いずみは、淳に体を預け、ぐったりとしている。覚醒は終わったが、まだ目を覚まさない。淳は、綺麗に手入れされたいずみの髪をなでながら、彼女が目を覚ますのを待っていた。いずみの頬には、涙の跡がある。ルナイユを助けられなかったことへの後悔の涙と……そして…… 「君をこうやって抱くのは、2000年ぶりだな……」 ぽつりと淳が呟く。 「アーリマンが、まさかあんな手を使ってくるとは、思ってもいなかったから……」 いずみが微かにみじろぎをする。 「すまない……」 ゆっくりといずみが目を開ける。しばらく、淳の顔を呆けたように見つめる。 「あなた……なの?……」 「そうだ」 淳が、優しく囁く。いずみの目に涙がじんわりと浮かんでくる。 「思い出したわ……何もかも思い出したわ……」 「ごめんよ。辛いことばかりなのに」 「違う……」 いずみが大きく頭を振る。 「どうして忘れてたのかしら……こんな、大事な事……」 「2000年前の戦いで傷ついた君を再生するには、記憶も能力も全て封印して、アストラルボディを隠すしかなかった」 「あなたがしたの?……」 淳が、ゆっくりと頷く。いずみの目から涙が零れ落ちる。 「忘れたくなかった……」 「………」 「少しでもあなたの傍にいたかった……」 「………」 「私は今でもあなたのことを……」 「君は、ガーディアンだ……」 「わかってるわ。それはわかってる……」 「プリンセスを守護する事が、何よりも優先されなくてはならない」 「………でも、それでも……」 淳は、顔を上げると、遠くを見つめながら、いずみの言葉を遮るように言った。 「でないと、また、あの繰り返しになる」 「………」 「かろうじてアーリマンを封じたとは言え、あれはあってはならないことだった」 「そんな!……」 「それもこれも、みんな……」 「私のせいなの? 私が悪いの? 私があなたを……」 「そうじゃない」 いずみの涙を拭いながら、あくまで優しい口調で、淳は話し続ける。 「だけど、そのために判断が狂い、多くの命を巻き込む事になってしまった……君も覚えてるだろう……ヘリオスがどうやって被害が広がるのを防いだか……ルナイユが、その後、どうなったか」 「………ええ……」 淳の腕をつかむ、いずみの指が微かに震える。 「今度の戦いでは、絶対にあれを繰り返してはならないんだ」 「また……戦いなの?……」 「そうだ……だから君を覚醒させた」 「………」 彼女は、小柄ながらも、ガーディアンの中では、攻撃力が抜きんでていた。だから、彼女の目覚めは絶対に必要だったのだ。 「私はどうすればいいの……」 いずみが、次々と流れ落ちる涙を拭おうともせずに、呟く。 「それでも忘れられない……あなたを……あなたを愛してる……」 淳の胸に顔を埋めてくるいずみ。淳は、何も言わずにしたいようにさせる。 「あなたは………あれは……あれは嘘だったの?……」 「そんなことはない!」 いずみを抱く腕に力が入る。忘れるものか……忘れられるものか…… 「だけど、またあれを繰り返す事になっては……」 「嫌!……」 「ハノイユ……」 「愛してる……愛してる!……」 淳の胸に、どうしようもなく、愛おしさが込み上げてくる。悠久の時を経て、彼女と知り合い、それまで、意識した事もなかった『愛』を教えられた。だが、その結果が、あの悲劇だ……くそっ! わかっているのに!…… 「ハノイユ……」 淳の胸で鳴咽を上げるいずみの顎に指をかけると、淳は唇を重ねあわせた。悲劇は繰り返されるべきではない。だが……彼女を……どうしようもなく愛している…… いずみは、淳の背中に腕を回すと、くちづけを繰り返す合間に、掠れた声で、何度も 訴えた。 「もう、忘れさせないで……お願い……愛してるの……」 辺りに夕闇が迫ってきていた。 「で、何? 話って?」 「それが、その……」 リビングに通されたコズエは、出されたコーヒーに手も付けず、もじもじするばかりで、一向に話を切り出す気配がない。 「どうしたんだい? 何か話があるから、わざわざ家まで訪ねてきてくれたんだろ?」 「はい……」 やはり、センサーが反応している。これ以上はないっていうくらい、激しい反応だ。 「先輩は……」 「うん」 どうしよう? まさか面と向かって、『あなたがソルジャーですか?』と聞いたところで教えてくれるはずはないだろうし。 「こずえちゃん、さっきから変だよ。ひょっとして、デートの約束、後悔してる?」 「そ、そんなことじゃないんです」 「何か噂でも聞いたんだろ」 「え?」 「女と見たら見境なく手をだすだの、同級生の女と同棲してるだの、色々言う奴がいるからね」 「そうなんですか?」 