|
教室へ戻って、荷物をまとめる。結局、私のわがままでみんなを振り回してるだけなんだ。龍之介とはつきあいたい。でも、友美や唯は傷つけたくない…………傷つけたくない? もう十分傷つけてるじゃないか。嘘つき。いずみの嘘つき。 「おい、アホ」 西御寺の声。ハッとして顔を上げる。余計なことはするなって言ったのに! 「なんだ永平寺?」 「……………西御寺だ」 「用がないなら話しかけないでくれ、東大寺」 「……………ふっ、まあいい。そうやって人をおちょくってられるのも今日までだからな。おい、アホ」 「だから何なんだ」 「僕が何も知らないと思っていい気になるなよ」 「そうか良かったな」 「…………ま、前々からアホだとは思ってたが、今後、君のことはカスと呼ばせてもらう」 「お好きなように」 「…………意味がわかってないようだな。いずみさんに仇なす不埒ものめ」 「なんだと?」 いけない!……龍之介の目が本気になった。 「西御寺!」 「いずみさん、手出しは無用ですよ」 「余計なことはするなと言っただろう!」 「ふっ……か弱い女性が困っているのを見て何もしないわけにはいきません」 目が点になった。か弱い? 私が?…………こら、龍之介、なんでお前まであっけにとられてんだ。 「俺がいずみに何したって言うんだ?」 「知れたことを……悪あがきは醜いよ」 「ほう…………何が悪あがきなんだ?」 「ふん………いいか、よく聞け。三学期の授業が始まってから、いずみさんの様子がおかしいことに、敏感な僕はすぐに気がついた」 「西御寺!」 「いずみさん、ご心配なく。皆までは申しませんから」 「そういう言い方すると、何かあったみたいに思われるだろ!」 「いずみさん」 「な、何だよ」 「お気持ちはわかりますが、ここで泣き寝入りしたのでは、あのアホをつけあがらせるばかりです。被害を未然に防ぐためにも、ここはご協力下さい」 「は?」 泣き寝入り? 被害? な、何を言ってんだ、こいつ! 「いいかがりは止してもらおうか」 「何がいいがかりなんだ?」 「まるで俺が犯罪者みたいじゃないか。何の理由もなくどういう了見だ?」 「理由もなく………ふふん。いかに君が八十八学園の恥であろうと、いかに君が八十八町のゴミと呼ばれていようと、この西御寺 有朋が、理由や根拠もなくそんなことを言うような男だと思ってるのか?」 「思ってる」 「…………ア、アホにどう思われようと知ったことではない。ともかく、始業式の後、君といずみさんが弓道場で二人きりだったことはばれているんだ」 な! なんで西御寺がそんなことを知ってるんだ!? 教室にざわめきが広がった。みんな、何事かと注目してる………… 「そこで一体君は何をしてたのかな?」 「…………!!」 龍之介の顔色が変わった。このままじゃあ…… 「ふふん。何も言えまい。これ以上はいずみさんの名誉のために控えるが、君のような奴が女性と二人きりといえば、何をしたかは一目瞭然」 この野郎、言ってるじゃないか。 「……お前には関係ないだろ」 「そうはいかん。君のようなアホからか弱き女性を守るのが、僕に課せられた使命だ」 「誰も頼んじゃいねえよ」 「ふん。君のような下賤の輩には、ノーブル・オブリゲーションなどと言ってもわからんだろう」 「知らんな」 「ふ…………これだから……ま、それはともかく、何をネタにいずみさんを脅したのかは知らんが、君の悪行もここまでだな」 「な……んだとぉ」 「ほお、暴力か。い、言っとくが、ぼ、僕は暴力なんかに、く、屈しないからな」 思い切りびびってるくせに、何言ってやがる。 「西御寺! いい加減にしろよ!」 「いずみさん、お優しいのも大概にしなくてはいけません」 「は?」 「ここでこんな奴を庇ったところで、感謝するどころか、図に乗るだけです」 「誰も庇ってるわけじゃないよ。ついでに言うと脅されてなんかいないからな!」 西御寺は、大げさにため息をつくと、首を振りつつ話を続けた。 「いいですか、いずみさん」 「何だよ」 「何があったのかまでは、僕も知りません」 「だったら黙ってろよ」 「ですが、このクズの悪行三昧を許してどうするんです」 むか!…………ク、クズ? 悪行三昧? 「それに、脅されてないとおっしゃいましたが、ならどうして弓道場なんかであのカスと二人きりになったりしたんです」 「そ、それは…………」 「いや、おっしゃらなくてもいいんです。