『未来へのプレゼント』
最大の悲劇と最高の出会い

(10years Prologue)

B-PART


構想・打鍵:Zeke
文中創作詩:古酒

 この作品はフィクションであり(株)ELFの作品「同級生2」の作品世界を使用しております。
 尚、ここに登場する、人物、名称、土地、出来事等は実際に存在するものではありません。




「じゃあ、これで。」
「綾瀬さん、大丈夫ですか?少し休んでからの方が。」
 最初は直接木原邸へ向かうつもりだったが、帰りが遅くなりそうなので1度八十八町の綾瀬の家に寄り、車で子供達を迎えに来たのだ。
 こちらへ着いたのは2時間前だったが、これ以上迷惑は掛けれないのですぐに出る事にした。
「美佐子さん、何かあったらすぐに言って下さい。飛んで行きますから。」
 美佐子もそれに同乗し帰ることにした。
「ありがとう、哲也さん。涼子ちゃん合同葬について分かったら連絡するから。」
「ええ。綾瀬さん義姉さんをお願いします。安全運転で帰って下さいね。」
「まかしとけ、涼子ちゃんも元気出せよ。」
 そう言い残すと綾瀬はアクセルを踏み込んだ。

 テールランプが徐々に小さくなって行く。それを見送った涼子が家の中に入るなり切りだした。
 「ねぇ、あなた。血のつながりのない子供に愛情を注げる?」




 子供達の反応は予想した通りだった。唯はおろか竜之介までわんわん泣きだしたことに綾瀬は少し驚いた。いや、ホッとしたと言った方がいいかも知れない。変に強がって泣かない方が不安になる。今は後部座席で二人とも眠っている。
「明日になったらまた泣くんでしょうね。」
「ああ、でも現実を直視させなきゃ。毎日泣いて暮らせる訳じゃないんだから。ところで君はあいつの手伝いはしていたのかい?」
「えっ、」
「いや、だから研究の助手みたいな事をさ。」
「まあ素人よりはましな程度ですけど。」
「どうせ君の事だから大人しく実家に戻ろうなんて考えてないんだろう。働き口を当たってみるよ。」
「すみません、お願いしようと思っていたんです。」
「やっぱりね、あいつはなんて書き遺したんだい。」
「死んでも実家に帰るなって。」
 きっぱりと美佐子は言いきった。
「はは、あいつなら書きかねないけどそこまでストレートには書いてないだろう。」
「ええ、さすがにそこまでは・・・。」
 自然と笑いが出てくる。本当に久しぶりに笑った気がした。




 木原邸を出発してから40分ほどで鳴沢のアパートに着く。
 だが、綾瀬はヘッドライトに浮かぶそれを見て舌打ちをした。
「もう来てるな、さすがと言うか。」
 アパートの前には黒塗りの高級車が止まっていた。
「すみません、ちょっと待っていて下さい。」
 そう言って美佐子は車を降り、その車に方へ歩いて行く。
 車の中を覗いてみたが誰も乗っていないようだ。仕方なくそのまま2階にある自室に向かう。
 閉めたはずの鍵は開いており部屋の中は真っ暗だった。電気のスイッチを入れたが電気が点かない。
「お父様、いるんですか?」
 呼び掛けた声がやけに反響するのが分かった。隣の6畳間の電気が点く。
 同時に美佐子が声をあげた。
「何てことを!」




「なんてことを!」
 美佐子とほぼ同時に綾瀬も声をあげていた。
 明かりが直接窓から漏れている。そしてそこから部屋の中をうかがい知る事ができ
た。家具の類が見あたらない。
「いきなり強行手段化かよ。」
 そう呟くと、ドアを開けて外へ飛び出た。




 部屋の中はがらんとしており家財道具、いや全ての物が消えていた。
「部屋の中の物をどうしたんです?」
「今日の内に全て処分させた。」
 威圧間を与えるような低い声で美佐子の父、真御司 重光が言い放つ。
「そんな勝手な事を。」
「先に勝手な事をしたのはお前達だ。そしてまたお前を置いて勝手に死んで逝った。」
「好きで死んで逝った訳じゃないでしょうに。」
 震える声の美佐子に対し
「まあいい、とにかくこれでお前も戻りやすくなったろう。お前もまだ若い事だしすぐに良い縁談をまとめてやる。」
 美佐子の顔を見据えたまま続ける。
「ただし! あのどこの馬の骨かわからん奴の血が混じった人間を連れて戻ることは許さん。」
 
「なるほど。あんたが我が娘をも自分の駒としてしか見ていない事が良く分かったよ。」
 いつの間にか美佐子の後ろに綾瀬が立っている。
「また貴様か・・・。」
「光栄ですね、旧華族の流れをくむ真御司家の当主に覚えて頂いてるなんて。」
 おどけた調子で綾瀬が答える。
「フン、貴様の女房も死んだ様だな。これを機に美佐子に乗り換える気かね。」
「あいにくそんな事をしたら二人に化けて出てこられるんでね。おれは例え妻や親友であっても幽霊には会いたくないんだ。ただ、あんたから美佐子クンを護ってくれと言う頼みは受けている。」
 「何を言うか! 元はと言えば貴様が・・・。」
「やめて!」
 美佐子の声が遮る。
「お父様、私は戻りません。まして唯を手放す事は範疇にありません。帰って下さい。」
「美佐子!」
 叱りつけるような真御寺の声。
「かえって!」
 それを上回る、美佐子の声。

 アパート内の喧噪をよそに車内の二人の子供は本当の兄妹の様に眠っていた。




「うん、悪いね。これからすぐに戻るから。」
 受話器を置いて電話ボックスから出る。自販機で缶コーヒーを買い、車に戻ると美佐子は外でボンヤリと空を見上げていた。
「涼子ちゃん達まだ起きていたよ。すぐに戻ると言っておいたから。」
 缶コーヒを美佐子に渡して綾瀬も空を見上げる。
「まだ1日しか経っていないんですね。」
 綾瀬はそれには答えず。
「子供を…唯ちゃんを涼子ちゃん達に預けて実家に帰るっていう選択肢は君の中に無いのかい?」
「さっき父にも言いましたよ、そんな事は範疇に無いって。それとも先輩は戻った方がいいて言うんですか?」
「常識的に考えれば実家に帰るのを勧めるんだけどね。」
「父は非常識ですからね…。」
 二人が顔を見合わせて笑う。

