おばけがきたぞ〜!
やぁい! おばけおんなぁ!
こっちくんなよ、おばけ!
ちがうもん!
じゃあなんでかみのけがまっしろなんだよ!
目だって、まっかっかじゃねぇか!
やっぱりおばけだ!
ちがうもん…………
お〜ばけおんな、おにおんな!
ゆ〜れいみたいなまっしろあたま!
お〜ばけおんな、おにおんな!
いきちをのむからめがまっか!
お〜ばけおんな、おにおんな!
や〜い! や〜い! おばけおんながとおるぞぉ!……
ちがうもん……ひっく……
レイ…………にんげん……だもん……ひっく……
それは
幼子の心に残った記憶
しんちゃんはきもちわるくないの?
どぉして?
だって…………
れいちゃん、きれいだからしゅき
…………うそ
…………ほんとにきれいなんだもん……
かみのけだって、ゆ〜れいみたいにまっしろなのに
おちゅきしゃまといっしょのいろだからきれいだもん
……わたしだけまっかなめできもちわるいでしょ
おかあしゃんのほぉせきみたいできれいだもん
…………
…………
…………ありがと……
忘れない記憶
たったひとつの絆
二人とも、いつもなかがいいわねぇ
だってわたし、しんちゃんのおよめさんなんだもん!
まあ、そうなの?
うん!
やくしょくしたの。ぼくがおおきくなったら、れいちゃんがおむこさんにしてくれるって
あらあら……
何もかもなくしてしまった少女が
たったひとつ持つことを許された思い出
お……かぁさん……ひっく……ひっく
……………………
レイ…………ひとりぼっちになっちゃったよぉ……ひっく……
ぼくがいるから
ひっく……ひっく……
ずっといっしょにいるから、なかないで
ひっく……ほんと? しんちゃん
ほんと!
やくそく……してくれる?……ひっく……
うん!
NEON GENESIS EVANGELION 足音は未だ遠く [ B-PART ] |
第3新東京市立第1中学校で美少女といえば、まず間違いなく、それは惣流アスカ・ラングレーのことを指す。別にアスカ以外に美少女がいないわけではない。が、はっきし言って他の子はその存在が霞んでしまうのである。アスカを一目でも見てしまうと。もちろん世の中はよくしたもので、だからと言って男子皆が皆、アスカになびくわけでもなく、世間一般の中学校と同じくらいには校内にもカップルが生息している。 「ま、世の中顔だけやあらへんからな」 比較的アスカ嬢をよく知る某T君の含蓄あるお言葉である。 「第一、あんな気ィ強い女、相手してて疲れへんのはシンジくらいやろ」 本当にシンジが疲れないのかどうかは別にして、確かにアスカの気の強さは有名である。特にシンジに絡んだことだと手のつけようが無いと思われている。そこまでならT君の観察も概ね正しい。が、一方でこのような証言もある。 「アスカ? 人気あるわよ。確かに素直じゃないところもあるけど、優しいもの」 アスカ嬢の一番の親友にして2年A組のクラス委員長を勤める某H嬢のお言葉。 「転校生が来たら真っ先に仲良くなるし、面倒見もいいし。正直、私も助かってるんだ」 そう。そういう側面があることもまた厳然たる事実なのである。実際、陽気で社交性抜群のアスカと人懐っこくて気配りの効いたヒカリのコンビは、シンジに思うところの「ない」女子生徒とアスカに言い寄ったことの「ない」男子生徒からは絶大な支持を受けており、その評判は教師をして沈黙させてしまうほどである。 …………はて、一体何故沈黙するんだ? ま、それはともかく、そういうことだから、今日のこの事態は見るものからすれば当然の事態であり、また別のものからすれば驚異でもあるわけだった。すなわち、
「アスカ…………そんな怖い顔しなくても……」 2時間目と3時間目の間にあるちょっと長めの休憩時間。こめかみに青筋を立てながら、思い切り力の入った笑顔をアスカは見せていた。ちなみに、その視線はシンジのすぐそばに腰掛けて甘えるように話し掛けている一人の女生徒と、とても嬉しそうににこにこ笑っているシンジにロックされたまま、1ミリたりとも動いていない。 (そんな、わざわざ二人きりで話をしてるならともかく、他の子だっているじゃない。) ヒカリは視線でそう語り掛けるのだが、アスカの方は気がつきもしない。声を出して言えば聞くだろうが、今のアスカにそんなことを指摘するほど、ヒカリは命知らずではなかった。だから……その日、転校してきた少女は、恒例となっていたアスカとヒカリの歓迎を受けなかったし、その結果、アスカに遠慮した女生徒に話し掛けられることもなく、転校生にしては、あまり大勢からの質問にわずらわされることのない時間を過ごしていた。 ではその渦中の人。アスカの幼馴染碇シンジと転校生綾波レイの様子はといえば……
