『未来へのプレゼント』
〜最大の悲劇と最高の出会い〜
(10years Prologue)
A-PART
構想・打鍵:Zeke
1985年 夏
「そんなに引っ張らないでよ、私が疲れちゃう。」
日に一度の散歩が大のお気に入りである愛犬は彼女が中学に入学したとき、両親に無理を言って飼ったものだった。 体型自体は中型犬だが、その力は散歩させていると言うより「散歩させられている」という形容の方が当てはまっているように見える。 八月も半ばに入っているが昼間はまだまだ残暑がきびしい。それでも夕方5時を過ぎるとやや涼しく感じる。特にこの川沿いの土手では。 昨日彼女、片桐 美鈴が所属する剣道部の最後の大会が終わった。後は高校受験に向けて残りの中学生活を送ることになる。少し寂しいが高校に入ったらまたがんばればいい。 そんな思いにふけっていた美鈴を現実に引き戻したのは自分に向かって吠えている愛犬だった。 「はいはい、ホント食い意地がはってるんだから。」 いつもこの場所でおやつをあげているので早くよこせとせがんでいるのだ。一通りの芸(と言っても「お手」、「お座り」程度だが)をさせてエサを与える。がっつく愛犬を横目に空を見上げると遠くの方で飛行機の飛ぶ音が聞こえてきた。別に珍しくは無い、この時間に散歩に出れば一機や二機は見かける。 だがその飛行機のシルエットが見えたとき、美鈴は何かが変だと感じた。 (何だろういつもと違う気がする。) ふと考え込むが、 「ああ、そうか。」 いつもなら東から西へ、若しくは西から東へと飛んでいる飛行機が、南から北に向かって飛んでいるからだ。 更にそのシルエットが近づくに連れ、その高度がかなり低いように思えた。と言っても色や、マークが分かるといった訳でもないのだが。 しばらく美鈴はそれを目で追っていたが、 「お盆で帰省客が増えて臨時便でも出したのかしら。」 ぐらいに考えて家路についた。勿論愛犬に引っ張られてだが・・・。 その上空を飛ぶ羽田発、大阪行き『B−747』の旅客室には霧が立ちこめていた。 先ほどの機内放送を信じるならば後部ドアの損傷で機内の与圧が効かなくなり、現在機の高度を下げて気圧の変化を少なくしているとのことだった。 だが最後部の窓際に座る 鳴沢 圭一朗 には高度を下げる理由がそれだけじゃない事がわかっていた。 彼の窓から見える2機のエンジンの内1機からはドス黒いオイルが漏れていたからだ。勿論それに気付いているのは鳴沢だけでは無かろう。 ただ、気付いてもいたずらに事実を公表しパニックを引き起こすようなことをする間抜けがいなかっただけだ。 「大丈夫かね?」 隣の席に座る老人もその一人だった様で、鳴沢に小声で訪ねてきた。 隣には小さな女の子が静かに寝息を立てている。 「ええ、」 鳴沢はたいした事でもないという表情で続けた。 「ジャンボというのは1基や2基エンジンが止まったからと言って、営業運行に支障は無いそうです。仮に今あのエンジンが止まってもまだ反対側に2機のエンジンがありますからね。」 老人は鳴沢の言葉を聞くと、ホッとしたように隣に座る女の子の頭を撫でた。 「お孫さんですか?」 「ああ、息子のでな。なんとかというテレビのコマーシャルに出ている。わしは反対だったのだがこの子自身も楽しんでいる様なのであまりきつく言えんのだ・・・。」 そう言う老人の顔は少し寂しそうに見えた。 そういえば何度かそのコマーシャルを見た事がある。なかなか可愛いとは思ったが我が娘程ではないと思えるのは親バカだろうか。 「君には子供がいるのかね?」 訊ねる老人に鳴沢は待ってましたとばかりに内ポケットから写真を取り出し老人に渡した。 「唯って言います。今年小学校三年だったかな。」 「ほう、7、8才という事じゃな。かわいい盛りじゃろう。」 「ええ。でもあと2、3年もすれば一緒に風呂なんか入ってくれなく・・・。」 なるでしょうね。という言葉は前に座る乗客の 「おい、あのエンジン変だぞ。」 という声に消された。 (やれやれ、大きな騒ぎにならなければいいけど) そう思った矢先だった。 「こっちもだ! オイルが漏れている。」 反対側からの座席の声にさすがの鳴沢も背筋が凍った。 片翼だけのエンジンの損傷なら何か別の事が考えられるが、両翼となるとオイル循環系統に何らかの損傷があったと見るべきだろう。つまり残りのエンジンもそう遅くない時期に止まってしまうという事だ。 機内は騒然としていた。パーサーやスチュワーデスが必死になって 「落ちついて下さい。席を立たないで下さい。」 などと言っているが、治まるはずもない。 不意に機体が横に滑り高度がガクンと落ちた。ベルトをしていなかった客や、身体を保持し損なったスチュワーデスがほんの一瞬宙に浮いた。そして悲鳴。 「4番エンジン停止。