「さて、行きますか。よっ!」
 飲み干した缶コーヒーの空カンを自販機横にあるクズカゴに放る。見事な放物線を描きカンは10M程先のクズカゴの中へ入っていった。
「あ、すごい! よーし私も、えいっ。」
 届かないかと思われた美佐子の空カンは屑篭の縁に当って中へ入っていた。ガッツポーズの美佐子。
「ばかやってないで早く乗んなさい。置いてっちゃうよ。」
「ひどい、先輩が先にやったんじゃないですか。」
「俺は入って当たり前だからガッツポーズなんかしないよ。」
 美佐子が乗り込んだのを確認してから、アクセルを踏み込む。車はもと来た道を走る。日付はとうに変わっており、悲劇から3日目に入っていた。




 翌日、美佐子が目覚めたのは昼過ぎだった。無理もなかった。事故が起きてから満足に寝ていなかったのである。
 慌てて飛び起き、シャワーを浴びる。昨晩コンビニエンスストアーで買い求めた下着を身につけ、シャツとジーパンは涼子のものを借り受けた(二人の体型はほぼ同じだった)。
 一通りの身支度を整えると、うかない顔の涼子に
「夕食は外で食べるから」と告げ、唯を連れて買い物に出る。
 とにかく必要最低限の物を手に入れた。
 それでも全てを失ったに等しい母娘にとってかなりの量になってしまった。

 くたくたになって木原邸に戻ると9時過ぎだった。唯を寝かしつけて、居間へ戻ると哲也が深刻な顔をしてソファに腰掛けていた。
「あ、哲也君お帰りなさい。」
 今日はどこへ行っていたの、と聞こうとしたが哲也の あまりにも深刻な顔に押され口をつぐんでしまった。
「美佐子さん。」
 重々しく開いた哲也の口から美佐子は次の彼の台詞が想像できた。
「唯ちゃんを僕達に預けて実家に帰るつもりは無いんですか。」
 美佐子は静かに
「私はね、父のあのやり方は許せない。絶対に。それからこれは綾瀬先輩、もちろん父にも言ったけど、今となっては唯はあの人が私に遺してくれた唯一の宝なの。それを手放す事は出来ない。」
「しかしですね、こんな事言うのは僕自身情けないですけど僕の給料であなたと唯ちゃんの面倒を見る事は出来ませんよ。」
「今、先輩に勤め先を当たってもらっているわ、もちろん自分でも探すけど。それが決まればその近くに引っ越して・・・。」

「にぶいなぁ。」
 涼子が居間に入ってきて哲也の隣に座る。
「このひとはねぇ、美佐子さんに唯を置いて実家に帰って欲しいって言ってるの。もちろんあたしもそれに同意するわ。」そう言って分厚い封筒をテーブルの上に放り出す。表には真御司の筆跡で
  木原 殿  
 と書かれていた。
「ねえ、美佐子さん」
 涼子に名前で呼ばれるのは何年ぶりだろうか。少なくとも結婚してからは呼ばれてなかった様な気がする。
「あなたを真御司家へ帰すだけで300万ですって。」
「えっ!」
 一瞬涼子の言っているいみがわからなかった。哲也が続ける
「昨日皆が帰ってくる前にあなたの父上が見えてこれを置いていったんですよ。加えて唯ちゃんの養育費に月50万、事故の慰謝料も全てこちらが引き受けて良いと言う事です。」
「美佐子さんには悪いけど、あたし達にとっては悪い話じゃないのよ。」
 美佐子は愕然とした。圭一朗の妹が、いや涼子がこんな事を言うなんて思いもしなかった。
「もちろん義兄さんの遺言にもそうしろと書いてあります。恐らく美佐子さん、あなた宛の手紙にも同じ事が書かれているでしょう。」
 4つ折りになったノートの切れ端をテーブルの上に置く。
 中身は想像がつく。だからこそ見る気にはならなかった。
「そんなわけで美佐子さん。」
 涼子が突き放すように
「唯は私達が面倒見ますからあなたはさっさと実家に戻ってくれません?」
 そう言いきるとさすがに気がとがめたのか涼子は俯いた。

「・・・わかったわ。」
「その300万と慰謝料についてはあなた達の自由にして結構です。」
 静かに立ち上がり
「月々50万は入らないけど・・・それだけあれば充分でしょう。」
「ちょ、ちょっと美佐子さんそれじゃ唯ちゃんは・・・。」
「言ったでしょう、何があっても手放さないって。・・・これ以上迷惑は掛けれないから今夜の内においとまするわ。」
 居間のドアへ向かって歩きかける。

「まってよ!」
 振り向く美佐子。だが声の主は俯いたままだった。
「どうしてそんなに意地を張るのよ、実の親じゃない、帰ってあげなさいよ! 唯だって別に孤児院に入れるわけじゃないんだし会おうと思えばいつだって会えるじゃない! それに・・・。」
  顔を上げる涼子、その顔は涙でぐしょぐしょだった。
「それにお兄ちゃんだってそれを望んでいるの! あなたを実家に帰すようにって! 唯を頼むって! 今まで私に頼み事なんてしなかったに最期の…頼みだから…って。」
 その肩は小刻みに震えていた。哲也が苦笑しながら涼子の肩に手を回す。
「ばかだな、お前が泣いちゃったら芝居にならないじゃないか。」

