向日葵

〜もうひとりのセカンドチルドレン〜



■ Second Act …… 夜明け前の時間 ■



Presented by 史上最大の作戦





 ……アスカは、夢を見るのが嫌いだ。
 哀しい夢……だからではない。いや、哀しいだろうか。
 幼い頃の夢は、やはり哀しいのだろうか。
 今は手に入らないから。
 夢が幸せであればあるほど、その夢は目覚めたときに哀しい。
 夢の中でそれを知ることができるほど、アスカは夢を見続けていた。
 だから嫌い。


「ママ〜!」
 幸せな時代は、キンポウゲの草原を渡る風。
 ざわわ、ざわわ。
 黄金色の空気は暖かく、羽毛のようにアスカの頬を渡る。
 夕暮れ一歩手前の、昼下がりの草原。そこをアスカは走っていた。
「私選ばれたの、世界を守るパイロットに選ばれたのよ!」
 小さな足取りだが、弾むように軽やかに。
 風の回廊に片足を乗せて。
 ざわわ、ざわわ。
「私が世界一なのよ〜!」
 行っちゃダメ。
 夢の世界は美しく、まるで丹精込めて作り上げた箱庭のよう。
 それを見下ろす「他の自分」が、懸命に幼いアスカを止めようとしていた。
 行っちゃダメ。
 幼かった……と、「他の自分」は思う。
 精神のバランスが破綻した母親。その原因が何にあるかは知らないが、アスカは無
邪気だった。
 あたしがパイロットに選ばれた事を知れば、ママはきっと元の優しいママに戻って
くれる。
 そんな単純な幻想が信じられるほど、幼かったあの頃。
 何度も同じ夢を見る。繰り返し、繰り返し、数え切れないほどに。
 その中でアスカは、同じ回数だけ「自分」を止めようとする。
 そして同じ回数だけ、失敗する。
 ざわわ、ざわわ。
 扉が開く。草原の真ん中に、突然扉が開く。
 それも夢のなせる業。時間の流れを時には遡り、時にはコマ落としのように駆け足
で走り抜ける。
 運命の歯車が崩壊へ向かう、きしむ音。
 ぶらり、ぶらり。
 空虚な振り子運動。
 小さな部屋だった。
 アスカの笑顔が、笑顔のままで凍り付く。
 ロープの先にぶら下がった、シルエット。
 ネグリジェの裾が、風に揺れていた。


 ざわわ、ざわわ。
 草原を渡る風に揺れていた。


「ママ……」
 呻きにも近い、あるいは悲鳴にも近い寝言だった。
 同時にパッチリと、アスカの瞼が開く。
「……う……」
 今度は本当の呻き声だった。
 喉の奥が少しイガイガする。声がしゃがれているのが分かった。LCLを飲んだ後
はいつもこうだ。あまり好きな感触ではない。
 目覚めと同時に、現実が潮騒のように訪れてきた。そして最初の波が沖へ戻る頃に
は、冷たい怒りが第二波となってやってくる。
「負けたんだ、私」
 ポツリと呟いてみた。
 怒りは勿論のこと。悔しさもある。
 だがそれは、額縁にはまった絵のように小さくまとまった物だった。何か一歩踏み
出せない怒り。怒る自分を見つめるもう一人の冷静な自分を、アスカは心のどこかで
認識していた。
 照明は落ちている。だがカーテンの向こう、窓の外からは小さく人の話し声や車の
音が聞こえてくる。カーテンの隙間から洩れる光を見るまでもなく、まだ太陽は高い。
「どのくらい、眠ってたのかな……?」
 恐らく、長くとも数時間。ひょっとしたら一時間くらいのものかもしれない。まさ
か一日ということはないだろう。それくらいは、体内時計が教えてくれる。
 ごろりと、アスカは身体を転がしてみた。プラグスーツは脱がされ、今は薄紫のパ
ジャマだ。お気に入りなのだが、気絶している間に着替えさせてくれたのが女性職員
であることを、アスカは願ってやまなかった。年頃なのだ。
 腰まである長い髪をそっと指先ですいてみる。触れなければ分からないほどの湿り
気が人差し指にまとわりついた。やはりそう長い間眠っていたのではなさそうだ。
 同時に、こうしてじっとしていないと分からないほどの臭気が、アスカの鼻孔をく
すぐった。
「血の匂いがする……」
 どこか鉄臭い、長い間嗅いでいると心のどこかが走り出しそうでウズウズするよう
な匂いだった。
 発生源は、自分の髪の毛から。
「血の匂い……LCLのかな」
 何度か嗅いだことのある匂いだった。模擬戦が終わって、あるいはシンクロテスト
が終わって、シャワーを浴びるまでの間。
 肺から液体を吐き出す時に、つんと鼻につく匂い。
 本物の「血の匂い」というのを、アスカは嗅いだことがない。いや、恐らく大抵の
人が嗅いだことはないはずだ。
 なのにどうして、直感的に「血の匂い」だって、分かるんだろう。脳のどこかにプ
リントされた何かの記憶が、思い出させるのだろうか。
 母の胎内にいた頃の記憶が、思い出させるのだろうか。
 だからLCLの中にいると、妙に落ち着く。待機中にじっとしていると、心音さえ
も聞こえてきそうな感覚。
 しかしそれは、本当に心から落ち着ける場所だっただろうか。
 自己欺瞞。単なる代償行為。
 アスカはただ、還りたかっただけ。
 母の子宮に、還りたかっただけ。
 失った物を取り戻すためには、失う前に戻る必要がある。そんな時だってある。
 例えそれが不可能だと知っていても。