2番、3番出力上げます。」 機関士が無味乾燥な声で報告する。 航空機を飛ばす者、とりわけ操縦室に陣取る機長・副操縦士・機関士と言った人々はどんな状況にあっても冷静に対処するように訓練されている。例えそれが墜落寸前だとしてもだ。 「何が原因だと思う。」 暴れる操縦桿を力で押さえつけながら機長が他の二人に訊ねる。 「R5(リア5番)ドアの警告灯が点いてますからね。客室内の気圧低下は説明できます。」 「ただそのドアが何処に行ったかですね。機体から外れて循環系統に何らかの損傷を与えたというならエンジンの不調も説明がつきます。」 「更にそのドアが尾翼にも致命的な損害を与えた・・・か、とても考えられないな、そんな偶然は・・・スマンちょっと変わってくれ。」 「アイ・ハブ・コントロール」 副操縦士が目の前の操縦桿を握り宣言する。 「ユー・ハブ・コントロール」 副操縦士に操縦桿を預けると機長は機関士の席を覗き込んだ。 「どうです?」 ベテランの機関士に訪ねる。 「ご覧の通りだよ。」 機関士は計器が見やすいように身体を横にずらした。 油圧計の1番と4番の針は既に0になっていた。(だからエンジンを切ったのだが) 残る2番と3番の針も赤く塗られたゾーンに入りつつあった。 「どうすればいい?」 という言葉を機長はすんでの所で飲み込んだ。この操縦席いや、この機に乗っている全ての人にとって自分は全知全能の神でなけれならない。「どうすればいい?」と聞かれる事はあっても自分がその言葉を発してはならなかった。 だが今の彼に出来る事といったら・・・。 偏向気流に乗ったのか機体がわずかに振動する。 「き、機長!」 彼が振り向き「どうした。」と声を掛けようとした時、機体が横に滑りはじめた。 「アイ・ハブ!」 機長が操縦桿に取り付いたとき、機体がガクンと高度を落とした。懸命に姿勢を制御するが機体の落下は止まらない。操縦室に失速警報が鳴響く。 「機関士、パワーだ。」 だがその声はまだ冷静だった。 両翼の残ったエンジンが回転数を上げる(恐らく油温計も上がり、油圧計は下がっているだろう)。 機長はゆっくりと操縦桿を引き機体の引き起こしにかかる。 機体が水平に戻り始め、失速警報が鳴止んだ。機体の落下も止まってどうにかそれ以上高度の損失を防ぐ事が出来た。今の彼らにとってエンジン内の油圧より高度の維持の方が遥かに大事だった。 頭の上から救命胴衣やら酸素マスクがバラバラ降ってきたときは、一瞬もうダメかと思ったが、機体が水平に戻ったならば、まだ猶予があると言う事だ。 鳴沢は危険を承知で立ち上がり、出発ロビーで出会った人物が座っている辺りに目を向けた。 探すまでもなかった。向こうも立ち上がりこちらを見ていたのだ。 従姉妹の結婚式で大阪に向かうと言っていた、高校以来の友人であり、同僚であり、そして親友の妻である彼女は、鳴沢に何かを訴えるような目を向けていた。 それだけで彼は彼女が言わんとしている事がわかってしまった。彼もまた彼女と同じ事を訴えようとしていたからだった。 鳴沢がゆっくりと頷くと、彼女も微笑みながら頷いた、そして座席の向こうへ姿を消した。 「おじさん、立っていると危ないよ。」 先ほどまで眠っていた女の子が袖を引張っている。 「ああ、そうだね。」 笑いながら座席に腰をおろしベルトを締める。 「でも、おじさんは酷いな。これでも自分では若いつもりなんだから。せめておにーさんって呼んでくれないかな。」 バックの中からノートとペンを出しながら反論する。 「うそ、だってパパと同じくらいに見えるもの。」 「これ可憐、失礼ですよ。」 先ほどの老人が窘めると女の子は素直(?)に 「ゴメンね、おじさん」 と謝ってくれた。 苦笑しながらノートにペンを走らす。 鳴沢 美佐子 様 すまない、恐らく僕は駄目だろう。 その時は、お義父さんの許しを得て家に帰りなさい。 もし、唯を拒絶されたら涼子と哲也君に預けなさい。 涼子にもそう言っておく。 涼子は妹、哲也と言うのは涼子の夫の事だ。2人の間にまだ子供はいないので何とかしてくれるはずだった。 木原 哲也・涼子 様 兄である僕の最後の頼みだ。 多少強引でもいいから、美佐子を実家に帰してくれ。 恐らく娘は、唯は拒絶されるだろう。 その時は二人であいつが自立出来るまで見守ってやってくれ。 僕の最後の頼みだ。 鳴沢の母は6年前、父は3年前に他界していた。それでも二人とも孫の顔を見る事が出来たし、父は娘の花嫁姿まで見る事が出来た。 自分は孫はおろか娘の花嫁姿すら見る事が出来ない。それが妙に悲しかった。 今の2枚をノートから引きちぎり、四つ折りにして表に読ませる相手の名を、裏には自分の名を書き入れ、背広のポケットに仕舞う。 再びノートを開き 綾瀬 浩史 様 と彼の無二の親友である男の名前を書き込み、そして10分以上を費やして他の2通とは比べものにならない程多くの事を書き込んだ。 