 美佐子はソファに掛けなおしテーブルの上にある2人宛の遺書を手に取った。一読して今度は自分宛のものを2人に渡す。哲也が目を通し涼子に渡す。
「私達宛のものと内容的にはたいして違わないと思いますが・・・。」
「ええ、多分表面的にはあの人もそう思っていたんでしょう。でもね、よく読むとわかるの、”戻るな”って書いてあるのが。」
「わからないわ。」真っ赤な目で首を振る涼子。
「最初の1行目よ。」美佐子がヒントを出す。
「”すまない恐らく僕は駄目だろう。”」声を出して読み上げる。
「その前。」
「その前って言ったって。」
 その前はもう名前しかない。
「”鳴沢 美佐・・・”あっ!」
 小さな叫び。
 美佐子が微笑む。
「そう、わたしにはそれだけで充分なの。」
「で、でも事故が起こっていたわけですから気がまわらなかったんじゃ…。」
哲也が無駄な抵抗を試みる。
「それでもいいの。例えそうであってもわたしは”戻るな”って判断したの。」
「じ、じゃあ私達へのこれは・・・。」
 涼子が自分達への遺書を指さす。
「そりゃあ実家に帰りたがる妻を強引に引き留めろとは書けないな。ま、保険の意味もあるだろうけど。」
 既に白旗を掲げた哲也が受ける。
「な、なによそれ! じゃ、わたしばかみたいじゃない。」
「そんなことないわ。涼子ちゃん本当にわたしと唯の事心配してくれたんだから。ありがとう。」
「そんな、わたしこそ義姉さんにあんな非道い事言って・・・。」
「いいのよ。」
 その言葉で部屋の中の緊張がようやく解けた。

「そんな事より一件落着したんだからパーっと飲みましょうよ。ここに300万もあるんだし。」
 一瞬涼子と哲也の顔がひきつる、美佐子の蟒蛇ぶりは良く知っているからである。だが幸運な事に
「あ、その中味全部新聞紙です。結構お札の大きさに300枚切るって大変なんですね、半日かかっちゃいましたよ。」
「え、でもこの封筒の字、父のですよね。」
「ええ、持ってきたのは事実です。中味は突っ返しましたけどね。」
「なんだ貰っておけば良かったのに。」
「僕は義理堅い男ですからもし貰っていたら首に縄つけてでも真御司家へ連れて行きましたよ。それに明日二日酔いにならずにすみました。」
「どういう意味かしら?」
「前に義兄さんから聞いたんですよ、綾瀬さんと二人で束になってもかなわなかったって。」
「そんな大げさな、たかだかお酒2升じゃない。」
 本当に大した事ないという表情の美佐子を見て、哲也は金を受け取らなかった事を神に感謝したくなった。




 喫茶『憩』は綾瀬の妻、恵が趣味同然に経営していたが今、いや今後ここは意味のない場所になるだろう。
 スツールに腰掛けグラスを傾けながら綾瀬はそんな事を考えていた。実際の所経営するものがいないのである。
 いっそのこと自分がマスターになってやろうかと思ったが、どう考えても考古学より魅力がある様には思えなかった。
 だが彼は決断を迫られていた。昼間の教授との会話が頭に甦る。


 「3ヶ月・・・ですか?」
 「とりあえず3ヶ月だ。その後一旦帰国してもらう。かなりの規模のものだ。」
 「そんなに大規模のものなら教授が直接行かれた方が…。」
 「もちろん発掘となればわたしも出向く。だが、そのときもわたしは君のサポートにまわる事になる。今回の調査で経験値を稼ぎたまえ。」
 「そんな、岸野さんだって野崎さんだっているじゃないですか。それに息子を置いて行けって言うんですか。」
 「ああ、恵君の事は気の毒だった。君の息子・・・龍之介君だったか、私が預かってもいい。それが嫌ならいい家政婦を紹介してやろう。それから岸野君や野崎君に君ほどのカンとセンスがあれば彼らに頼んだよ。」
 「・・・わかりました。少し時間をください。」
 「うん、いい返事を期待している。鳴沢君だったら飛んで行くぞ。」


「あいつが娘一人残して行くわけないじゃないか。」
 声に出してグラスを一気にあおる。綾瀬にしては飲み過ぎていた。
 もうボトル2/3をあけている。

 ”龍之介をお願いね。”
 ”ちゃんと責任を取りなさい。”

 恵の言葉が頭を駆け巡る。
「あー、そういえば美佐子クンに頼まれてた事聞くの忘れてたな。・・・ん!?」
 一瞬とてつもなく良い考えが浮かんだ様な気がした。この問題を全て一気に解決するようなすばらしい考えのような気がしたのだが、それについて深く考えようとしたら忘れてしまった。
 必死になって思いだそうとするが、一昨日からの疲れと酔いとでそのまま眠り込んでしまった。




「なさけないぞー、男二人でか弱い女の子ひとりに勝てないのかー。」
 居酒屋の座敷席、まだ鳴沢と美佐子が結婚する前だ。
「ど、どこがか弱いんだ、少なくともお前の肝臓には当てはまらんぞ・・・。」
 そう言ってまず鳴沢が沈んだ。
「しっかりしろ、鳴沢! くそー、1人で2升もあけてケロッとしてるなんて。」
 ハタからみれば美佐子がケロッとしている様にはとても見えないのだが、したたかに酔っている綾瀬からみれば十分ケロッしている様に見えた。
「せんぱい、まだやりますか?」
 そう言いつつ新しい1升瓶の栓を抜きコップに注いでいる。
「当たり前だ、○成年に負けたとあっては男が廃る。」
 2人掛かりで挑んでいるあたりで既に廃っているのだが最早そこまで思考がまわらない。
「浩ちゃん無理よぉ、勝てっこないって。」
 1人素面に近い恵が必死になって夫を止める。ここで止めないと1人で2人の面倒を・・・いや美佐子の様子を見れば1人で3人の介抱をしなければならない。
 それは何としても避けたかった。しかし・・・
「えーい、止めるな。同じ人間だ、処理能力にそんな違いがあるわけない。」
 そう言ってコップの中の透明な液体を飲み干す。
 タンッ、とコップをテーブルの上に置きどうだといわんばかりにニヤリと笑う。
 そしてそのままテーブルの上に突っ伏した。
「えーん、だからよせって言ったのにぃ。」
 だが人事ではなかった。
「はい、恵さん。」
 目の前にコップが突き出される。
「あ、あたしはダメ、からっきし弱いし。そ、それに明日も喫茶店やらなきゃいけないし・・・。」
 そんな事言っても酔っぱらいには通じない。美佐子がグッと顔を近づけて
「恵さんあたしのお酒が飲めないって言うんですか?」
 でた、酔っぱらいの決まり文句。これが出たら逃げられない、特に美佐子の場合ここで「飲めない」とでも言おうものなら

