向日葵

〜もうひとりのセカンドチルドレン〜



■ Ninth Act …… ルビーとエメラルド ■



Presented by 史上最大の作戦





 その言葉を聞いた時の瞬間的なアスカの反応は、素早かった。
「言いたくなきゃ……言わなくていいのよ」
 珍しく気を使っている。だがアレックスは少し笑っただけだ。
「ここまで言っちまったら、言うも言わないも一緒さ。それにお前になら喋っても構
わん。誰にも言わないだろうから」
「……」
「ま、話せば大した事はないんだけどさ。ドラマや本の中にはいくらでも転がってる」
 照れ笑いに近い。
「ほら、俺達ってセカンドインパクトの次の年に生まれたろ」
「うん」
「俺のお袋ってのがさ、セカンドインパクトの当時ネバダ州のハイスクール卒業して
て、いたって普通の会社に勤めてたんだけどな。
 何であの親父と知り合ったかは知らない。お袋もあんまり話したがらなかったしな。
セカンドインパクトの直前、一緒に暮らしてたらしい」
 考えてみれば自分の出自を明かしているのだから、それなりの雰囲気や気分という
ものがあるのだろうが、この少年が話すとまるで今日の天候の話をしているような感
じがしてならない。
「んで、例のセカンドインパクトがあった……」
 勿論、アスカにもアレックスにも、その記憶はない。生まれていないのだから。
 いや、誕生日から計算すると、既に母の胎内にいたはずだ。「赤ちゃんはコウノト
リが運んでくる」などという話を信じる年齢はとうに過ぎている。
「幸い、両親(この言葉を使った瞬間、アレックスの表情に僅かな影が走った)の住
んでた場所は海から遠くて、そんなに被害はなかったらしい。
 だけど国連軍に勤務していた親父は、それこそ不眠不休で復旧作業さ。
 それでも、お袋は幸せだったらしい。俺にはあんな奴のどこがいいのか、さっぱり
分からんけどな」
 四角四面の顔をした司令の顔を思い出し、アレックスとアスカは同時に少しだけ笑
った。
 その笑いがおさまるころ、アレックスはぽつりと呟いた。
「けど、親父は戻らなかった」
「……」
「お袋が、妊娠した事を話した1週間後だった……らしい」
「!」
 アスカは目を見開いた。
 ……棄てられたのだ、アレックスは。
 生まれる前に、この世で一言も発しないうちに、父親から「お前はいらないよ」と
言われたのだ。
 祝福される子供ではなく、生みの親からさえも疎まれる子供だったのだ。
 アスカの背中が冷たくなった。
 同じだ。
 自分のママである事をやめたアスカの母親と、親父である事をやめたアレックスの
父親。
 鏡対称のように、二人は同じだ。
 その「もう一人のアスカ」は、笑い顔を崩さずに言った。
「不思議とさ、俺は親父を殺したいほど憎いわけでもないんだ。気持ちは何となく分
からないでもないしな。方やただのうだつの上がらない会社員、方や国連軍のエリー
トだ。釣り合いが取れないよ」
 いつもと変わりないアレックスの口調だったが、そこにアスカは欺瞞を見た。
(無理してる)
 恐らく母親から自分の出自にまつわる話を聞いた瞬間、アレックスは父親に殺意さ
え抱いたはずだ。
いや、もしかすると今も……。
 薄ぼんやりとした少年の表情の裏にある何かを、アスカは見たような気がした。
「お袋は、一人で俺を産んで育てた。『何で堕ろさなかったんだ』って訊きたかった
けどさ、それって本人が言う台詞じゃねぇもんな」
 アスカと違うところを見つけた。
 アスカには母親がいなくなった時点で誰もいなくなったが、アレックスには父親を
失くした後、母親がいた。
 その差は、大きい。正にしても負にしても。
「そりゃああの時代、全世界が混乱していた時代に女手一つで子供を育てるのって、
並大抵の事じゃなかったろうな。お袋は直接言わなかったけど、そのくらいの事は俺
にだって分かる」
 ふと、アスカの心に去来した疑問がある。
それほど深く考えずに、話の接ぎ穂程度の口調でアスカはその疑問を口にした。
「お母さんは、その……司令の事は?」
 何気ない質問のはずだった。非個性的な答えが返ってくるはずだった。
 違った。
 アレックスの顔は、その言葉を聞いた瞬間に、凍ったのだ。
「!」
 アスカは息を呑んで、少年の顔を見た。
 初めて見る顔だった。
 泣いているとも怒っているともつかない、顔。
 言葉を一生懸命探している風のアレックスが、やがて苦しそうに……それも初めて
見る姿だった……絞り出した。
「憎んでいた……いたんだ」
「?」
 なぜ過去形を使ったのだろう。
(お母さんが……亡くなったから?)
 違う。
 直感的に、アスカはその選択肢を排除した。
「そりゃもう、苦労させられたからな。生まれた時から呪詛を子守り歌にして育った
ようなもんさ。『お前は父親に棄てられた子供だ、棄てられた子供だ』って」
「……」
「親父もひでぇが、お袋もひでぇな。言わなきゃ俺も知らずに平和な生活を送れたの
に」
 分からなくなった。
 アレックスは誰を憎んでいるんだろう。
「そのままなら、そのままだったなら、こっちも気楽なんだけどな……」
 アレックスは肩をすくめた。
「?」
「お前と会う、ちょっと前なんだけど、さ……」
 アレックスは何気なく言った。