それを書き終えると残された時間はもう無い様だった。機体は絶えず振動しており、窓からは地表が見える。くるべき時が来たようだ。 隣の席にいる自分の娘と年齢的にたいして違わない女の子が、祖父の手を握り震えていた。それを見てこの娘を何とか助けたいと思った。 娘の幸せを見ずに旅立つ自分に出来る罪滅ぼしのように感じていた。 先ほど頭の上から降ってきた救命胴衣を拾い上げ胸の辺りに付いているヒモを引張る。 「バシュッ!」という音と共に救命胴衣が膨らむ。何とかクッションになりそうだった。 それを女の子とシートの間に詰込む。彼女の祖父もそれを見て自分の救命胴衣を同じ要領で反対側の隙間に詰込む。 海の上に落ちるならともかく、今の状況ではこれぐらいしか使い途がない。 最後の救命胴衣を彼女の頭の上からかぶせるといよいよ最期の時が来た。それと分かるくらい高度が落ちる。 鳴沢は可憐を護る様に覆いかぶさる。老人はそんな彼の心情を察したのか何も言わなかった。 自分の力ではどうにもならない運命 (だが生きる望みだけはすてまい。)四肢に力を込めて最期の瞬間を待つ。 「唯。」呟いた鳴沢に「お父さん。」と聞こえたのは幻聴なのか可憐の声なのかわからなかった。 前方から何かが迫ってくる。・・・そして烈しい衝撃。 「プルアップ・・プルアップ・・。」 電子の声が警告する。 「機首を上げて下さい!」 副操縦士の要求は、悲鳴に近かった。 「機関士!」 機長の声にも最早冷静さは無い。 「3番アウト。機長、諦めるな!」 ベテランで最年長でもある機関士の声だけが平静を保っていた。 「クソ、500人からの乗客が乗っているんだぞ、せめてあの尾根を越えられんか? 斜面に沿って胴着出来るかもしれん。」 それが不可能な事は操縦室にいた他の二人は勿論、言った本人も解りきっていた。 ただ言わずにはいられない状況がすぐそこまで迫っていた。もうその山が操縦席の窓いっぱいに広がっていた。 「機関士! もっとパワーをくれ、パワー! パワ――――――!」 機長のその絶叫が羽田発大阪行き『B−747』のボイスレコーダーに残された最後の言葉だった。 524人の乗員乗客のうち、生存者はわずか4名。日本航空史最悪の事故だった。 空港ロビーは、ごった返していた。ダイヤが大幅に乱れた為足止めをくった通常の乗客、被害者の家族、そしてその家族に何の遠慮もなくカメラやマイクを突きつける無礼な報道陣。 お盆の時期だったため空港ロビーはパンク寸前の様だった。 「美佐子くん。」 不意に傍らの親父が声を上げた。雑踏の中でもその声は当人に届いたようで「美佐子」と呼ばれたその女性はこちらを振り向き、ほんの一瞬顔をくもらせたがすぐにホッとしたような表情になりこちらに歩いてきた。 手には俺と同い年くらいの女の子をひいていた。 彼女の顔は憔悴しきっており何故ここにいるか一目で解った。 「綾瀬先輩、何でここに・・・。」 「それは俺のせりふ。誰なんだ? まさか!」 親父の顔色が瞬時に変わった。 「あ、あたしがチケット取ったんです。こんな事になるなんて。」 「君のせいじゃない! それにまだそうと決まった訳じゃない!」 子供の俺にしてもそれが単なる気休めでしかない事がわかった。 「先輩は。」 「ああ、女房がね。あ、こいつ俺の子。龍之介ごあいさつなさい。」 俺の事をこづくので 「こんばんは、綾瀬 龍之介です!」 とあいさつすると、彼女は俺に向かって 「こんにちは、鳴沢 美佐子よ。」 微笑み掛けてきた。 鳴沢、鳴沢のおじさん。月に一度は家にきて親父と一晩飲み明かし、俺を抱え上げては「俺も男の子が欲しかった。」と言う親父の無二の親友。 親父の顔色が変わるわけだ。 「この子はねぇ」 と自分の影にかくれていた女の子を俺の目の前に出し、 「唯、ごあいさつは」 と肩をたたく。女の子はおずおずといった風に 「鳴沢唯です。」 と言うと右手を差し出してきた。 クスン、クスン 遠くで子供の泣き声が聞こえる。 『唯、唯なのか?』 泣き声はまだ聞こえている。 『どこだ唯? お父さんだよ。どうして泣いているんだい。』 「クスンクスン、おじいちゃん起きてよ。」 『なんだ、違うのか。じゃあ誰が・・・。』 次第に意識がはっきりしてくる。 『そうか、飛行機が墜落して・・・。』 恐る恐る目を開けてみる。航空燃料だろうか異臭が鼻を突く。200M程前方に炎がチラチラ見えていた。 『生きて・・・いるのか、俺は?』 手足をゆっくりと動かして5体が無事なのを確認する。左足を動かそうとしたとき激痛が走る。だが折れている訳ではないようだ。 あとは頭が少しズキズキする程度だった。 「奇跡だな。」と呟いた声に 「だれ?」 と、先程の鳴き声の主がこちらを振り向く。 