それだけで、あのクズの卑劣さがわかるというものです」 むかむかっ!…………か、勝手に決めつけて…… 「いずみさんの優しさにつけ込んで、もっとひどいことをするに決まってます」 むかむかむかっ!…………な、何を言いやがる……りゅ、龍之介は!…… 「篠原重工の令嬢ともあろう方が、こんな下司の肩を持つことはありませんよ」 こ、この野郎!!………… ばぐっ!! 「はう!……………………」 教室がシンとした。 「私が頼んだんだよ…………」 「い、いずみさん、何を……」 「私が龍之介を弓道場に呼びだしたんだよ!!」 「そ、そんな馬鹿な……」 「何が馬鹿なんだ」 「いえ、その、ど、どうしてこんなクズを……」 「またクズって言ったな」 「い?」 「私の、私の大事な人を……!」 「へ? い、今なんと?」 「私の大事な人をクズって言ったな!!」 「だ、大事な人!?」 「龍之介は私の大事な人だ!! 悪いか!!?」 「こ、このクズが!? ど、どうして!?」 「またクズって言ったなぁ!!!」 「ひいぃ! いずみさん! 落ち着いて下さい!」 どげしっ!!! 「ひでぶっ!……………………」 「に、二度と私と龍之介のことに口出しするなぁ!!!」 「……………………!」 息が上がって、胸が苦しい。ふと、教室が妙に静かなのに気づいた。呆然として周囲を見回すと、みんなが驚いた顔をして、私を見てる。友美も…唯も……私を見てる。膝が急にガクガクと震えてきた。私? 今何て言った? 顔に血が上る。 「さ、西御寺の馬鹿野郎!!」 いたたまれなくなって、教室を飛び出した。涙がにじんで、前が見えなかったけど、もうでたらめに走った。 馬鹿! 馬鹿!! 私の大事な人!? 何考えてんだ! じゃあ、友美の大事な人は!? 唯の大事な人は!? それを……それを! それ以上何も考えられなくなり、泣きながら走って帰った。 その日の夜、龍之介から電話があったけど、もう休んだと言ってもらった。 翌日。ひどく胃が痛い………起きあがれない…………結局、学校を休んだ。 「はぁ〜………………」 でもちょうど良かったかもしれない……学校に行きたくないし………本当、馬鹿だ。大馬鹿だ。あれが私の本音なんだ。友美や唯のことなんて、本当は心配してない。自分がいい子ちゃんでいたいだけ。 廊下に足音。お母様? 「いずみ、入りますよ」 「いや…………」 「いずみ!?」 「一人にしといて…………」 「でも」 「お願い…………」 「…………ひどくなったら呼ぶんですよ」 「うん…………」 しばらく逡巡するような気配があったけど、やがて静かに廊下を立ち去る足音が聞こえ、そして静かになった。 「ごめんね、お母様…………」 私は悪い子。優しくしてもらう資格なんかない。私は………… 誰かが髪を撫でている。気持ちいい……誰? 龍之介? 柔らかい指の感触。そっと頬をぬぐうと額に触れた。 ゆっくりと目を開くと、お母様がのぞき込んでいた。 「気分はどう?」 「…………うん……ちょっと良くなった」 「そう………夢でも見てたの?」 「ううん………どうして?」 「だって……泣いてるようだったから」 まだ頭がぼんやりとしている。泣いてた? 私が? どうして…………? 「起きられる?」 「うん」 「おかゆを作ってきたから、食べなさい」 「いい…………食欲ない……」 「ダメよ。お昼も食べないで、ずっと寝てたんだから。何か食べとかないと、体が持た ないわ」 「……………………」 私は黙ってお母様を見ていた。ナイトテーブルに置いた小さな土鍋の蓋を取り、おかゆをお茶碗によそう。少しお塩をかけて、レンゲで混ぜて………見ているうちに、なぜだか涙がこぼれてきた。 「どうしたの?」 「…………」 わからない。どうしてだろう。でも止まらない。お母様は黙って私を抱くと、そっと背中をさすってくれた。 「いずみが幼稚園のとき、よくこうしてあげたわね」 「…………私、もう子供じゃないよ」 「ふふ…………どうかしら」 お母様の匂いがする。とても落ち着く匂い。気持ちのいい匂い………… 「いずみ?」 「……ん?」 「ふふ……あんまり大人しいから寝ちゃったのかと思ったわ」 「……もう」 「じゃあ、おかゆを食べてね。