「お袋は、俺を親父に売ったんだ」


  少年は、家に入った瞬間に異変を感じた。
  何が違うというのでもない。空気が、変質していた。
 「……何だろう?」
  何という事もない、いつも通りの学校帰り。
  家に入った、その玄関先で少年は首をかしげたのだ。
  すぐ、二つの点に気付いた。
  一つは目の前、ポーチに几帳面に並べられた革靴。
  母親と二人暮らしだから、絶対に日常生活では目にしない。
  そしてもう一つは、空気の中にあった。
  男臭い、オーデコロンの香り。
 「……誰か来てんのか?」
  もう子供ではなかったから、母親が今まで何人かの男と知り合っていると
  いう事は知っていた。
  最近はご無沙汰だったが、また「恋人」でもできたんだろうか。
 「ま、しょうがないけどな」
  少年はひとりごちた。
  「そろそろ新しい人見つけろよ」、これは少年が事あるごとに母親に告げ
  ていた言葉だ。いずれ少年も大人になり、家を出る。残されたのが一人と
  二人では意味合いがまるで違うだろう。
 「挨拶でも……すっかな」
  スニーカーを革靴の隣に並べ、少年はリビングの方に向かった。
 「ただいまぁ……」
  きちんとドアをノックして開ける。普段はめったにやらない。
 「あら、お帰り、アレックス」
  女性の声がした。
 「……?」
  一瞬、分からなかった。母親の声だと一瞬気付かなかった。
  華やいでいるような、妙にハイな声。
  「酔っ払っているような声」だというのが、一番近いかもしれない。
 「お客さんかい、母さん?」
  アレックスはソファに座ってこちらに背を向けている人物に気付いていた。
  肩幅の広い、大柄な男である。
 「え、ええ……」
  母親は少し、言葉を濁した。表情が曇る。
  その言葉に誘われるように、男は立ちあがり、こちらを向いた。
  鷲鼻の下に見事な髭。目は少年と同じエメラルド色。
  丁寧に挨拶しようとして。
 「……え〜と……あれ?」
  少年は首をかしげた。
  見たこともない男だ。
  だが、どこかで見たことがある。
  母親は下を向いて、アレックスと目を合わせようとしない。
  こちらを見ないまま、おずおずと告げた。
 「アレックス……その……」
  だが単語は言葉にならない。
 「どこかで見た覚えがあるな」
  母親と目の前の男、等分に話し掛けるように少年は言った。
  男の方が、先に口を開いた。
 「アレックス・カーレン君……だね」
 「住民票ではそうなっていますが」
 「そして、私の息子でもある」
  少年は、一瞬考え込んだ。
 「…………」
  次の瞬間、少年の声は激した。
 「……母さん!」
  鋭い舌鋒だったが、母親には届かなかった。
  決してこちらを見ようともせずに、母親は少年に言ったのだ。
 「そう……お前のお父さんよ、アレックス」
 「んなこたぁ関係ない!どうして家にこいつがいるんだ!何でこいつを上げ
  たんだよ、母さん!」
  完全に思い出した。
  この男から髭を取ったら、古い写真で見たことのある「あの男」と同じだ。
  記憶は憎悪を伴っていた。
  間接的な記憶。母親から伝えられた憎悪の記憶。
  その対象が、顔色一つ変えずに言った。
 「君を迎えに来たんだよ、アレックス」
 「……んだとぉ?」
  少年は一歩前に出た。
  喧嘩なら自信があった。「父なし子」という肩書きは、格好のいじめの対
  象になる。自衛のために強くなったようなものだが。
  対する父親の顔は、微動だにしない。
 「何を今更言ってるんだ、あんた」
 「アレックス……君は選ばれたんだ」
 「違うね、俺は棄てられたんだ、あんたに……。選ばれた?」
  やり返した後に、その言葉の意味が引っかかった。
 「選ばれた……って、俺が何に選ばれたんだ?」
 「人類を守る、パイロットにだ」
 「……は?」
  突拍子もない言葉だった。
 「私と一緒に来なさい、アレックス。君にしかできないんだ」
 「何が」
 「ついてくれば分かる」
 「よく言うぜ、十何年も放ったらかしにしておいて、今更何を言い出すんだ
  よ。しかもなんだ?人類を守るパイロットだ?その歳で子供向けTV漫画
  でも見てるのか?」
  アレックスの皮肉にも、父親は動じる顔を見せない。
 「来なさい。母さんの許可は取ってある」
 「……母さん!」
  少年は振り返り、鋭い視線で母親を射た。
  母親はうつむいたまま。一度も視線を合わせようとしない。
 「母さん……何で?」
 「……」
 「あれほどこいつの事を散々言っといて、何だよそれ!」
  動いた視線が、テーブルの上にある「もの」を見つけた。
 「……!」
  それは、銀行のカードだった。真新しい。
  ……少年は、それだけで全てを察した。
  怒りは頂点を過ぎると、無風になるものらしい。
 「……なるほど」
  打って変わって静かな声で、少年は呟いた。
 「なるほど、既に話はついていたのか」
 「どう思われても構わん。言い訳をするつもりもない」
 「そりゃ勝手な話だぜ、あんた」
  少年は、がっくりと肩を落とした。
 「……いいだろう、どこへ連れて行こうと好きにしろ」
 「悪いようにはしない」
 「好きにしろと言った。ただし一言だけ言っておく」
 「何かね」
  少年は、淡々と告げた。
 「俺はあんたに命令されて行くんじゃない。あんたは俺の父親でも何でもな
  い。俺は母さんに……母さんに行けと言われたから行くんだ。覚えとけ」