「やあ、可憐ちゃんだったっけ。」 「おじさん!」 「おにーさんだ。」 「わりとしつこいね。」 自分の他に生存者がいたことの安心感からか可憐はほんの一瞬微笑を見せたが、 「そんなことよりおじいちゃんが、起きてくれないの。」 そう言って可憐はまた泣き出しそうにる。 「えっ。」 鳴沢が腕を延ばし老人の首筋に手を当ててみる。脈は無かった。だが 「なんだ、寝てるだけじゃないか。」 嘘だった。 「ほんと?」 聞き返す可憐に対して、多少罪悪感はあったが、 「ほんとだよ、だいたい俺だって今まで寝てたんだから。」 断言する鳴沢の言葉に、可憐は心底安心した様に 「よかった。」と呟いた。 「そういえば可憐ちゃんてテレビに出てるんでしょ。」 なるべく意識を老人から離したい為、可憐が話し易い話題に振った。 「あ、おじさんも見てくれたんだ。ありがとう。」 「お礼を言われるほどのもんじゃないよ。やっぱり将来の夢は女優さんなの?」 「ううん、アイドルになりたいの。」 (この年頃の女の子というのはアイドルに憧れるもんなのだろうか? 唯も同じ事を言っていた様な気がする。綾瀬の奴は唯の歌を聴いて『この娘はまっとうな人生を歩ませた方がいいぞ。』と言っていたが。まあ、俺もそれには反対ではないが。) 「ふーん、どんなアイドルになりたいの?」 「えーとね、聖子ちゃんや、明菜ちゃんみたいな」 「へー、じゃ歌の勉強とかもしないとね。」 「平気よ、歌は大好きだもん。」 可憐は胸を張って答える。 「そうか。痛っ!」 ベルトを外し体勢を整えようとしたとき、左足に力が加わり思わず呻いてしまう。 そして思い出したかのように、 「可憐ちゃん、どこか痛いところとか無い?」 「平気、おじさんが庇ってくれたから。あの、ありがとうございました。」 「いや、お互い無事だったんだし、いいよお礼なんて。」 助かってみれば、自分があのような行動に出たのが恥ずかしくなってしまう。 自分の娘に年齢が近いからといって人はああいう行動がとれるものなんだろうか? 自問自答してみるが、答えはもちろん出ない。 「ねえ、唯っておじさんの恋人?」 そんなことを知ってか知らずか可憐が聞いてくる。 「あ、きこえてた?」 照れ隠しに笑いながら答えるが、可憐の追求は厳しい 「ねーねー、誰よー」 鳴沢の肩を揺する。こういう行動も唯に似ている。 「おにーさんの子供だよ。」 「子供? いるの? それなのにおにーさんって呼んでほしいの?」 「うっ。」 返す言葉もない。 「いくつなの?」 「えっと、30。」(筆者の年齢じゃないってば。) 「立派なおじさんじゃない(グサッ!)。そうじゃなくて、唯ちゃんの!」 「7歳。今年で8歳だよ。可憐ちゃんと同じくらいかな。」 「あたり、あたしはもう8歳になったけどね。」 そんなとりとめのない話をしていたが、1時間も経つ頃には可憐は寝息をたてていた。腕時計(奇跡的に動いていた)を見ると、10時をまわっている。 外は火災と月明かりのためか完全な闇というわけでもなかったが、救助活動が出来るほどの明るさがあるとは思えなかった。 「こりゃ、救出は早くても明日の未明だな。」 夜間のヘリによる飛行は極端に難易度が増す、それがホバリングを含み更に場所が山中となる救助活動など危険すぎて訓練すら行っていないはずだった。 救助活動にきて犠牲者が増えてしまったら笑い話じゃ済まないだろう。 「俺ももう少し眠るか。」 目を閉じると、とたんに睡魔が襲ってくる。先程より頭痛が酷くなったような気がしたが、生きている事を考えればたいして気にはならなかった。 同時刻 羽田空港待合室 「お義姉さん。美佐子義姉さん!」 ゆっくりと顔を上げるとそこには夫の妹の顔があった。 「涼子ちゃん?」 涼子と呼ばれた彼女は美佐子の顔を見るなりその顔色の悪さに驚いた。 「俺も少し休んだ方がいいとは言っているんだけどね。」 「綾瀬さん! どうして・・・。」 別の方向から意外な人物に声を掛けられた涼子の声は待合室に響きわたった。 「恵も・・・、女房も乗っていたんだ。それより済まない、本当は真っ先に連絡しなくちゃならなかったのに・・・。」 「恵さんまで・・・。それでどうなんです?」 「群馬の山中に落ちたという話だ。けど救助は明日の未明からだそうだ。」 「そんな・・・。なんで今すぐ始められないんですか? そのための救難隊じゃないですか?」 「夜間でしかも現場は山中だ、救難隊の隊員にだって我々のような家族がいる。」 それは確かにそうだった。 「涼子おばさん!」 聞き覚えのある男の子の声した。綾瀬の方を見る、彼は首を横に振っただけだった。まだ知らないということだろう。 涼子はちょっと怒った声で、そして努めて笑顔をつくり 「龍之介、私のことはおねーさんて呼びなさいといったでしょ。」 