔が涙で歪んで見える。 「泣くほど…………いやか?」 唯は龍之介を見つめたまま、ゆっくりと、何度も、何度も首を振る。 「でも……お兄ちゃん……お兄ちゃん…………!」 「約束したよな」 「…………」 「守ってやるって…………唯は俺が守ってやるって」 それは唯が龍之介の家に来たときの約束。龍之介が唯をどんなに邪険に扱うような時でも、必ず守られてきた約束。 「でも!……でも!…………」 「約束……したよな?」 龍之介を見つめ続ける唯の瞳からぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。唯の唇から、本当に小さく……小さく嗚咽が漏れた。 「やっとわかったんだ…………」 「お兄ちゃん…………」 「好きだよ…………だからもう離さない」 「お兄ちゃん……ひっく……お兄ちゃん………お兄ちゃん!……」 ふいに龍之介の顔が唯に近づく…………唯に躊躇いはなかった。ゆっくりと目を閉じる。一瞬だけ、龍之介の熱い吐息を感じたが、すぐに、慈しみと愛おしさが込められた暖かさに唇が包まれる。 「!……………………」 わずかに体が震え、それから、徐々に、徐々に力が抜けていった。頭の中が真っ白に染まっていき、甘い、痺れるような疼きだけが残った。全身の感覚が消え、ただただ、龍之介の唇だけが感じられた………… しばし、時が止まる。 そして、わずかに唇が離れ、互いの吐息を感じる間があって…………今度は、互いに互いの唇を求めあった。 そして、 唯はもう自分の心を抑えることが不可能になったことを感じていた。 それは、喜びでもあり、また恐怖でもあった。 |