「……でね、もう大感激っ!ってわけ!」 レイは、ぢつに不思議そうにあどけない視線をシンジに向ける。シンジの方はといえば、確かに微笑んではいるのだが、どことなくその微笑みもひきつった感がないでもない。実のところ、 ……綾波レイ……レイって……あのレイかな……でもなんか随分雰囲気が違うし…… なんてことをぐるぐると頭の中で考えていてロクに聞いちゃいなかった。なのに身についた習性か、お愛想だけはいいものだから、話をしてる方からすれば、妙に違和感のする態度に見えてしまう。
「はっは〜ん。さてはシンちゃん!」 ふいに声色が変わったので、慌ててレイの顔を覗き込むシンジ。
「あんまし私が綺麗になってたんで見とれてたな! コノッ! コノッ!」 思い切りコケそうになるが、まさか綺麗じゃないと言わんばかりのそんな仕打ちができようはずもないので、必死でこらえる。何やらキレまくっているアスカを必死でなだめるヒカリの声が聞こえないでもないが、ここは聞こえないふりをした方が身のためだ。
「なぁに、その気のない笑い方。ブスだって言いたいわけ?」 慌ててフォローを入れる。が、レイだってシンジの気を引くために言ってみただけで、怒ってるわけではない。相変わらずニコニコとシンジのことを見ている。実際のところ、レイは非常に整った顔立ちをしており、美少女揃いと言われるこの第1中でも、優に五指に入るであろう容貌であった。ただ…………
「ふぅ〜ん。どっかな。ま、シンちゃんにはあんなに綺麗な彼女がいるんだもんね」 言って、レイはコロコロと笑う。シンジは顔中「?」マークだらけにしている。
「彼女って…………そんな子いないけど」 がばっと音がしそうな勢いで振り替えると、確かにアスカがこっちを見ている。もとい、にっこりと微笑みながら、鬼より怖い視線で睨んでいる。 うわわわわぁぁぁ! な、なんでだよ〜!? もはやシンジはパニック爆発。いきなり頭を抱えてうんうん唸り出してしまった。それを見てレイはちょっと呆気にとられたが、くすっと笑うと静かに立ちあがり、アスカの席に歩み寄っていった。驚いたのは、アスカとヒカリである。
「惣流さん」 さっきまで睨みつけていた相手がいきなり話し掛けてきたものだから、アスカは少しうろたえ気味。シンジはまだ唸ったままで、何が起きているか気がついていない。
「さっきはごめんね」 あからさまにしらじらしいことを言う。が、レイの方は、特に気にした様子もない。
「じゃあさ、アスカって呼んでもいい?」 唐突な台詞に、アスカだけでなく、ヒカリまで呆気に取られている。
「だめ?」 そう言ってレイは、力一杯喜んでるっ!と言わんばかりに満面の笑みを見せた。こうなっては駄目である。アスカは完全に毒気を抜かれてしまい、さっきまで怒っていたのを忘れて、思わず苦笑してしまった。それを見てヒカリもホッとする。
「でさ、アスカ」 誠にのりのいいレイである。
「なんか、シンちゃんとのこと誤解してるみたいだけどさ。私、そんな気ないから」 何度もって……私は今朝はじめて聞いたんだけど……ということは、いつも皆にそう言われてるってことよね。それに、こんな真っ赤な顔しちゃってるし……くすくす……でも、ということは、まだチャンスがあるってことかな? 「…………何よ。信じてないわね!?」 だからその真っ赤なほっぺがね。ぷくく。アスカって可愛いんだ。
「わかった。もう言わないから。ごめんね」 頬を赤くしたまま、そっぽを向いてアスカは答える。どうしてこうあからさまなのに、意地になって否定するんだろ? 何かあるのかしら? レイはそう思うが、根掘り葉掘り問い質すのは性分じゃないし、いずれ仲良くなれば話してくれることもあるだろう。
「ついでにお願いがあるんだけど」 完全にレイのペースである。
「あ、あの綾波さん」 このままでは自分の出番がなくなると思ったか、ヒカリがレイに声をかける。
「私、洞木ヒカリ。一応、このクラスの委員長なの。よろしくね」 あ、勝てない。レイの微笑みを見て、ヒカリはそう思った。アスカだってこれ以上意地は張れないわよね。ちらりとアスカの顔を見ると、笑ってるような困ってるような複雑な表情をしている。 なんだかんだ言ってもお人好しなんだから。ふふっとヒカリが笑ったところで授業を知らせるチャイムが鳴った。 ちなみにシンジはというと、まだ頭を抱えて唸っていた。トウジとケンスケまで呆れた様子でシンジを見ている。ここまで悩むとは……余程悲惨な幼児体験でもあるのだろうか。 「アタシがシンジにそんなことするはずないでしょ!」 …………本当?