と牽制する。この辺は間違いなく圭一郎の妹である。 兄の親友である綾瀬はもちろん、その息子である龍之介とも面識はあった。 ところがこの悪ガキときたら、人のスカートは捲るは、風呂場は覗くはでとんでもない奴だった。 もちろん、嫁入り前の乙女の肌を覗き見た龍之介はそれなりの代償は払ったわけだが・・・。 「ちぇっ、か弱い子供に電気○ンマをかける人間をそんな風に呼べるかよ。」 龍之介の脳裏に3年前の悪夢が甦る。 「なんか言った?」 「なーんも。」 すっとぼける龍之介だが、彼の後ろから発せられる声がそれを許さなかった。 「お姉ちゃん、電気ア○マって・・・。」 あわてて唯の口を押さえるが少し遅かったようだ。 さすがに実の姪ともなると刷込期間が長い分「お姉ちゃん」呼ばせることに成功している。 「唯は偉いね、ちゃんと『お姉ちゃん』って呼ぶもんね。」 「どうやって脅されたんだ?」 「龍之介!」 「おいおい、こんなところで子供と同じレベルで言い合いをするなよ。」 そう言って割り込んで来たのは涼子の夫、哲也である。 「哲也さん、今晩は。」 龍之介が声を掛けると、哲也は白い歯を見せて笑い 「お、龍之介君か。でっかくなったな、それに唯ちゃんもか。」 唯に微笑み掛ける哲也だが、当の唯はコソコソと龍之介の後ろに隠れてしまう。 「やれやれ、まだ俺にはなついてくれんか。」 そうぼやくと涼子の近くに寄る、二言三言囁き涼子がわかったという印に頷く。 「喉かわいちゃった。龍之介、自動販売機どこ?」 「おごってくれるなら教えてあげる。」 「いいわよ、そのかわり・・・お姉さんと呼びなさい。」 「はいはい、分かりましたよお姉さま。」 「よろしい。唯もおいで。」 哲也は、3人が待合室から出ていくのを確認してから一瞬美佐子の方へ歩きかけその顔色を見て綾瀬の隣に腰掛けた。 「美佐子さんだいぶ参っているようですね。まだそうと決まった訳じゃないのに。」 「俺だって参ってるよ。雫石では生存者なしだ。」 周りに聞こえないように小声で応える。 「あれは、だって接触事故でしょう?」 「陸地に落ちたことは共通しているよ。」 しばらくの沈黙 「いずれにしてもまずいですね。」 美佐子の方をちらっと見て哲也が切り出す。 「ああ、あの親父さんの事だ。これ幸いとばかりに連れ戻しにくるだろうな。」 「どうします?」 「どうします? たって彼女の意志が尊重されるんじゃないか?」 「戻りませんよ、美佐子さんは。」 「だろうね・・・昔からこうと決めたら退かなかったからな。」 綾瀬と鳴沢そして綾瀬の妻である恵は、同じ大学の同期だった。 更に、三人共考古学に興味があり考古学研究会なるものに所属していた。 最初の学祭で恵の2つ下の妹が連れてきたのが美佐子で、それ以来の付合である。 美佐子は高校生にも関わらず暇があると研究会の活動に参加し、2年後同じ大学に入学したとき既に鳴沢にベッタリだった。 そして2年後、美佐子が20歳になると同時に2人は強引に入籍してしまった。まともに結婚するには2人の間には障害が多すぎた。 何しろ美佐子の実家は旧華族の流れを汲む名家だったのだ。 美佐子の父親は次女(下にもう1人弟がいた)とはいえ、たかだか考古学者の卵風情に自分の持ち駒を取られるのが我慢ならなかったようだ。 その後1年間、唯が生まれるまで猛烈な争奪戦が両家の間で繰り広げられた。 「まっ、彼女が戻りたいのならそれでよし、戻りたくないのならその時に考えればいいさ。」 「そうですね、今は義兄さんが無事なことを祈りますか。」 「女房の無事も祈ってくれよ。」 その声はあきらめ口調だった。 「それより子供達どうします? よろしければ僕が預かりますけど。」 「それは助かるけど、君はいいのかい。」 「ええ、僕はここでは外様ですからね。綾瀬さんがいてくれれば僕が2人について行くこともないでしょう。それに子供に泣かれると益々辛いでしょうし…。」 後半部分は美佐子を見ながらだった。 「そうだな、子連れじゃマスコミのいい標的だしお願いするよ。あ、でも唯ちゃん平気かな?」 「大丈夫じゃないですか? 龍之介君がいれば。さっき唯ちゃんに声を掛けたら龍之介君の後ろに隠れてましたよ。さすがに綾瀬さんの子供ですね。」 「どういう意味だい。」 「女の子を扱うのが巧い。」 「こいつ。」 拳を振り上げてみせるが、もちろん本気ではない。むしろ彼の気遣いに感謝していた。 事故が発生してからまもなく6時間が過ぎようとしていた。 AM 4:30 墜落現場 鳴沢は猛烈な不快感により目が覚めた。 頭痛が酷くなっていた、いや最早頭痛などと言う生易しい物ではなく、頭の中で削岩機が唸りをあげている様だ。 おまけに目を開けていても閉じていても、自分の座っているシートが遊園地のコーヒーカップのようにグルグル廻っているような錯覚に捕われる。 