「おいおい、止してくれよ。確かに問題児だなんて言われてるけど、そこまでひどいことを、やったりしないよ」 「そうですよね。ただの噂ですよね」 「?………それを確かめに来たのかい?」 「あ!……いえ……違います……」 「じゃあ、何?」 思い切って、言ってしまおうか? センサーはこんなに反応してるんだ。間違いのはずはない。 「あの………」 「うんうん」 「2000年前の、例の戦いのことなんですけど……」 「は?」 「あなたがアーリマンとおっしゃった、敵との戦いのことですが……」 「い、一体、何のことを言ってるの? こずえちゃん?」 「何のことって……」 龍之介は、本当に面食らっているようだ。 「2000年前って……あのね、日本は縄文時代だよ。なんで俺がそんな時代のことを知ってるんだ?」 「いえ、この世界の話ではなくて……」 「はあ?」 ますます当惑した顔。とぼけているわけではなさそうだ。一体、どういうこと? 「それに、アーリマンって何? どっかにそんな国あった?」 「《光》と《闇》の戦いの事を憶えてらっしゃらないんですか?」 「何それ?」 完全に呆気にとられた顔。そんな! センサーはずっと反応してるのに、全く記憶がないなんて! とぼけているようでもなさそうだし、どういうこと!? 「こずえちゃん……大丈夫?」 「………」 そう言えば聞いた事があるわ。戦いの起こるその時まで、『ソルジャー』は、自分の記憶や能力を封印してるって事。じゃあ、この人は、本当に何も知らない?…… 「こずえちゃん」 「は、はい」 「俺をからかいにきたのかい?」 少し怒った声。こずえは慌ててまくしたてた。 「ち、違います。ごめんなさい、変な事言って。今日はこずえ、どうかしてるんです。先輩が、デートに誘ったりしてくれたものだから、ちょっと舞い上がっちゃって……すみません! 忘れてください!」 「いや、あの……」 「ごめんなさい! 今日は失礼します!」 「こずえちゃん」 「あの、日曜にはちゃんと行きますから!」 「あ、ああ」 「じゃあ、こずえ、失礼します!」 ばたばたと帰り支度をして、コズエは玄関に向かった。もし、封印されてるんだとしたら、今は何を言っても無駄だわ。そんなことも忘れて、ペラペラとあんなことを喋るなんて! 「こずえちゃん、ちょっと……」 「それじゃあ、失礼します!」 靴を履いて、龍之介に頭を下げたコズエは、そのまま玄関を飛び出し、一目散に駆けていった。 「何なんだぁ? 一体?」 後に取り残された龍之介は、コズエの去った玄関に呆然と突っ立っていた。 もうすぐ日が暮れる……窓の外を見ながら、桜子はぼんやりしていた。あれから……淳が彼女に『おまじない』をかけてから、彼女は、急速に体力を取り戻しつつあった。あの時、確かに何かを思い出したのに……それはまた、遥かな記憶の彼方に飛び去ってしまった。でも、もうすぐ思い出せそうな気がする。私の中で、誰かがしきりにそう囁くのが、感じられる…… 「よお! 桜子ちゃん!」 慌てて入り口を振り向いた彼女の表情が、ぱっと明るくなる。 「REM君!」 「どや、調子は?」 「うん。なんだか、すごく元気なの!」 「そりゃ、良かっ………」 そこで彼は気が付いた。『覚醒』プロセスが、桜子ちゃんの中で動いている! それじゃあ、彼女は!…… 「どうしたの?」 「え? ああ、何でもあらへんよ。いや、顔色もええし、こりゃ、退院もすぐかな」 「ふふ。本当に元気なの。早く退院したい」 「じきやで。退院したら、わいがどっか、遊びに連れたったたるわ」 「ホント!?」 「ああ、男リチャードに二言はあらへん!」 「ふふふ。京子ちゃんは良いの?」 一瞬、ぎくっとするREM。桜子は、それに気が付いた。 「あの……ごめんなさい……悪い事言っちゃった?」 「い、いや! そんなことあらへんよ。京子ちゃんなら大丈夫!」 「ほんと?」 「ほんとも、本当! まっかせなさい!」 「ふふふ。楽しみにしてるわね!」 REMとお喋りを楽しむ桜子。そんな二人を、冷ややかに見つめる目があった。 「こんなところにいたとはな……」 八十八病院の上空に浮かび、二人の様子を透視している。 「くく……あいつの後をつけていれば、必ずわかると思っていたが……正解だったな」 少しずつ姿が消えていく。 「残りのガーディアンが揃えば、まとめて始末してくれる……」 コンコン。ドアがノックされる。 「はい。どうぞ」 「失礼します……」 入ってきたのは、友美と唯の二人だった。 「あの?……」 桜子が不審な顔をする。どこの人たちかしら? 