「お〜っす、アスカぁ」
 どこかぼけ〜っとした声とともに、自動ドアが空気の摩擦音とともに開いた。
「……アレックス」
 少年も既にプラグスーツを脱ぎ、黒のTシャツにGパン姿だ。「お仕着せ」のよう
な戦闘用スーツよりも、こっちの方が遥かに似合う。
「お〜気が付いたかぁ、飯だ飯、飯持ってきたぞ〜」
 普段のアスカなら、絶対に口をききたくなかっただろう。プライドが服を着て歩い
ているような彼女にしてみれば、たとえ模擬戦とはいえ「負けた」という事実を受け
止めることは、とうてい希望しないし許容できない。
 ましてや、アスカは未だに実戦を経験したことがない。模擬戦が全てのキャリア。
その中で付けられた土は、彼女にとって恐ろしく苦い味がするだろう。
 しかし、今のアスカは妙に冷静だった。目の前にいる少年の屈託のない笑顔は、原
因の一つであるが全てではない。
 アレックスが運んできたキャリアの上に載せられた食事を見て、アスカは少し首を
傾げた。
「ちょっと多すぎるんじゃない?」
「いや〜、二人分。俺も実は飯まだでさぁ、一緒に食わないかなぁって思って」
「ドクターの許可は出てるの?」
 これは自分の身体の事だ。砂漠の中から見つけだされたダイヤモンドのような存在
の「チルドレン」は、偏執的とも言える監視と検査の中に置かれている。それがたと
え小さな怪我であっても、まるで死病を患ったように扱われるのが「チルドレン」の
宿命だ。
「さあ。でも大丈夫なんじゃないかなぁ」
 のほほんとした声が、そんな宿命を綺麗さっぱり吹き飛ばしてしまった。ニコニコ
笑っている姿を見ていると、とても先ほどまであの巨人を思うがままに操っていた人
物と同一とは思えない。思わず苦笑するアスカ。
「ほんっと、あんたってどこか頭のネジが一本ゆるんでんじゃないの?」
「そっかなぁ?」
「絶対そうよ。保証してもいいわ」
 と言うと、アスカはひょいと手を伸ばし、クロワッサンを一つ取った。実はかなり
お腹の虫が騒いでいたのだ。
「あ、俺も俺も。いっただっきま〜す」
 自分の分まで取られるとでも思ったか、アレックスも大慌てでスープ皿を確保する。
 しばらく、無言で食事の時間が流れた。
「……今度は、負けないからね」
 やがてスプーンを置いたアスカの呟きは、可聴音域ギリギリだった。
「はん?」
 口一杯にカツレツをほおばった形のアレックスは、半分眠っているような眼を向け
る。別に模擬戦の疲れではなく、普段からこういう眼なのだ。見開けば綺麗なエメラ
ルドグリーンの瞳が見えるのだが、瞼で半分以上が隠れている。
 もう一度言おうとして、だがアスカは口ごもった。
「……ううん、何でもない」
「変だぞアスカ、何か妙に大人しいじゃないか。お前らしくもない」
 大人しい自分がどうして「らしくない」のか一度訊いてみたい気もするが、まるで
時化の後の凪のように、アスカは静かだった。その気持ちが確かに、自分でも不思議
である。
 ぼんやりしていてもやはり育ち盛りの男の子だ、アレックスの前にあるトレイは完
全に空っぽになっている。アスカも気絶から醒めた割にはかなりの健啖家ぶりで、ス
ープを少し残しただけだ。
 これ以上食べないと思ったのだろう、アレックスは立ち上がってトレイをキャリア
に載せた。
「んじゃ、下げとくわ」
「ありがと」
 アスカが素直に礼を言うと、緑玉色の瞳をした少年は肩越しにじろりと彼女を一瞥
した。
「……ほんっとに気味悪いなぁ。何か悪い物でも食ったか?」
「あんたと同じ物しか食べてないわよ」
 まあ、それもそうだ。肩をすくめるアレックス。
「あ、そうだ。後で検査があるらしいぞ。リンネ先生が言ってた。次の授業は欠席し
てもいいそうだ」
 二人を含む「チルドレン」達の健康管理を担当する医師の名前を、アレックスは挙
げた。
「え〜、やだなぁ」
 アスカの表情は心底嫌そうだ。市井の病院とは全く違う、それこそ内蔵の隅から隅
まで調べ回される検査は、思い出しただけで不快感が先に立つ。女医なのがせめても
の救いだ。
「ちゃんと診てもらえよ。どうもお前、変だ」
「変で悪かったわね、バ〜カ!」
 アスカは細い眉をいからせ、大きく舌を出した。本人にしてみれば悪意の意志表示
なのだが、このぼけ〜っとした少年には柳に風だ。
「あはは、それでいいそれで」
 ガラスを水晶で砕くような笑い声を響かせると、少年はドアの向こうに消えた。
 ベッドの上に残されたアスカは、しばらくしてコツコツと自分の頭を叩く。
「……変かな、やっぱし」
 自分でも妙な気分だった。
 枕元にあるスイッチを押すと、アレックスがいた時には点けていた部屋の照明が薄
くなる。
 検査を受ける前に、もう少し眠ろうと思ったのだ。理由は分からないけれど、あの
「夢」をまた見るとは、不思議と思わなかった。