『どうなっているんだ』 ひどく鈍くなっている思考回路を懸命に働かせる。 『墜落時に予想以上に頭を強く打ったのか。』 という単純な答えを出すのに随分と時間が掛かったような気がする。 時計を見ると4時半を少しまわっていた。 『あと30分もすれば救助が来る』 それを頼りに何とか意識を保とうとするが、少しでも気を抜くと深い闇の中に滑り落ちてしまいそうだった。 『今度眠ったら2度と目覚めない。』という直感があった。 内ポケットから娘の写真を取りだし愛しげに見つめる 「ごめんよ、やっぱりお父さんダメかも知れない。」 そう呟いてペンを取りだし写真の裏に最後のメッセージを認めた。 君がいたから いままでがんばってこれた。 ありがとう そこまで書くと鳴沢の指からペンが滑り落ちた。 遠くでヘリの音が聞こえて来る様な気がした。 可憐はヘリの発する凄まじい爆音で目が覚めた。 「おじさん、ヘリコプターが来てるよ。」 何故祖父ではなく鳴沢へ先に語りかけたのかは分からなかった。だが鳴沢は目覚める気配がない。 「もう! 起きてよ。」 体を揺すると目がうっすらと開いた。その顔を覗き込む様にして可憐がもう一度、「ヘリコプターだよ。」と教える。 だが、鳴沢にはそれは聞こえなかった。いや、可憐の姿さえ彼の目には映っていない。 彼に見えているのは自分の娘である唯の姿だった。彼はその姿に向かって自分の手にある写真を差し出す。 可憐が差し出された写真を鳴沢の手から受け取ると、ほんの一瞬鳴沢が微笑んだ様に見えた。 と、その手が写真を可憐の手に残し力無く落ちる。 「おじ・・・さん?」 可憐は呼びかけるが、鳴沢の目が再び開くことはなかった。 AM 4:40 木原邸 唯は突然目覚めた。真っ暗な中で圭一郎や美佐子がいないことを思い出すと急に心細くなる。 「お父さぁん、お母さぁん」声に出してみるが、返事があるわけもない。 目に涙が溢れてくる。その時、 「泣くなよ、・・みぃ。」 ビクッとして横を見ると、昨日逢ったばかりなのにやけに自分に安心感を与えてくれる男の子が寝ている。 「・・・っとに、とも…は泣き虫だなぁ。」 そっとその子の顔を覗き見るが起きているわけではないらしい。どうやら寝言の様だった。 「なんでこんなに安心なんだろう。」 その答えはすぐに見つかった。 以前学校の行事で帰りが少し遅くなり、雷まで鳴り出した日、帰る方向が同じ友達と震えながら歩いていると後ろからその友達のお兄ちゃんが 「なに震えてるんだよ、一緒に帰ってやるから安心しろ。」 と、家まで送ってくれた、あのときの感覚だ。 あの後お父さんに『唯もお兄ちゃんが欲しい』って言ったんだっけ。そしたら『弟や妹ならなんとかなるけど、お兄ちゃんは今からじゃつくれないよ。』と言われた。 なんでだろう、唯は弟や妹なんかいらない。お兄ちゃんが欲しいのに。 ・・・そうだ! つくれないなら貰えばいいんだよ。 そしてまた横を見る。 お父さんが帰ってきたら頼んでみよう 『龍之介君をお兄ちゃんに貰おう』って。 うん、我ながらいい考えだよこれは。 布団を頭からかぶり目を閉じると、今度は別の不安が沸き上がってきた。 「龍之介君がお兄ちゃんになってくれるかなぁ。」 もし、なってくれなかったら・・・。 「ううん大丈夫、昨日あんなに楽しかったし、龍之介君も楽しそうだった。…でも。」 不安は大きくなるばかりである。 「聞いてみようかな。」 体を起こして、龍之介の方を見る。 何度か布団を引張ったり、布団の上から叩いたりしてみたが一向に起きる気配がない。 意を決して龍之介の体を揺すってみても、龍之介は「うーん」と言ったきり起きてくれなかった。 仕方なく、なかなか起きない父にいつもやってるように、鼻をつまみ耳元で 「龍之介くーん、朝ですよ。起きてくださーい。」 と、言ってみる。効果覿面だった。 びっくりしたように目をパチクリさせて自分の方に目を向けている。 「おはよ。」 「おはよ、じゃないよ。まだ真っ暗じゃないか。」 そう言いつつも体を起こしてくれる。 「で、何だよ。トイレにでも一緒に行って欲しいのか?」 「ちがうよ、お願いがあるの・・・。聞いてくれるかなぁ。」 「いいよ、なに?」 しかし、いざ面と向かって言うとなるとかなり緊張する。 「ゆ、唯の・・・」 「唯の?」 「お兄・・・。」 「なんだよ、聞こえないよ。はっきり言いなよ。」 そうだ、はっきり言わなくちゃ。お兄ちゃんがいればもう一人きりで家でお母さんやお父さんを待つこともないんだから。 そして大きく一つ深呼吸をして、龍之介の顔を正面に見据えて、 「唯のお兄ちゃんになって下さい。」 航空自衛隊 新潟救難飛行隊所属の不破三曹はヘリの爆音の中、女の子の泣声を聞いた様な気がした。 同僚の田中三曹に顔を向けると彼にもその声が聞こえたのか力強く首を縦に振る。 