「なるほどね」 加持は、大きく伸びをすると辺りを見回した。既に授業中で、職員室も閑散としている。のんびりとした表情を崩さずに、キーボードへ指を伸ばすと、次のデータを表示させた。
「たったこれだけの情報でどうしろって言うんだろうね、全く」 ぼやいてみるものの、言葉ほどに困っている様子は窺えない。苦笑を浮かべながらも、無精髭を玩んでいる様は、随分と余裕がある。 「隠しても無駄だってことくらい、いい加減わかりそうなもんだけどな」 無造作にキーをいくつか打つと、短くエラーアラートが鳴った。
「ほう」 わずかに片眉を上げ、さらにいくつかキーを叩く。
「え……?」 ディスプレイから目を離さずに煙草を咥え、無造作に火をつけて深く煙を吸い込むと、再び加持はキーを打ち始めた。静かな職員室にキーボードの鳴る音だけがしばらく響く。
「葛城の裏IDでも駄目?…………どういうことだ?」
眉間に皺を寄せ、厳しい表情でディスプレイを睨み付ける。ありえない。確かに適格者候補に関する情報はガードが厳しいが、彼自身のIDはもとより、AAAランクのIDを使用してもアクセスできないのは、むしろ異常である。 「え? まさか、見つかった? お? お?」
「あたた。見てたのか」 額に手を当てて情けない声を上げる。と、少し離れた席で執務していた松本という同僚が顔を上げ、にやりと笑って加持に話し掛けてきた。
「どうかしたんですか?」 さりげなく手を振ってごまかすが、同僚のにやにや笑いは消えない。
「ひょっとして、さっきの話に関係があることですか?」 席を立って寄ってくる松本をお愛想笑いでごまかしながら、端末の電源を切る。
「ほら。朝、赤木先生に言われてたことですよ」 な、何を言い出すんだこの男は! と思うもののお愛想はやめられない。
「あ、あれはうちのクラスの惣流にですね」 いきなり危ないことを口走る奴。
「いやぁ。こないだのプールの時間、たまたま暇してたらもう……」 もうやけくそである。 「あ、私、ちょっと所用を思い出しましたんで……」 頬をひくつかせながら、加持は席を立った。
「加地先生」 何をぬかすか! この!ロリコン親父ぃ!! と心の中では突っ込むものの、ここで同僚と喧嘩してしまうと後々仕事がやりづらくなるので、ぐっと我慢する。 「いや、ちょっと頼みごとを聞いてもらったんで、そのお礼をしただけで、そういうんじゃないんですよ。じゃ、私はこれで……」 つつ……とドアの方に後ずさするが、危ない親父は気にも留めず、ぽんと手を打つと、 「なるほどぉ。上手い手ですなぁ。頼みごとをしておいてお礼と称してデートに誘う……使えますなぁ」 一体、なんに使うんじゃぁぁぁ! 大体人の話を聞いてるのかあんた! 「いや、ほんとに違うんですって! それじゃ、私、本当に用がありますので……」 ほうほうの体で職員室を逃げ出す加持。どうしてあんな奴が教師をやってられるんだ!と憤慨するが、ふと今朝のレイの視線を思い出し、 「何もしてない俺がなんであんな目で見られなくちゃ……しくしく」
綾波は絶対誤解してると、世の中の不条理を嘆くのであった。
日本全国、津々浦々までお昼休みのこの時間。もちろん第3新東京市立第1中学校もお昼休みであって、ゆえにシンジたちもお昼休みを取っていた。 「ま、ヒカリにはいつもお世話になってるし」
仕方なく付き合ってるのよと言わんばかりのコメントを常々周囲に漏らすアスカであるが、一番嬉しそうにお弁当を頬ばるその姿を見ていれば、それが本音であるなんて思えるはずがない。事実、「アスカって可愛いよね」が、大方の女の子の見方であった。一部、「アスカってずるいわよね」とやっかむ向きもあるのだが。 「ね。私も一緒にいいかな?」 今日も今日とていつものように、この5人が昼食を取ろうとするところへ現れたのは、ご存知、転校生の綾波レイ。思わず笑ったまま凍り付いたシンジだが、 「じゃ、こっちに座りなさいよ」 と、アスカがごく自然にレイを仲間に入れたので、ほっとため息を漏らす。