「……んで、連れてこられたのがNERV北米支部さ」
「……」
 アスカは黙りこくったまま。
「……ひどい母親ね」
 ようやくそれだけを口にした。
「そうでもないさ。人間、何だかんだ言っても所詮そんなもんだろう」
「……」
 アレックスの口調には、どことなく達観した節が見受けられる。
「俺はお袋を恨んじゃいない。女手一つで俺を育ててくれたんだ、そりゃ経済的には
ものすごく辛かったと思うよ。そこへ親父がしゃしゃり出てきてポンと金を見せりゃ、
誘惑されない方がおかしい。少なくとも、生まれてきてから散々迷惑かけた俺が恨む
筋合いはないさ」
「人間って……そんなに弱いかな」
「ああ、弱い」
 珍しく、きっぱりとした言い方だった。
「ま、死んだ人間の事を悪く言ってもしょうがないか」
「お母さんの死因……知ってるの?」
「いんや。親父なら知ってると思うけど、訊く気も起きねぇしな」
 アレックスは数歩歩き出した。
「……ま、お前はこんな他人の家の事情なんか詮索せずに、明日の最終試験の事を考
えてろや」
 そう言えば、そうだった。本来ならこんな所で話し込んでいる場合ではないような
気がする。
 ましてや、目の前にいる少年は他でもない、そのライバルなのだ。
「そう……ね」
 アスカは頷いて立ち上がり、ズボンについた土埃を軽く払った。
 アレックスに対して抱いていたわだかまりは、完全とは言わないまでも失われてい
た。
「それじゃ、明日の試験……」
「おう」
 アスカは踵を返して本部の方へ戻ろうとした。
 その足を止めたのは、アレックスの声だった。
「……アスカ」
「何?」
 肩越しに振り返って、アスカは少年に訊ね返した。
 アレックスは、こちらに背中を向けていた。
 ぼんやりと向日葵を見上げながら、ぽつりぽつりと呟くように言う。
「……確かお前、この間何で俺がエヴァに乗るのか知りたがってたな」
「そうだけど?」
「あの時……訊かれた時、俺確か答えなかったよな」
「うん」
「あれな……分かんなかったんだ、あの時。何で自分がエヴァに乗るのかって。何で
乗ってるのかって」
「……」
 アスカは慎重にアレックスの背中を見ている。一つの身体の動きも、一つの心の動
きも見逃さないよう。
 だが、それでも少年の背中からは何も伝わってこない。
 その背中が再び、声を発した。
「今なら、分かるような気がする。お袋が死んだ今なら」
「……」
 何で、とは訊かなかった。言葉にすれば好奇心が表に出てしまいそうで。
「本当の所はまだ俺にもよく分からんけど……」
 アレックスの声は、無表情だった。


「多分俺は、あの二人……親父とお袋を見返してやるために、エヴァに乗ってるんだ
と思う。生まれる前に俺を棄てた親父と、俺を親父に売ったお袋に、さ」


 ……向日葵は、まだ咲いてはいなかった。




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