間違いない。2人は同時に駆け出した。 長さが4分の1程度になった機体の後部へ破口から乗り込む。その最後部の席から鳴き声は聞こえて来ていた。 「おじさん! どうしちゃたのよ。おじさんってば。」 田中は通路に転がる遺体を意志力で黙殺し少女に近づいた。 「どうしたの。」と、可憐に尋ねる。 「おじさんが・・・、さっきまではおきてたのに・・・。」 振り向いた可憐の顔は、涙でぐしゃぐしゃだった。 「ちょっとごめんね。」 可憐をひょいと抱き上げると不破三曹に渡し、男性の脈を診る。 その目が険しくなる。 「外に出す!」 言うなり鳴沢を抱え上げる。そして可憐に向かって 「大丈夫だ。」と告げる。 「不破さん、その子頼みます。」 不破が頷き、極力可憐にまわりの状況を見せないように外へ出る。 続いて田中が鳴沢を担ぎ出す。他の隊員が2、3人寄ってきて鳴沢をマットの上に寝かし、救命措置を始める。 可憐はその様子を見る事は出来なかった。ただ救難ヘリに不破と共に吊り上げられる途中1人の男が鳴沢に馬乗りになって何事かをしているが見えた。 幼い可憐から見れば、それは大勢で1人を虐めているかの様に見えた。 「おじさんをいじめないでぇ!」 そう絶叫した後、可憐は気を失った、だが手に握られた写真を離す事はなかった。 同時刻 木原邸 「唯のお兄ちゃんになって下さい。」 突然「お兄ちゃんになって。」なんて言ったら怒られるかな? 「・・・お願いってのはそれなのか?」 「うん。」 「・・・じゃ、俺眠いから。」 って、あ! 布団の中潜っちゃった。 あん、だめだよまだ返事聞いてないんだから。えい、布団取っちゃえ。返事くれるまで寝かさないんだから。 「ねーねー、お兄ちゃんになってくれるの、くれないの。」 「わかったよぉ、明日からでいいだろ。」 なんかお父さんと同じ事言ってる。じゃ、唯はお母さんの真似しちゃお。 「だめ! 明日は永遠に来るんだから」 「難しいこと言うなよ。わかったよ、今日からお兄ちゃんになるから。」 「誰の?」 ちゃんと確認しとかないとね。 「・・・唯の」 なんで渋々なの。ま、いいや 「じゃ、指切り。」 「ゆびきりぃ、そんなお子様的な・・・。」 そんな事言って指をだしてくれてる。やっぱりお兄ちゃんだよ。 ゆーびきーりげんまん嘘ついたら針千本飲ーます。 「はい、いいよ。お休みなさい。」 「はいはい、おやすみ。」 やったね、これで唯にもお兄ちゃんが出来たんだ。これからは龍之介君のこと「お兄ちゃん」って呼ばなきゃね。 一方、龍之介はというと布団の中でにやけていた。 (お兄ちゃんか、悪くないね。友美は泣き虫のくせにすぐお姉さん振るからな。可愛くない妹は願い下げだけど、唯が妹なら文句は無いな。) まさか鳴沢家の養子にされるかもしれないとは夢にも思わない竜之介であった。 午前 6時30分 救助活動本部 「鳴沢 圭一郎さんの関係者の方、いらっしゃいますか?」 現場にほど近い小学校に置かれた対策本部、そこに着くなり乗り込んできた係員の声がバスの中に響いた。 美佐子がゆっくりと立ち上がる。涼子が、続いて綾瀬も立ち上がった。 係員が歩み寄り、 「鳴沢 圭一郎さんの関係者の方ですか?」 と、確認の為だろうか、もう一度聞いてきた。 「そうです。」 思いがけず美佐子がはっきりとした口調で答える。 「どうぞこちらへ。」 先頭に立って歩き出す係員に無言で続く3人。行き先は小学校の体育館の様だった。 救助が始まって間もないのであろうか、体育館の中はガランとしている。だが、数個の白い布のかぶされた物体が間隔をあけて置いてあった。 「航空自衛隊新潟救難隊司令 延岡一佐です。鳴沢 圭一郎さんのご家族の方ですね。」 気がつくと先程の係員とは違う明らかに指揮官と思しき人物が立っていた。 彼は綾瀬達の返事を待たずに歩き出し、1つの白い布の前で立ち止まる。 「ご確認下さい。」 しばらく誰も動かなかった。永遠とも思える数秒の後、美佐子がゆっくりと歩み寄り布をめくる。 そこには夫であり、兄であり、そして父親であった1人の男が静かに横たわっていた。外傷などはなく血色がよければ寝ているかの様だ。 「おにいちゃん!」 涼子が泣き崩れる。 美佐子の口からも嗚咽が漏れる。 綾瀬は茫然と立ち尽くすだけだった。 「大変申し上げにくいのですが・・・。」 3人が少し落ち着いた頃を見計らって、延岡が切り出す。 「ご主人は我々が到着する直前まで意識があった様なのです。その場で隊員が救命措置を施したのですが・・・。」 思いがけない言葉に涼子が顔を上げる。綾瀬も延岡に向き直る、だが美佐子は顔を伏せたままだ。 沈黙がその場を支配する。 「どうして・・・」 ポツリと呟いた美佐子が次の瞬間堰を切ったように 「どうしてもっと早く! 