「センセも大変やな」 ちょっと情けない感じもないではないが、それくらいが家庭円満の秘訣だと識者も申しておりますし…………あ、いやいや。閑話休題。 「おぉ〜! 今日も豪勢やなぁ」 ヒカリが持参したお弁当の蓋を開け、トウジが感に堪えないといった風情で声を上げた。 「へぇ。鈴原くんのお弁当って、ヒカリが作ってくるんだ」 にこにこ笑いながらレイが早速突っ込む。
「ほんま、委員長には感謝してるわ。うち、おかんがはよに死んでしもて、おとんと妹と3人やからなぁ。おとんは弁当なんか作ってる暇あらへんし、わいは料理がてんであかんし、妹はまだ小学生やしな。」 言葉はともかく、レイの視線が「ふっふっふ。わかっちゃったわよ、ヒカリ」てなコメントをびしばし放つもんだから、ヒカリは顔を赤くして、 「あ、う、うちは女ばかり3人姉妹で、私がいつもお弁当を作ってて、だから、材料が余っちゃうんでもったいないからなの! ざ、残飯処理をお願いしてるようなものなのよ!」 なぜ女の3人姉妹だから材料が余るのかは置いといて、「鈴原にお弁当を作ってくるのは、あくまでついでなのよ、ついで! ね! そうなの! 何か違うように思ってるかもしれないけど、あくまでついでなのよ! お願い!そういうことにしといて!」とヒカリの視線はレイに訴える。レイもそれ以上は追求せず、矛先をシンジに向けた。
「シンちゃんのお弁当って綺麗ねぇ」 確かに見ようによっては女の子のお弁当にも見えるが、それより目を引いたのは、丁寧に料理されているその内容である。味が移らないように、惣菜のひとつひとつがきちんと仕切られていることからも、かなり手がかかっていることが見て取れる。
「ううん。そんなことない。これ、物凄く手間がかかってるはずだよ」 レイはしきりに感心している。思わぬところで母親が誉められて、シンジもどことなく嬉しそうだ。が、もちろんこれを作っているのはユイではない。正確に言うと、下拵えはユイがしているのだが、それを毎朝調理して、弁当箱に詰めているのはアスカである。中学に上がった時からそうなのだが、シンジはいつもギリギリまで寝ているので、知らないのである。 「どしたの、アスカ? なんか嬉しそうだけど?」 同性に誉められて思わず気をよくしたアスカにレイのチェックが入る。 「え? な、な、何でもないわよ。そ、それより、そういうレイはどうなの?」 「ふっふ〜ん。それ作ってるのは、ワ・タ・シよ☆」なんてことを言うわけにもいかないので、レイにネタを振りかえす。ちょっとだけ顔が赤くなったかも知れないと思ったが、レイが何も言わないので、気にしないことにした。 「えへへ。私、お料理って得意じゃなくて」 恐る恐る蓋を開いてみせる。こちらはいかにもお弁当のおかずといったオーソドックスな内容である。…………ってちょっと待て。遅刻するかも知れなかったのに、弁当を作ってたのか?…………朝のトーストへのこだわりといい、恐るべき食への執念…… 「あ、いいなぁ。そういうのって」 それまで黙っていたケンスケがぽろりと口を出した。
「俺も早くからお袋がいないからさ、こういうのって憧れるんだよね」 ちょっと照れくさそうにレイが呟く。 「私、ちっちゃい頃に両親とも死んでてさ。料理なんて、我流なんだ。だから、そう言ってもらうのってすごく嬉しい」 はにかむような笑顔が綺麗だった……後にケンスケはこう述懐している。 「ほな。食べよ!食べよ!」 もう辛抱できん!と聞こえるような口調でドウジが促した。 「もう!鈴原ってば!」 満面の笑みを浮かべてヒカリが叱るように応える。 「いっただきま〜す!」 レイが明るく食事の開始を宣言する。それで皆一斉に箸をとった。 「それにしても、シンジや私たちはともかく、あんたよく鈴原とか相田の顔と名前が一致したわね」 大好物の卵焼きをつまみながらアスカが言った。 「うん。小さい頃はそうでもなかったんだけど、名前憶えるの、わりと得意なんだ」 お百姓さんありがとう、と幸せもここに極まれる顔でレイは答えたが、ふと怪訝な表情になる。 「どうしたの?」 じぃぃぃっっっとアスカのお弁当を見つめる。見つめる。見つめる。アスカがきょとんとしていると、顔を上げて、今度はアスカの顔を見つめた。