 1.あばれだす
 2.泣き出す

 の2つの選択肢しかない。
「ひーん」
 泣く泣くコップに口を付ける。横目でちらと美佐子を見ると座った目でこっちを見ている。恵は祈らずにはいられなかった。
「神様、明日無事に『憩』が営業できますように。」
 そして一気に飲み干す。


 結局次の日は二日酔いで店を開けられなかったっけ。
悲しい事に綾瀬はこれが夢だとわかっていた。もうこの4人が集まる事はないのだ。
 永遠に・・・。




「父さん、電話だよ。ったくこんな所で寝るなよな。」
 まさか喫茶室で眠っているとは思わず家中を捜しまわってしまった。
「ん、なんだ龍之介。」
 普段はビッと決まって龍之介も密かに自慢している父だが寝起きはただのおっさんである。
「電話。涼子おばさんから。」
 喫茶室の受話器を渡しながら答えると突然受話器ががなり立てた。どうやら涼子が何か言っているらしい。
「おねーさんよ、龍之介!」
 ほっとく事にして受話器を父親に渡す。

「もしもし、ああおはよう。・・・えっ、なんだって?」
『いないんです。朝起きて部屋を覗いたら荷物も、もちろん唯も。それで書き置きが・・・ええ、ちょっと出掛けますって。』
「だったら心配すること無いじゃない。ちょっと出掛けるくらいいいじゃないか。」
『ええ、それはそうなんですけど・・・。』
「何かあったのかい?」
 涼子の奥歯に物の挟まった様な言い方に綾瀬が突っ込む。
『実は昨日・・・。』
 昨日の顛末を掻い摘んで話す。
「ふーん、でも誤解は解けたんだろ。心配することないよ。」
『でも・・・。』
「とにかくこっちも心当たりを捜してみるから。連絡があったらそっちに連絡するように言っておくよ。美佐子クンはそんなことを気にする人じゃないよ。・・・うんそれじゃ。」
 受話器を置いてため息をつく。

(全く、次から次へと・・・。)それでも落ち込む暇が無いというのは歓迎すべき事なのかも知れなかった。




「おかーさん、次あれ。」
「はいはい、ちょっと待ちなさい券を買うから。」
 一同の心配をよそに鳴沢母娘は如月遊園地で遊びに来ていた。
 唯はご機嫌だった、朝どこかに行きたいかと聞かれ、そのまま遊園地に連れて来て貰えて乗りたい物すべてに乗せてもらえている。アイスだってジュースだって望みのままだった。
 だが、この観覧車に乗ってしまったら身長制限がある唯に乗れる物は無かった。

 乗り込んだゴンドラがゆっくりと上りはじめる。
 唯が観覧車を最後にしたのは訳があった。最高点に達したとき唯が呟く
「もっともっと高く上れればお父さん天国からつれてきちゃうのになぁ。」
 だが、頂点に達したゴンドラは唯の言葉を嘲笑うかのように下りていく。
 地上についたゴンドラから降りるとき唯は今にも泣きそうな顔をしていた。
 美佐子は途方に暮れた。元気づける為に連れてきたのに最後の最後でつまづいてしまったのである。これでは何をしに来たかわからない。
 幸いなことにまだ2時過ぎである。気を取り直した美佐子は元気に
「それじゃあ、次はどこへ行こうか。」
 と娘に訊ねる。
 しかし唯の次の言葉は『デパートのおもちゃ売場か、喫茶店でパフェか』などと考えていた美佐子の予想を超えていた。
 唯は先ほどの泣きそうな顔を満面の笑みに変え、一言
「唯、龍之介くんに会いたいな。」

 龍之介という名前に美佐子は瞬時に反応できなかった。
(誰だったかな。唯の友達にそんな子いたっけ?)
「龍之介くん、唯のお兄ちゃんになってくれたんだよ。」
「おにいちゃん?」
(そういえば綾瀬先輩の息子さんが龍之介くんって言ったっけ。確か唯もその子のことお兄ちゃんって呼んでいた。)
 「そうだよ、指切りしたもん。」
 いかにも子供的な発想だなとは思ったが、何にしても唯の機嫌が戻ったのはありがたい事だった。
「そうね、お母さんも綾瀬のおじさんに話があるから会いに行きましょう。でもその前に電話してみるね。」
 手近な電話ボックスに入り番号をプッシュする。
 呼出音が1回鳴り終わる前に相手が出た。そして、

『美佐子クンか?』
 こちらが名乗りを上げる前に言い当てられてしまった。
「えっ! ええ、そうですけど。綾瀬先輩?」
『そうだ。今何処にいるんだ? いや、そんな事より涼子ちゃんに電話してくれ。君が書き置きを残して帰って来ないと思っているんだから。』
「あの・・・。」
『涼子ちゃんも良かれと思って言った事なんだから許してあげなさい。』
「許すもなにも・・・。」
『だいたい、あの2人が君を進んでつらい目に会わせるわけが・・・。』
「せんぱい!」
『な、なんだ。』
「わたしの話も聞いて下さい。」




 1時間後喫茶『憩』のまえに立つ母娘。
「ここ・・・よね。」
 喫茶店を経営してることは知っていたが中は真っ暗だ。扉を開けようとしたが開くわけもない。
「何処から入ればいいのかしら?」
 うろうろしていると後ろから
「あの、ここの宅に何かご用でしょうか。」
 と声をかけられた。品のいい女性で美佐子よりやや、年上のだろうか。
「ええ、ここ綾瀬さんのお宅ですよね。」
「そうですけど・・・あの、あなたは。」
「あ、わたし先輩の後輩で・・・。」
 我ながら間抜けな自己紹介だと思い言葉を切った。
なんとも気まずい空気が漂う。