そしたら、また横になっていいから」 「うん……」 そっと体を離し、お母様はお茶碗を手に取った。じっと見てると、おかゆをレンゲにすくって、そのまま口元に運ぼうとする。 「じ、自分で食べるよ。子供じゃないんだから」 「はいはい。いずみが大人なのはわかってるから」 「だから!………」 「いいから病人は大人しく言うことを聞きなさい」 「もう…………」 結局私はお母様に食べさせてもらった。でも……なんだか嬉しかった。 夜になっても、眠れるでもなく、かといって起きる気力もなく、私はぼんやりと横になっていた。 「お嬢様?」 「文江さん? 何?」 「渚さんとおっしゃる方からお電話ですけど、いかがいたしましょう?」 「渚……香織? こっちで受けるから回して下さい」 「はい」 「あ、それと、後の電話はもうこっちで出るから、戻して置いてもらえますか?」 「わかりました」 文江さんが立ち去ってしばらくして、机の上の電話がリンと鳴った。 「もしもし?」 『あ、いずみ? どうしたの今日?』 「え、あの、ちょっと気分が悪くて……」 『今はどう?』 「うん……だいぶ良くなった」 『そう? まあ、あんまり無理はしないようにね』 「うん。ありがとう」 『ところで、龍之介君からは電話あった?』 「龍之介? いや、ないけど」 『あんの野郎〜』 「りゅ、龍之介がどうかしたのか?」 『え? いや、あはは。何でもないの、何でも。あはははは』 「…………?」 『そ、そいじゃ、またかけるわね。じゃぁね〜』 「お、おい、香織、おい!」 いきなり切れてる…………何だったんだ、今の? そして三十分後。けたたましく電話が鳴った。 「もしもし」 『いずみ?』 「龍之介!…………」 『具合はどうだ?』 「うん…………その…………もう大丈夫」 『本当か?』 「ほ、本当だよ」 『そうか…………』 電話の向こうで龍之介がほっとするのがわかった。なんだか胸が暖かい。 『でも、しばらくはじっとしてた方がいいかな』 「う、うん…………」 奇妙な沈黙…………あ! 「あ、あの…………」 『何だ?』 「今度の……日曜………」 『あ、ああ! そんなことより、大人しく家にいろ。な?』 「でも……」 『ここで無理したら後が大変だろ? 入試も近いし』 「…………ごめんね……」 本当は、友美や唯に会わせる顔がなくて…………それで………… 『いいって、いいって。デートはいつでもできるしな』 「ごめん…………」 『やれやれ。人生は長いんだぜ、いずみ』 「う、うん……?」 『一度や二度デートがつぶれたって、まだまだ先はあるだろ?』 「龍之介…………」 『気長に行こうぜ、気長に』 「うん!…………」 やっぱり優しいよな、龍之介…… 『そ、それよりさぁ。いずみって、ゆ、ゆび………』 「うん」 『ゆび、ゆび………』 「?」 『指、大丈夫かぁ?』 「は?」 『いや、西御寺を盛大に殴ってたからな。怪我してないか?』 「ああ…………私は、なんともないけど……」 『そ、そうか。何ともないか。そりゃ良かった。あんな奴殴って怪我したら、それこそ大損だからな。はははは』 「なんか………言われなかった?」 『なんかって………誰に?』 「誰って…………西御寺……」 『ああ、あいつが何か言える訳ないじゃないか。青い顔して帰ってったぜ』 「そ、そうか………」 『そういや、「嘘だ……これは悪夢だ」とか何とか言ってたな。わっはっは』 「ごめんな……私のせいで……」 『何言ってんだ。いずみは何も悪くないだろ。西御寺の奴が勝手に思いこんで、勝手にいいがかりをつけてきただけじゃないか』 「でも……」 『「でも」も「ごめん」もなし! いずみは何も悪くない! いいな?』 「…………ありがとう」 『ば、馬鹿。礼なんて言うなよ』 「うん………」 『でもまあ、覚悟はしといた方がいいな』 「え? なんかやばいのか?」 『ふっふっふ。何言ってる。俺があの後、どれだけ突っ込まれたかわかるか?』 「え?」 『いつの間に篠原とそんな仲になったぁ!ってクラスの男全員に詰め寄られたんだぞ』 「ええ?!」 『いずみがあんなに人気あるとは思わなかったな。うん』 「ど、どうしよう!?」 『どうしようったって、今頃学園中に伝わってるぜ』 「う、嘘!?」 『今日、片桐先生にも言われたもんな』 「え、何て?」 