「アスカのお弁当って自分で作ってるの?」 ほぉぉぉぉぉ。と声が聞こえそうなくらい大袈裟に頷くと、さらに首を傾げるレイ。
「な、なによ。私のお弁当、ヘン?」 それだけ言うと、レイはケンスケの一風変わった弁当に質問をぶつけ始めた。
ねえねえ。それって変わってるけど、何なの? まさか、わかっちゃったとか……アスカは、ちょっと気になったが、ヒカリが最近駅前のデパートにできたファンシーグッズの店の話題を話し掛けてきたので、頭の中からそれを追い出すことにした。 和やかに賑やかに食事の時は流れる。シンジはにこにこと皆の話を聞きながら、黙ってアスカの作ったお弁当を食べていた。「幸せ」と顔に書いてある。おっと。もうひとり、黙って食事をしている男がいたが、委員長心尽くしの手弁当を一心不乱に食べるのに忙しく、幸せを表情に出す余裕はなかった。 いつもとは違う、いつもの昼食風景である。 保健室。加持とリツコが厳しい表情で向かい合っていた。マヤは、リツコにお使いを頼まれて外出している。
「私があの子のことで教えられるのは、大体こんなところよ」 朝のお気楽な人物とは思えない重々しい口調で、加持は答えた。
「ねえ、加持くん……」 子供たちのことを話すときは、意識してドライな口調を心がけているリツコの言葉が、今に限ってはじっとりと湿っている。 「本当にこれで良かったのかしら?」 思わぬ言葉をリツコの口から聞かされて、加持は戸惑った。いつも「必要なら誰を犠牲にしても躊躇しない」と公言して憚らないリツコの言葉とは思えなかった。
「あの子のためにもこうするのがいいんだと思ってたけど……本当は……」 優しい口調。 「あの子はわかってるよ」 リツコは、訝しげに加持を見る。
「今日、授業に入る前にちょっと聞いてみたんだ。いいのか?ってね」 驚きに目を見開くリツコを制して、加持は言葉を続けた。
「そしたら何て言ったと思う?」 ふっとリツコの瞳に涙が浮かんだ。しばらく二人とも口を開かない。どういうわけか、蝉の声がひどく耳に染み入ってくる気がした。 「レイったら…………」 切ない表情を浮かべて、リツコは涙をぬぐう。
「ありがとう、加持くん。なんだか元気が出てきたわ」 にかっと加持が笑う。それを見てリツコも笑顔を見せた。
「あ……そういえば、お昼まだだったわね。一緒に出前でもとる?」 すっかり冷めたコーヒーを啜りながら、いつものお気楽な様子に戻って、加持が愚痴ってみせる。 「あら。じゃあ、今度ミサトにお弁当を作るよう頼んでみましょうか?」 ぶほっ!げほげほ!ごほっ! コーヒーをいきなり喉に詰まらせて加持がむせた。
「リ、リッちゃん。俺まだ死にたくないよ」 くすっと笑みをこぼしながら、確かにあの料理ではね、とリツコも思う。思ってから、真っ赤になって怒る親友の顔が浮かんできて、さらにくすくすと笑った。
「いつものところでいいしょ?」 そう言って、肩をすくめるその仕種がやけに子供っぽくて、それでまたくすくすとリツコは笑ってしまう。
「いつものオーダー?」 穏やかに微笑むと、リツコは加持に背を向けて、出前の電話をかけ始めた。本当は物事割り切れる性格じゃないくせに、辛いよな、リッちゃんも。その背中を見ていて、こんなに華奢だったかなと思う。 「ロスト・チルドレンか…………」 ため息を吐くまいとして、思わず口が滑ってしまう。自分の言葉なのに、いやに重苦しく耳に響いた。それが妙に忌々しかった。 |