「……かくして、世間で言うところの『セカンドインパクト』が、西暦2000年に
南極大陸にて勃発した。対外的には、いや全世界中の大半があの出来事を巨大隕石の
衝突によるものと思いこみ、疑おうともしない。だが諸君も承知の通り、それは我々
NERVによる情報操作に他ならない。
 理由は勿論分かっているな。『使徒』だ」
 老境に差し掛からんとする教師が、ともするとずり落ちそうになる眼鏡を左手で何
度も押し上げ、手元のリモコンを操作した。
 窓のない教室の照明がフッと落ち、教師の背後にあった64インチのモニタが灯る。
 同時に、部屋の方々から「へぇ」とも「ほう」ともつかぬ溜息があがった。もう少
し人数が多ければ、それは「どよめき」だったかもしれない。
 モニタに、そして机に座る「チルドレン」達の手元にある端末のディスプレイに写
し出された物、それは一言で言うなれば「光の巨人」だった。
 吹雪の中だった。少し粒子の荒い写真だが、雪の欠片が充分に見て取れる。それく
らい風雪が激しかったということか。
 そしてその中に厳然としてそびえ立つ巨人。正確なサイズは分からない。比較対象
となる物が他にないのだ。だが手前に写っている物が基地のアンテナならば、その大
きさは途方もない。
 全身が、発光体だった。蛍や夜光虫のような光とはまるで違う、太陽の下でもそれ
と分かる光である。
「あ〜、今見せているファイルは複製禁止だ。コマンドも受け付けないから、今のう
ちによく見ておくように」
 幾人かの『チルドレン』がマウスを操作しているのを見て、教師は機先を制した。
確かにこれほど凄い物があれば、手元に保存したいという気持ちも分かる。
「繰り返すようだが、この画像ファイルはNERVの機密コード、SSだ。ファイル
機密コードSSの意味は、カーレン君」
 急に指されて驚いたのだろう、最後尾に座っていたアレックスは慌てて組んでいた
足を解いた。
 教室中の視線が集まる。と言っても、せいぜい12、3人くらいのものだ。
 だが教師を除いた全員が、自分と同じ14歳。少年もいれば少女もいる。そのあた
りが、普通の学校と違和感を感じさせなかった。
 椅子から立ち上がらずに、アレックスは回答する。
「え〜と、『公開及び複製不可、尉官以下の閲覧禁止。例外規定はチルドレンと非軍
人の管理責任者』持ち出し規定は……え〜と、『個別にID管理されたディスクによ
るものとし、管理区域レベル5以上でのみ持ち運び可。閲覧は完全スタンドアロンの
コンピュータ、あるいは20台以内のLANでありかつ外部ネットワークとは独立し
た場所でのみ可能。それ以外はディスク挿入時点でディスク内容が消去される。以上
に違反した場合、罰則は最高でA、つまりID削除及び無期限の身柄拘束』、多分そ
うだったと思います」
 半分以上眠っていたところを起こされたとは思えぬほどすらすらと答えたアレック
スだったが、最後の言葉が教師の癇に障ったようだ。
「『多分』などという曖昧な言葉は慎みたまえ。それで正解だ」
「はぁ、どうも」
 あまり嬉しそうでも恐縮してそうでもない顔で、アレックスは頭をかいた。
 教師はそんな少年から視線を外すと、全員に告げた。
「というわけで、『チルドレン』と言えども持ち出し規定に例外はない。もっとも、
持ち出すことさえできないんだがな。さて……」
 言うと、教師はスクリーンを軽く指先で指した。