「あなたが、杉本 桜子さん?」 「そうですけど……」 「私は、水野 友美。こっちが……」 「鳴沢 唯です」 「はじめまして……」 桜子がわけもわからないまま、挨拶する。REMには、二人がガーディアンであることが、すぐにわかった。あいつが寄越したのか。早めに引き合わせて、何かあった時の対応に役立てようってことだな。 「あの……失礼ですけど?……」 「あ、ごめんなさい。私たち、緒黒 淳さんの後輩なんですけど」 「緒黒さんの?」 「ええ。桜子さんのお話を聞いて、一度会いに行ってくれって頼まれたものですから」 桜子の顔に笑顔が戻る。緒黒さんが、友達のいない私に気を遣ってくれたんだ。 「ご、ごめんなさい。中へ入って」 「じゃあ、お邪魔します」 扉を閉めると、二人は中へ入った。REMもにこにこしている。これから、段々と賑やかになるな。友達の少ない桜子ちゃんには良いことだ。REMは黙って、3人が仲良く話をするのを聞いていた。 (奴はまだ現れていないのか……) 闇に気配を溶け込ませた、先程の人物が、新たな客をじっと見つめる。 (雑魚はどうでもいい……あいつが現れたら、まとめて始末してくれる……) 「でね、龍之介君ったらね、ほとんど裸の上に人体模型の絵を描いて現れたの」 「あはははは!」 「もう、先生なんか、卒倒せんばかりに驚いちゃって」 「でも、龍之介君は、知らん顔して、『ようこそ! 八十八学園へ!』なんて言うのよ」 「あはは!……おかしい!……」 桜子が、龍之介とも知り合いだという事がわかって、先程から、その話で盛り上がっている。 「こんにちは」 「あ、緒黒先輩」 「賑やかだね」 「こんにちは……あら! その方は?」 淳の後ろから、おずおずと姿を見せたのは、いずみだった。 「いずみちゃん!」 唯が、声を上げる。いずみは唯を見て、頷いて見せた。 (思い出したんだ……よかった……じゃあ、もう、先輩と……) 唯がにやにやと、悪戯っぽく笑ってるのに気づいたのだろう、いずみは頬を染めて、わざとらしく咳払いをすると、桜子に挨拶した。 「はじめまして。篠原 いずみっていうんだ。よろしくな」 「はじめまして。桜子です。篠原さんも、八十八学園?」 「うん。友美と唯とは友達だよ。あ、私の事は、いずみでいいからな」 「いずみ……ちゃん?」 「……ま、それでいいか」 うふふ。桜子が、鈴を転がすような笑い声を上げた。それにつられて、いずみも笑い声を上げる。 「それじゃあ、自己紹介がすんだところで……」 淳が言いかけで、言葉を切った。その顔に緊張が見える。すぐに他の4人もその理由に気づく。 「誰だ!?」 いずみが窓の外を睨み付けて怒鳴った。 『ふふふ。皆さん、お揃いね……』 闇の中から滲み出すように、少女が姿を現した。 「京子ちゃん!」 REMが叫ぶ。 「ありがとう。あなたのおかげで、手間がはぶけたわ」 馬鹿な! 彼女には、マーカーをつけてあったはずなのに! なぜここにいることがわからなかったんだ!? 「でも、あの変なマーカーは頂けなかったわね。あなたが帰った後、さっさと外させてもらったわ」 そんな! あれに気づくとは! 一体、何が!…… 「じゃ、皆さん、仲良く死んで頂戴ね」 事情のわからない桜子が、ベッドの上でガタガタと震えている。それを見て、京子が冷たく笑った。 「あはははは! 覚醒していなければ、こうも可愛らしいとはね!」 京子の手から、闇の剣が伸びる。 「待て! 何をする気だ!」 「ふふふ………やっぱり今度も、《光》の側につくのね。なら、容赦はしないわ」 「待て! 目を覚ますんだ!……」 「どいてくれ」 いずみが一歩前に出る。 「あら、ハノイユね。私に挑もうっていうの?」 「誰も傷つけさせないからな!」 そう言って、光を招きよせ、バトルスーツに変形させる。友美や唯のものとは異なって、シルエットがシャープだ。 「待ってくれ! ハノイユ!」 REMが叫ぶ。いずみは、それを聞き流すと、手の中に光の矢を形作り、弓を引き絞るような体勢をとる。一方、友美と唯は、桜子を隠すようにいずみと並んで立ち、バトルスーツを纏った。 「誰にも、誰にも手を出すな!」 「そうはいかないわ」 京子が闇の剣を構える。いずみも無意識のうちに身構えた。 「私の使命は、あなたたちをこの宇宙から、消し去ることですもの」 「じゃあ、ここで死んでもらう」 「待て! ハノイユ!」 「行くわよ!」 京子が音もなく、いずみたちの方へ向かってくる。 「待て! あれは!」 淳が叫ぶのと同時に、いずみの手から、サイコアローが飛んだ。 窓の外で、病棟を大きく揺るがせる、すさまじい爆発が起こった。 |