「何やってんの美佐子くん。あ、水野さんどうかしましたか?」
 喫茶店の扉から綾瀬が顔を出すと目の前の女性が申し訳なさそうに謝る。
「ごめんなさい変なこと聞いて。」
「いえ、私の挙動も不審でしたし・・・それじゃ。」
 美佐子も頭を下げる。
「あ、水野さん、龍之介の奴が伺っていたら戻ってくる様に言ってくれませんか。」
「あら、さっき友美と2人で図書館へ行くって言って出てっちゃったわ。」
「そうですか、もしそちらにまたお邪魔するようだったら戻るように言ってくれませんか。」
「ええ、おやすい御用ですわ。」
 そう言って水野婦人は唯に向かって小さく手を振る。
 相変わらず美佐子の後ろに隠れていた唯だがこのときは小さく手を振り返した。




 水野友美(8)は怒っていた。隣に住む幼なじみと一緒に図書館へ行ったのだが、その幼なじみは、たまたまそこに居合わせた同級生達とどこかへ行ってしまったのだ。
「別にいいわよ、静かに本が読めたんだし。」
 いつもは隣でうるさくあれこれ聞いてくるので読書どころではないのだが…。
「なによ、龍くんのばか!」
 要するにほったらかしにされたのがつまらないのである。

 今度会ったらなんて言ってやろうか、そんなことを考えながら家までの近道になる空地を歩いていると、同じクラスの女の子が他のクラスの男子3人に囲まれているのが目に入った。

 「ちょっとあなた達!」
 やり場の無い怒りは必然的にその男子生徒達に向けられる。だが、友美だって女の子である。しかも「泣き虫友美」などというありがたくない愛称まで戴いてしまっている。たちまち男子生徒3人の矛先は友美に向けられた。
「なんだ、1組の泣き虫委員長じゃないか。」
「委員長さんに声を掛けられたたってことは俺達怒られちゃうのかな。」
 あきらかにバカにされている。
「あなたたち、その子から取ったものを返しなさい。」
「取ったもの? なんだいそりゃ。」
「あなたが手に持っているそれよ。」
 女の子の洋服に付いていたものだろうか、1人が2本のリボンをひらひらさせている。
「取りたきゃ取れば。取れればの話だけど。」
 そう言って仲間に放り投げる。それを追う友美。
 「おっと、危ない。」
 運動神経が悪くない友美でも3人の男子が交互に投げるリボンを捕まえることは出来なかった。
 あげくの果てに足を引っかけられ転ばされる始末である。
 これが10年後だったらこの3人、無事で済まないのだが、いかんせんT.D.Fは結成前だった。
 転んだ友美にリボンを持った男子が目の前でそれをひらひらさせる。伸ばした手にリボンが触れるが、掴む前にリボンは友美の手をすり抜けていった。
「なんだ、泣き虫友美のくせに泣いてないじゃないか。」
(なんであなた達の前で泣かなくちゃいけないのよ。)
 そう言おうとしたが息が切れて言葉が出てこない。
「ほら、もうちょっとがんばらないと、これが取れれな・・・。」
 不意にその言葉が途切れる
「何をがんばるんだよ。」

 友美の目に自然と涙が溢れてくる、悲しいとか悔しいとかの涙ではなく頼れる者が現れたときの安心感からでる涙だった。自分にこれだけの安心感を与えてくれる人間は父親の他には1人しかいない。
「りゅ、龍之介。」
 上にあげた手を後ろから掴まれた男子生徒は助けを求めるように周りを見るが、他の2人の姿は見えなかった。
「ほら、返せよ。」
 龍之介の迫力に負けたのか、その男子生徒はあっさりとリボンを離すと一目散にその場から走り去って行った。

「なんだよ、また泣いてるのかよ。」
 ぐすぐす言っている友美を助け起こす龍之介。
「ぐすっ、龍くんが悪いんだよ。わたしをおいてっちゃうから。」
 この場合龍之介は全然悪くない、友美にもそれはわかっていた。それでも
「悪かったよ。だからもう泣くなって。」
 と、言ってくれる優しさが嬉しかった。
「で、このリボンどうするんだ?」
 そういえば先ほどまで近くにいた女の子が今はもういない。
「龍くんが来たから逃げちゃったんだよきっと。」
「ちぇ、助けにきてやったのに何で逃げられなきゃいけないんだ。」
「普段の態度が悪いからよ。」
 さっきまで泣いていたのにもうお説教を始めている。
「はぁ。もういいや帰ろうぜ。」 

 空き地を出て二人で並んで歩く。今は友美の方が少し背が高く、並んで歩く姿は姉弟のようである。真後ろから西日が当たっているため正面の道路には丁度大人の背丈ぐらいの影が出来ている。
 友美は龍之介の少し後ろを歩くようにして龍之介の影よりも自分の影の背を低くしてみせた。そしてちょっと龍之介の歩く方向へ寄ってみる。
 するとその影がまるで恋人同士が寄り添って歩いているように見えた。その影に未来の自分と龍之介を重ね合わせる。
 ところが急に自分の背が大きくなり、何かが肩に当たった。
 なんの事はない、龍之介が立ち止まったのだ。
「何やってんだ友美。」
「な、なんでもないわよ。」
 西日だったのが幸いした。そうでなければ友美の顔が真赤になっているのがわかってしまっただろう。
「そうか? また泣いているんじゃないかと思ってさ。」
「わたしそんなに泣き虫じゃないよ。」
「どーだか。さっきだって泣いてたじゃないか。」
「もう泣かないわよ。」
「絶対だな。」
「絶対よ。」
 前を向き歩き出す龍之介。慌てて友美が後につづく。
「よーし、じゃ大丈夫だな。」
「何がよ。」
「もう友美が泣いてても俺は助けられないから・・・さ。」
「えっ!?」
 振り返る龍之介から出た言葉が友美には信じられなかった。
「おれ、夏休みが終わったら引っ越しちゃうかも知れないんだ。」