「見ての通り、南極大陸に忽然と現れたこの『光の巨人』は、エヴァンゲリオンと同
じシルエットを持っている」
 再び、教室中の視線が一カ所に集まった。その中心にいる少年は、今この教室で唯
一「エヴァに乗ったことのある人間」なのだ。嫉妬と羨望のレベルは人それぞれだが、
濃度に違いがあるだけだ。
「なぜこの巨人がエヴァと酷似しているのか、エヴァとの関連性はあるのか、我々が
『使徒』と呼んでいる物達と何の関係があるのか、実は私もよく知らない。NERV
の最重要書庫にはかなりの確度でそれを説明したファイルがあるらしいが、これは機
密レベルSSSに相当する。君達も我々も、見ることはできない。レベルSSSの意
味を知っているかね、惣流君」
 「ソウリュウ」という単語を、ひどく言いにくそうに教師は口にした。東洋人の名
前というのは、英語圏の人間には発音しにくいものらしい。それなら素直に「ラング
レー君」と呼べばよいものなのだが、妙に律儀な教師ではある。
 だがその教師の努力は、無言の返事と「チルドレン」達の戸惑ったような視線に迎
え入れられた。
「あの〜、アスカなら今検査を受けてるところですがぁ」
 唯一事情を知るアレックスが伝える。
「……あ、あれ、そうだったかな。いかんいかん、年を取るとどうも物忘れが激しく
なるわい」
 照れ隠しのように老人はわざとらしく出席簿を眺めた。あれこれとハイテクの詰ま
った教室だが、こういう小物は案外と旧態然としている。
「ま、かいつまんで言うと最高レベルの機密ということだ。脅すわけではないが、そ
の文書を作った職員は行方知れずになっている。あまり詮索すると何だが、私は個人
的には諜報部の手によって何らかの処置をされたと思っている」
「下らんなぁ」
 アレックスの呟きは呟き以上の音域に達していなかったため、その言葉を聞いた人
間は本人を除いて皆無だった。
「しかし過去のことはこの際置いておく。問題は今現在、使徒が攻めてきているとい
う状況だ。日本の新第三東京市、この山間の都市にどうして使徒が攻めてくるのか、
それすらも依然として分かっていない。あの場所に何かあるのではないかという風説
も存在するが……」
 老教師が手元のマウスを操作すると、スクリーンに数枚の画像ファイルが開かれた。
「これが、今年に入って確認された『使徒』だ。その数、全部で三体」
 チルドレン達は一斉に身を乗り出した。それだけ、その画像も興味深い物だったか
らだ。
 一つは、前屈みになった人間の形をしていた。両肩が異常に張り出しており、全身
は真っ黒。真ん中に光る赤い光球と、どことなくユーモラスな顔が特徴だ。
 一つは、槍の穂先のような形状をした、紫色の物体。人間の形はしていない。両側
に伸びた鞭のような触手で攻撃するのだろう。
 最後の一つは、既に「生命体」の面影さえ捨てている。一言で言うなら、青いサイ
コロ。厳密に言うと、ピラミッドを二つ裏面でくっつけたような形である。
「我々はこれらを第三使徒、第四使徒、第五使徒と呼んでいる。先に見せた光の巨人
が第一使徒と呼称されるなら、その間には第二使徒が存在せねばならないが……これ
もまた、不明だ」
「分からない事だらけだなぁ」
 今度のアレックスの呟きは、少し大きかった。彼の両隣と前に座っている少年少女
が、チラリと振り返る。
 だが、その視線にもアレックスは無頓着だった。椅子の背に身体を預け両腕を組ん
だまま、ぼんやりとスクリーンを眺めている。