5分でも10分でも早く救助に向かってくれなかったの! そうすれば・・・。」 その5分や10分を縮める為に彼らが如何に努力をしているか分からない美佐子では無かった。 それは、やり場のない悲しみが言わせた言葉だった。 その言葉に対して延岡は黙ったまま何も言い返さない。それ以外彼に出来る事は何一つとしてなかった。 午後になり綾瀬の妻、恵の遺体も確認された。だが、こちらは炎に焼かれた為損傷が酷く、遺留品と薬指にはめられた結婚指輪が決め手になった。 ある意味、綾瀬は美佐子より幸運かも知れなかった。 体育館から外へ出るとテレビ局のレポーターが寄って来た。 「どなたが事故に遭われたんですか?」 「妻です。」素っ気なく答える。 「救助が始まるまでに半日近い時間が掛かったわけですが、それについてなにか…。」 その質問をしたレポーターに綾瀬は殺意すら抱いた。 (貴様らに何がわかっていると言うんだ!) その怒りを顔に出すことなく言ってやる。 「救難隊の方々は自らの危険も顧みず日の出前に救助活動を行ってくれました。立派にその役割を果たしていると思います。」 レポーターが明らかに「まずい奴に質問してしまった」と言う顔になった。 その時、体育館内で 「お父さん! おとうさん!」 「あなたぁ! 私と久美子をおいていくなんてぇ。」 その泣き声にレポーターは、綾瀬に挨拶もせずに中へ飛び込んでいった。 こんな連中に報道の自由という旗を上げさせては、プライバシーの保護も何もあったもんじゃない。 今の連中を見ていて、そう思わずにはいられなかった。 校庭の一角にある楠の根本に腰を下ろし、恵の遺品を一つ一つ確かめた。 焼け残った遺品の中には、恵からの最後のメッセージが認められた手帳もあった。 パリパリになった紙を慎重にめくっていく。 スケジュール、住所録、そして 浩ちゃんへ と書かれたメモのページを・・・。 「死ぬまでずっと一緒だよ」と言っておきながら あなたと龍之介を置いて逝く事になりそうです。 ごめんなさい。 龍之介をお願いね。 それからもう一つ 知っているかもしれないけど、この飛行機には圭一郎君も乗っています。 もし、彼に何かあったらちゃんと責任を取りなさい。 浩ちゃんが2人を唆したんだから。 事実だった。 「そんなに親がうるさいなら駆け落ちでもしちまえ。大体2人とも二十歳を過ぎているんだから法律的には何も問題が無いじゃないか。なーに心配するな、俺が全面的にバックアップしてやる。」 確かにそう言った、ただそれは酒の席での話だった。 が、結局2人は入籍し、綾瀬と恵の2人がその保証人となった。 手紙は続く、 でも美佐子に手を出したら許さないから! そんなことしたら圭一郎君と2人で 化けて出るからね。 2ページあけて 龍之介、お母さんを許してね、 できればカッコ良く成長した君と2人で如月町の高台を腕組んで歩きたかったけ ど、ムリみたい。 願わくば君には人の痛みがわかる優しい人になって欲しい。 浩ちゃん、 あなたと出会って12年間とても楽しく、幸せでした。 さようなら 私のこと忘れないで。 綾 瀬 恵 最後まで読み終えて、改めて自分の妻がこの世にいないことを感じた。脱力感が全身を覆い綾瀬はしばらくの間その場を動くことが出来なかった。 綾瀬が美佐子と涼子のいる教室に戻ると2人は落ち着きを取り戻していた。美佐子は綾瀬の手にある遺品、そして綾瀬の目が赤いことから恵がどうなったかを察した。 「先輩、これを。」 綾瀬が近づくと美佐子が一冊のノートを差し出した。表紙には 綾瀬 浩史 様 とある。パラパラと目を通すとどうやら考古学の研究成果の様だった。 「いいのかい?」 「ええ、たぶん先輩の為に遺したものだと思うんです。」 「じゃあ、一応預かっておくよ。」 預かるだけで中身を利用する考えは毛頭無かった。 「さて諸君。」 3人きりで諸君もなにも無いのだが、気分を変えるためにややおどけた調子の声で綾瀬が提案する。 「我々がここですることは当面無い。今ここを出れば今日中には涼子ちゃんの家に着くはずだ。」 「そうですね。子供達も待っているし。」 「唯なんか今頃淋しくて泣いているかもね。帰りましょう。」 ここにいても状況は何も変わらない。 「じゃ、車を呼んで貰おう。」 「私は家に電話してきます。あ、義姉さんがした方がいいかな?」 「そうね、唯に声を聞かせてあげないと・・・。」 綾瀬と美佐子が部屋から出ていくと涼子は自分と夫宛への遺書にもう一度目を落とす。あたりまえの事だが何度読み返しても文面は変わらない。 「お兄ちゃん、本気なの。」 その呟きは誰の耳にも入ることは無かった。 B-PART へ続く Zekeさんのうふふ☆な書庫へ戻る このページとこのページにリンクしている小説の無断転載、 及び無断のリンクを禁止します。 |