 美佐子と唯を喫茶室に招き入れた綾瀬は自らカウンターの中に入りコーヒーを入れはじめた。
「へぇー、手慣れたもんですね。」
 その様子を見ていた美佐子が感心したように言う。
「まあね。休みの日にはちょくちょく手伝ってたし・・・。はいお待ちどぉ、『憩』オリジナルブレンド。」
「いこいブレンド?」
「あれ、この店の名前知らなかったっけ。」
 店の名入りのマッチを美佐子の前に出してやる。
「これ、恵さんが?」
「そう。住宅街で『憩』は変じゃないかとは言ったんだけどね。」
「そんな事ないですよ。」
 コーヒーを一口飲みしばらく考え込む。
「うーん、キリマンジャロ5、ブルマン4、モカ1ですか。」
 いとも簡単にブレンド率を言い当てた美佐子に綾瀬は驚いた。
「す、すごいね。」
「あら、こう見えても私コーヒーにはうるさいんですよ。」
 ちょっと自慢げに胸を反らす。
「へー、うるさいのはお酒だけかと思ってた。」
 茶化す綾瀬に美佐子はとぼけたように店内を見回す。

「唯ちゃんは何がいいかな。」
「いちごぱふぇ。」
 ぶすっとした様に答える。龍之介に会いに来たのに当の龍之介がいないからである。
「唯、あなたお腹こわすわよ。朝から冷たい物ばかり食べたり飲んだり、しかも全部甘い物じゃない。」
「だっておにいちゃんいないんだもん、やけぐいだよ。」
 そのとき、『憩』の外を球体に手足が付いたような物体が歩いているのが美佐子の目に入った。それを指さし、
「唯、あんなになっちゃうわよ。」
 と脅すとさすがにショックだったようで
「みるくてぃーにして下さい。」
 と頼みなおした。

「このお店、どうするんです?」
「恵が趣味でやってただけだから閉めるのは簡単なんだけど・・・。」
 カウンター内で自分のコーヒーをすすりながら答える綾瀬。
「美佐子君やらない?」
「やだ、わたしがやったらバーになっちゃいますよ。」
 言った綾瀬も冗談のつもりで言い、聞かれた美佐子も冗談のつもりで聞いた。この後2人で笑い声をあげればこの話しは終わったのだろうが、綾瀬の頭の中でこの冗談は急激に現実味をおびてきた。
 そう、昨日頭に浮かんだ考えを思いだしたのだ。

「これだっ!」
「ど、どうしたんですか?」
 突然大声をあげた綾瀬に美佐子が訝しげに訊ねる。
「い、いやごめん。ところでどう? 働き口は見つかった。」
「昨日の今日ですからまだ何も・・・。今日伺ったのはそのこともあったんですけど先輩だって昨日の今日ですものね。」
「いや、ちょうど良かったよ。実は有能な助手を探している人間がいるんだ。」
「わたしそんなに有能じゃないですよ。」
「黙って聞きなさい。その人は来月1日から南米に3ヶ月間調査に向かう。で、1度戻っては来るがその後最低2、3年は現地にとどまる事になりそうなんだ。もちろん向こうに行きっぱなしというわけではないんだけどね。で、こっちに1人助手を置いて向こうで集めた資料をまとめてもらいたいんだそうだ。」
「そんな事・・・私に出来るかしら。」
「なに、そんな大した事じゃない。FAXなんかで送られてきた文章をワープロで清書して項目別にファイリングする程度の事だよ。」
「そのくらいだったら何とかなりますね。」
(よしよし)綾瀬は内心ほくそ笑んだ。
「それと・・・その人つい最近事故で奥さんを亡くしてね・・・。」
「まあ!」
「で、息子が1人いるんだけど…、その子の面倒も見て欲しいと言う事なんだ。」
「先輩、それって住み込みですか? 私には唯がいるんですよ。この子すごい人見知りで・・・。」
 綾瀬はその先を言おうとする美佐子を手で制して唯に訊ねる。
「唯ちゃん、龍之介がお兄ちゃんになるって言ったんだって?」
「そうだよ、指切りもしたの。」
「そうか。龍之介も妹が出来たって喜んでたよ。」
「ほんと!」
「唯ちゃんは龍之介の事好きか?」
「うん!」
 力いっぱい頷く唯。再び綾瀬は美佐子の方に向き直り、
「と、言う事なんだけど。」
 
 ところが、美佐子の方は何故か綾瀬を睨みつけている。そして低い声で
「・・・加えて喫茶店も経営して欲しい・・・と。」
「いや、そこまでは言ってないんだけど・・・ね。」
 たじろぐ綾瀬。
「1つ確認しておきたいんですけど。」
 相変わらずの低い声。
「な、なにかな?」
「私に龍之介くんを預けて自分は好き勝手出来るとか思ってませんか?」
「そ、そんな事あるわけないじゃないか。」
 多少そういう気持ちがあったのかどもっている。
「どうしてどもるんです?」
「どもってなんかいないよ。それよりどうなの、俺としては是非お願いしたいんだけど。」
「条件があります。」
「条件?」
「半年に1回は龍之介くんに会いに戻ってくる事、それとは別に恵さんの命日と年末年始ぐらいには帰って来て欲しいですね。」
「それだけ? 大丈夫そのくらいなら何とかなるよ・・・多分。」
 後になってそれが大きな間違いだった事がわかるのだが、それはまた後の話になる。
「あの・・・ちなみにそれ守れなかったらどうなるの。」
 美佐子の目がキラッと光る     
「聞きたいんですか?」
 と更に低い声で返されてしまった。
「いや、いいです。・・・それじゃ引き受けてくれるの。」
「あ、もう1つだけあります。」
「ま、まだあるの。」
「ええ。この喫茶店も私に任せてもらえませんか。」