 検査は大嫌いだった。
 肉体的苦痛はさほどではない。問題は精神面の話だ。
 無痛注射を首筋にあてがわれるその手つき、肉体的異常を探そうと、それこそ口に
するのもはばかられるような場所をも素手でまさぐられる感触。
 まるで自分が人間ではなく、一個の「アスカ」としての物体あるいは記号として扱
われているような感覚は、時として猛烈な嘔吐感さえも伴う。
「……はい、OKね。どこにも異常はないわ」
 聴診器を耳から外して肩に掛けると、フランシス・リンネ医師はキーボードに何事
かを打ち込んだ。NERV内部のデータはほぼ全てが電算化され、医務室のカルテも
例外ではない。
 女医の言葉を聞くと、一糸まとわぬ姿のアスカは小さく頷いてブラジャーを手に取
った。
 自分でも不思議なのだが、アスカは下着を着ける時、パンティよりもブラジャーを
先に着る。よく分からない心の動きだろうか。カウンセリングも受け持つ、目の前に
座っている女医なら何らかの心理分析用語を思いつくかもしれない。だが、知ったと
ころでどうなるものでもない。単なる癖だと割り切った方が、気が楽だ。
「でも今日は随分とやりあったらしいじゃない。ここも揺れたわよ」
 肩まで伸びたウェーブのかかっている髪を揺すって、フランシスはアスカの顔を見
上げた。アレックスのそれよりは少し色が濃い金髪。ほんの少しの色の違いが、あの
ぼんやりした少年の持っていた品性をこの女性には持たせない。
 アスカは、この医者が嫌いだった。
「負ければ、派手だろうと地味だろうと関係ないわ」
 14歳とも思えぬ大人びた言い回しに、フランシスはマニキュアで固めた指先を口
元にやり、小さく笑った。
「ふふふ、言ってくれるじゃない。その調子だと、今度の模擬戦はわかんないわね」
「当たり前よ。あたしが勝つに決まってるじゃない」
 アスカにとってどうでもいい言葉の応酬。だから服を着る時間は短い。手が休まっ
ていないのだ。
 膝上でざっくりと切ったカットジーンズにTシャツ。その上からオレンジ色のパー
カーを羽織ると、アスカは手早く靴下を足に通した。
 先ほどまではいていた靴下だから、少し温もりが残っている。それがなんとも言え
ず気持ち悪い。潔癖症のきらいがあるアスカは、できるだけ一度脱いだ服や靴下はは
かないことにしている。
「すこ〜しだけメンタルレベルが落ちてる気がするけど……何かあった?」
 ディスプレイを眺めながら、フランシスはわざと何でもないような口調で訊ねた。
靴紐をほどいていたアスカの指先が、一瞬止まる。
「……何でもない。疲れてんのよ、多分」
「そうだといいんだけど……変よねぇ、身体にはどこも異常がないのに……」
 フランシスは小さく首を傾げている。その仕草もどこか、ここにはいない男に媚び
ている感じがして、アスカは嫌いだった。
「……夢を、見たの」
「夢?」
「そ」
 靴もはき終わった。スニーカーの爪先を床で何度か叩くと、アスカは女医の顔を見
ようともせずにドアへ向かった。
 パーカーの背中に、フランシスの声が当たる。
「どんな夢?哀しい夢だったの?」
 少しだけアスカは立ち止まった。
 自動ドアが開く時の、小さな空気音。
 それよりも少しだけ大きな声で、アスカはポツリと呟いた。


「……ううん、楽しい夢だった」




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