『「龍之介君。篠原さんを選ぶなんてなかなか目が高いわね」だってさ』 「え? え?」 『「くれぐれも清い交際をね……無駄だとは思うけど」なんて言うんだぜ。俺って、よっぽど信用ねえんだな』 「ぷっ!…………」 『何だよ。なんでいずみまで笑うんだ?』 「スキー場であんなことしたの誰だ?」 『あ、あれは!…………いずみがあんなこと言うからじゃねえか』 「私、何か言ったっけ?」 『こ、こいつ! とぼける気だな!』 「ふふ……」 『これだから女は……』 「呆れただろ」 『ああ、呆れた。そんな女には、一生つきまとってやるからな。覚悟しろよ』 い、一生だって……それって……それって……やだもう!…… 『それにしても、思ったより元気そうで良かったよ』 「うん。ありがと。わざわざ電話してくれて」 『当たり前だろ。その……恋人なんだから……』 胸がじ〜んと熱くなった。龍之介…… 『(何だよ、わかってるよ!)………』 「何? なんか言った?」 『あ、な、何でもない。こっちの話』 「?」 『それはともかくさ。いずみって、ゆ……』 「うん」 『ゆ……ゆ……』 「何?」 『雪、また見に行きたいよな』 「雪? うん。また行きたいよね……二人で……」 『そ、そうだよな。入試が終わったら二人で行くか!』 「うん……行ければいいよね……」 ふっと友美と唯の顔が頭を過ぎった。 『行けるさ。いずみが元気になったら大丈夫!』 「うん……」 『あ、もうこんな時間か』 「え?」 『あんまり長いこと電話してんのも悪いから、もう切るわ』 「もう?……」 『また電話するから』 「う、うん……」 『じゃ、じゃぁな。早く元気になれよ』 「うん。ありがとう」 『じゃ!』 「うん…………」 静かに電話は切れた。家のものはもうみんな寝たんだろうか。物音一つしない。ひどく静かで……急に寂しさがつのってきた。 「龍之介…………」 やっぱり龍之介が好き。龍之介が大好き…………でも、友美や唯に会うのが怖い。怖い………… 突然、電話が鳴る。し、心臓が止まるかと思った。 「は、は、は、はいはいはい?」 『先輩?』 「春奈か?」 『すみません、夜分遅く』 「いや、別にかまわないけど」 『お加減、いかがですかぁ?』 「うん。もう大丈夫」 『良かったぁ』 「ごめんな、心配掛けて」 『いいんですよぉ。じゃあ、日曜は大丈夫ですね?』 「日曜?」 『あ、いえ、あはははは。その、日曜、空いてます? よね?』 「う、うん。まあ」 『じゃあ、如月町まで出られます?』 「い、いいけど……」 ごめん! 龍之介。 『じゃあ、9時にお迎えに行きますねぇ!』 「あ、あのさ」 『はい?』 「如月町で何すんの?」 『え、そ、それは…………まあ、行けばわかりますです。なはははは』 「?」 『ホント、龍之………(もがっもがっ!)』 「春奈?」 『ぷはぁ〜! あは……あははは。すみませ〜ん。あはは』 「大丈夫か?」 『はぁい! 大丈夫です!』 「あ、あのさ」 『何でしょう?』 「あの、私と龍之介の……」 『噂ですか?』 「うん……聞いてる?」 『もう、クラスでもその話で持ちきりでしたぁ』 はぁ…………やっぱり…… 『ウチの女子のうち、十二人は、龍之介先輩に彼女ができたってショックを受けてましたし』 やっぱりもてるよな………あいつ…… 『さらに十一人は、いずみお姉さまが裏切ったぁ〜って泣いてました』 …………なんなんだよ。そのいずみお姉さまってのは? 『学校新聞の号外にも写真入りで出てましたしぃ』 「ホ、ホント!?」 『あはは、嘘で〜す』 「をい」 『すみません』 香織といい、春奈といい、全く………… 『あ、それより、先輩』 「何?」 『先輩って指輪のサイズ、何号でしたっけ?』 「指輪? 八号だけど………なんで?」 『あ、別に大したことじゃないんです』 「…………なあ、こないだから、何やってるんだ?」 『はい?』 「こないだから、香織と二人で、何をしてるんだ?」 『あはははは。大したことはしてませ〜ん』 「答えになってない!」 『あ、あんまりお話ししてても申し訳ないんで、切りますね〜』 「こら、質問に答えろ!」 『それじゃ、お大事に〜』 「おい! 春奈! はる!………切れてる…………」 な、なんなんだ、一体?…………はぁ………… |