「おれ、夏休みが終わったら引っ越しちゃうかもしれないんだ。」

 友美にしてみれば晴天の霹靂だった。物心がつく前から一緒に遊び、一緒の幼稚園に行き、一緒の小学校に通った自分の初恋の相手が引っ越してしまう。そんな2流のラブコメみたいな展開(< by ZEKE)が自分に起こるとは思わなかった。
「ど、どうして!?」
 当然のように友美が反駁する。
「まだはっきりとはしてないんだけどさ。ほら、俺の父さん年中出かけているの知っているだろう。今までは母さんがいたからいいけど・・・死んじゃったからさ。」
「じゃあもう会えないの?」
 既に友美の涙は臨戦態勢である。
「行き先にもよるけど爺ちゃん達は外国だし、母さんの妹が北海道の方にいるって話だから多分そのどっちかだな。」
 どちらにしても気軽に訪ねられる距離ではない。
「いいじゃない、このままあの家に住んでも。お掃除だってお洗濯だって私がやってあげるから」
 ポロポロ涙をこぼしながら龍之介に訴える。聞きようによってはものすごい大胆発言である。
「絶対泣かないって言ったのは誰だよ。」
「だって・・・。」
 しゃくり上げる友美。
「まだ半月あるからさ、明日は一緒にプールに行こうぜ。」
「・・・・・・。」
「返事をしろよ。」
「・・・うん。」
「よし。じゃ、帰ろうぜ。」
 歩き出す龍之介。だが友美はその場から動かない。
「しょうがねーなー。」
 そう言って龍之介は友美の手を取り歩き始めた。




「じゃあ詳しい事は明後日という事にして、今日はこれで・・・。」
「ありがとう、助かったよ。正直なところ君が引き受けてくれなかったら教授の話し断ろうかと思っていたんだ。」
「龍之介くんにはその方が良かったかも知れないですけどね。」
「それはわからないよ。」
 と、唯を見やり
「こんな可愛い妹が出来るんだから・・・な、唯ちゃん。」
「・・・・・・。」
「唯、いつまでもふてくされているんじゃありません。」
 結局、龍之介に会えずに帰る事になり不機嫌なのである。
「ごめんな、でもここで暮らすようになれば嫌でも毎日顔を合わせる事になるんだからさ。」
 綾瀬がそう言って慰めるがあまり効果は無いようだった。スツールから飛び降りてさっさと出口の方へ歩いていく。
「もう、あの娘ったら・・・。」
「はは、ずいぶん気に入られたみたいだな龍之介の奴。」
「もっと落ち込むかと思ってたんですけど・・・。龍之介くんに感謝しなくちゃいけないですね。」
「おかーさん、早く行こ。」
「はいはい。じゃ、あの娘の気が変わらないうちに帰ります。」
「ああ、気をつけて。」
 唯がドアを開けて外へ出る。美佐子、そして見送るために綾瀬が続く。
 いち早く気付いたのは唯だった。道路の向こうから歩いてくる2つの影に・・・。
「おにいちゃん!」
そう呼び掛けると唯は元気に走りだした。

 龍之介はその声が聞こえた瞬間、反射的に友美の手を離した。声の主は50M程先の自宅前にいたがすぐに駆け寄ってきた。
 唯は二人の目の前まで来ると呼吸を整えつつ
「どこ行ってたの、唯ずっと待ってたんだよ。」
 急にそんな事言われても困る。確かにいつでも遊びに来いとは言ったが・・・。
「今日来るなんて知らなかったんだから仕方ないじゃないか。それより何しに来たんだ?」
「おにいちゃんに会いに来たの。おかーさんも一緒だよ。」

 突然つないでいた手を離され、更に会話に入り込めない友美は当然面白くない。自分の存在をアピールすべく龍之介のシャツの裾を引っ張る。
「なんだよ友美、あっこいつ隣に住んでる水野友美ってんだ。」
「水野 友美です。はじめまして、えーと・・・。」
「あの・・・鳴沢 唯です。」
 急に声が小さくなる。人見知りの本領発揮といったところだろうか。
「そっか、龍くんは唯ちゃんの所に行くんだ。」
 頭の回転が早いというか早とちりというか、友美が寂しそうに呟く。しかし話の流れからすれば当然だろう。
 喫茶店の扉の所にいる女性は北海道に住むという龍之介の叔母で、その娘が唯である事を友美は想像したのである。
 ところが目の前にいる唯はそれをあっさりと否定した。
「ちがうよ、唯がおにいちゃんの家へ来るの。」
「えっ!」 「へっ!」
 二人が同時に声をあげる。
「じ、じゃあ龍くん引っ越さなくていいの?」
 問いつめる友美の迫力に唯が後ずさりつつ
「ゆ、唯はよくわからないけど、おかーさんとおじさんが話してたのはそういう事みたい。」
 今度は友美が綾瀬の元に駆け出した。




「おじ様!」
「やあ、友美ちゃん。こんにちは。」
「あの、龍くん、いえ龍之介くん引っ越さないで済むんですか。」
 普段の友美ならまずあいさつを返すのだが、よほど慌てていたのか用件が先に出てきてしまった。
「なんだ、もう龍之介からきいちゃったの。大丈夫だよその話無くなったから。」
「ほ、本当ですか。」
 友美の目にまた涙が溢れてくる。しかし今度は先ほどまでの涙とは違う、紛れもなく嬉し涙だ。
 だが、次の綾瀬の言葉は友美にとって聞き捨てならなかった。
「ああ、おじさんの友達が龍之介の面倒を見てくれる事になったんだ。」
 綾瀬の隣にいた美佐子がにっこり微笑んでちょっと頭を下げる。
(と、友達って・・・。)「あ、あの・・・おば様の妹さんじゃないんですか?」
「えっ、おばさんの妹はまだ結婚してないんだ。それなのに子供がいたら益々お嫁のもらい手が無くなっちゃうでしょ。」
「じゃあ唯ちゃんは・・・。」(なんで龍くんの事お兄ちゃんなんて呼んでるの?)
 友美にとって「お兄ちゃん」と呼べるのは、文字通り本当の兄か年上の従兄弟くらいだと思っていたのである。
「唯はおばさんの娘よ。」
 おばさんという言葉が似つかわしくない美佐子が答える。
「そうそう、唯ちゃんも友美ちゃんと同じ8歳だから仲良くしてあげてね。」
 綾瀬が思いだしたように言うが友美は上の空で「はい」と答えただけだった。そして背を向け再び龍之介と唯の方へ歩いて行く。

 その後ろ姿を見た綾瀬は
「やれやれ、我が息子ながらもてるなぁ。」
「あら、先輩の息子さんだからじゃないんですか?」
 美佐子が茶々をいれる。
「恵さんや圭ちゃんから色々と武勇伝を聞いてますよ。」
「なんだい、武勇伝って。」
「なんでしょう。」
 美佐子がちょっと意地悪っぽく言う。
「そ、そうだ、写真撮ろう、写真。記念になるからね。」
 都合が悪くなると話題を変えるのが綾瀬の・・・いや、男の悪いところだ。
 綾瀬がカメラを取りに喫茶店の中へ入って行くのを横目で見ながら美佐子は子供達の会話に耳を傾けた。



「龍くん、明日プールに連れてってくれる約束覚えてる?」
「ん、ああ覚えてるよ。なんだよ急に。」
「プール! 唯も行く。」
「え、そりゃかまわないけど、お前水着なんか持ってきてるのか?」
「あ、持って・・・ない・・・や。」
「裸で泳ぐか?」
「うっ、ひっく、ひっく・・・ふぇ〜ん。」
「わっ、泣くなよ。じゃあ唯がこっちに来てから行くようにするからさ。」
「・・・龍くん!」
「な、なんだよ友美。」
「さっき約束したわよね、明日行くって。」
「じゃ、友美とは明日行って、唯が来てから・・・。」
「わ〜〜〜〜〜〜ん! 唯も一緒に行く〜〜〜。」
「はぁ、どうすりゃいいんだよ。」

 この年でこの様な修羅場を何度も経験すれば数年後に「ナンパの達人」称号を与えられるのもうなづける。だが今は二人の女の子に右往左往するだけである。
 見かねた美佐子が助け船を出す。
「唯、そんなわがままを言ってると龍之介くんに嫌われるわよ。」
「うっ、ひっく。」
「こんなわがままな妹いらないって言われるかもよ。」
「・・・・・・。」
「そしたらお兄ちゃんって呼べなくなるわね。ねぇ、龍之介くん?」
 美佐子がウィンクをして龍之介に同意を求める。
「うんうん、泣いているばかりいる唯は嫌いだな。」
「ほら、龍之介くんもああ言ってる。今度来た時に一緒に連れてって貰いなさい。」
「・・・うん。」
 それを聞いて美佐子と龍之介は同時にホッとため息をついた。


「お〜〜〜い、写真撮るぞ。」
 そんな騒ぎは知らない綾瀬が喫茶店の中からカメラを持って出てきた。
「なんで写真なんか・・・。」
 文句を言いつつ龍之介は真ん中に立つ。
「しらんのか、アメリカじゃ一家で写真を撮るのが当たり前なんだぞ。」
「あ、じゃあたし外れてます。」
 友美がフレームの外に出ようとする。
「いーのいーの。友美ちゃんは家族みたいなもんだからね。はい、写すよー。」
 シャッターの切れる音。
「先輩、それじゃ先輩が写らないじゃないですか。」
「そうだな。じゃ今度誰か撮って。」
「それじゃあ、今度こそ私がシャッター押せばいいんだ。」
 友美が綾瀬からカメラを受け取る。
「悪いね、友美ちゃん。」
 4人が笑顔をつくる。
「はい、それじゃ写しまーす。・・・はい、チーズ。」


     今日のこの日を歩いていこう 私たちは今を生きているのだから

     出会いは悲しみから始まったけれど

     それはかけがえのない素敵な出会い

     様々な出来事が絡み合ってできた

    「最大の悲劇」の中の「最高の出会い」

     そして

     それぞれの思いを胸に抱いた これからの十年の最初の一歩




☆  エピローグ  ☆



 喫茶店の前には龍之介と唯だけが取り残された格好になった。
 綾瀬と美佐子は友美と一緒に水野家へあいさつと今後についてを説明しに行ってしまった。
「おにいちゃん、それなに?」
 喫茶店のポーチにある階段に座り込んだ唯の目に龍之介のポケットからはみ出したリボンが写った。
「ああこれか、リボンだよ。」
 そう言って取り出してみせる。
「そんなのわかってるよ。どうしてそんな物を持っているのか聞いてるの。」
 どうして持っているのかと言われても理由はない。単に捨てるに捨てられなかっただけである。
 ふと、座り込んだ唯を見おろすと髪が2箇所アクセサリー付のゴムで留められている。龍之介は得意になって、
「これはな、こうするために持ってたのさ。」
 そう言って留められたゴムの上から真白なリボンを結わえ付ける。
「な、なにしてるの。」
「うごくなよ、うまく結べないだろ。・・・よし、出来た。唯はまだこの街に慣れてないからな。こうしておけば目立つから俺がすぐに見つけてやるよ。それに、この方が断然可愛いよ。」
「そんな事言ったって唯にはどうなっているかわからないよ。」
 喫茶店の窓に写してみせるが外は暗くなっており店内が明るいので自分の姿は写らない。
「こっちこっち。店の中に入ればわかるよ。」
 龍之介が唯を手招きする。
 なるほど店内のガラスは鏡のように店の中の物を写している。唯はガラスの前に立ち、しばらく首を傾げたり、横を向いたりしていたが
「ねぇ、変じゃない?」
「変じゃないよ、良く似合ってる。・・・あ、取っちゃダメだよ」
 頭に手をやろうとする唯をあわててを止める。
「そうかなぁ。」
 といいつつ、まんざらでもなさそうである。
「うん、おれは好きだなこの方が。」
「ほんと! じゃ、唯はずっとこのままでいるね。」
「ずっと? 10年も20年もそのままなのか?」
「そう。10年経っても、そのまた10年経っても、『似合わないから取れ』っておにいちゃんが言うまで、ずっと・・・。」

  ずっと・・・・。


『未来へのプレゼント』了



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