An Episode in The Known Worlds' Saga ---《 The Soldier 》 外伝


光の真名
ひかりのまな

第5章 『一瞬の風景』

… E-Part …



 次元暦 895.109。TERA-001。再びショッピングモール。三人はパーラーで向かい合っていた。主にマナイユが喋っており、サライユとアミアは聞き役である。

「ルナの世話好きって、どこかちょっと度が過ぎてるでしょ」
「ん…………まあ……」
「あれはそうしたいからというより、そうせざるを得ないのよ」
「どうして? 別にそう望まれているからしてるわけじゃないでしょ」
「そう。誰もそこまでしてくれとは言わない。でもあの子はせざるを得ない…………」
「意味不明だわ」
「ごめん……私もどう言っていいのかわからないのよ。でも…………強いて言うなら、恐怖…………になるのかしら」
「恐怖?」
「他の子の場合はどうか知らないけど、あの子の場合、ああやって世話を焼くことで、相手の存在を確認してるところがあるのよ」
「?」
「…………おかしな言い方よね。まあ、それで自分の居場所を確かめてるっていうか、相手との繋がりを確かめてるっていうか」
「何か、それって怖いわよ。もしその相手が死にでもしたら、どうなるの?」
「…………一度あったわ。そういうこと」
「え?」
「とても仲の良かったお母さんが、戦いに巻き込まれて危うく命を落とすところだったの」
「……………………」
「ルナイユのヒーリングで何とか助かったんだけど、半狂乱になって…………手がつけられなくなって」
「でも助かったんでしょ?」
「だからまだ救われたのよ。でもね…………」
「でも?」
「根本は何も変わってないわ。自分が依存する相手を失う恐怖…………に駆り立てられて、相手の世話を一生懸命焼くことでそれを打ち消そうとしてる。今でもね」
「…………そんなものなのかしら」
「一般論はわからないけど…………ね」
「でもそれだとさ、例えば、恋人を助けたせいで親を助けられなかったとか、その逆とか、そこまでいかなくても、恋人と親とどちらかを選んで助けなきゃいけないとかになったら、悲惨じゃない?」

 そこではじめて、マナイユは、浮かぬ顔でアミアを見つめた。

「悲惨なんてもんじゃないわ…………あの子にとっては…………破滅よ」




 蛍光灯の明かりがまぶしい。目が覚めたとき、唯が真っ先に感じたのは、煌々と照る照明の明るさだった。気分は……最低。吐き気までする。じっとりと汗をかいて気持ちが悪かった。

「唯?」

 誰かが呼びかける。誰か? 考えるまでもなかった。どんな状態であっても、愛おしい男の声を聞き違えることはない。

「お兄…………ちゃん…………?」

 ゆっくりと顔を声のした方へ向ける。ただそれだけで、言い様のない疲労感が広がった。

「良かった…………この上お前まで何かあったら…………」

 そう言って唯の手を握りしめ、龍之介が涙を浮かべる。

「泣いてる…………の…………?」
「ば、ばか…………ゴミが目に入っただけだ」

 そうは言うが、涙を拭おうともせず、唯の髪を撫でる。

 なにかヘンだ?…………唯の直感がそう告げる。お兄ちゃんらしくない…………

「今何時?…………」
「え? ああ。七時になったばかりだ」
「そう…………」

 気を失う前はまだ日が高かったから、随分こうしてたことになる。

 何か気になる…………お兄ちゃんは何て言った?…………

「気分はどうだ?」
「ん…………まだちょっと…………」
「そうか…………ゆっくり寝てろ。別段、急ぐこともないんだから」
「ん…………」

 頭がはっきりしない…………でも何か…………予感に押しつぶされそう…………一体何の…………

「ここ…………どこ?」
「…………八十八学園だよ」
「学校?…………」

 どうして?…………家じゃないんだろう…………学校…………家は潰れて…………

 ……………………!!

「お兄ちゃん…………」
「なんだ?」
「お母さんは?」

 ふっと言いしれぬ沈黙が龍之介を覆った。

「お兄ちゃん?…………」

 龍之介は答えない。唯の唇から微かな喘ぎ声が漏れる。

「どこ?…………どこ?…………お母さんはどこ?…………どこ!?」

 飛び起きた唯を龍之介が慌てて押しとどめる。

「どこ!? お兄ちゃん!? お母さんはどこ!?」
「唯、落ち着け。落ち着いてくれ!」
「お母さんは!? お母さんは!?」
「唯!」

 龍之介の声色が尋常ではない。はっとして龍之介の顔を唯は見つめた。

 お兄ちゃんは何て言った? この上お前まで…………急ぐこともない…………

「お母さんは?…………」

 少しの間躊躇っていた龍之介が、目を逸らしたまま答えた。

「三十分ほど前まで息があったんだ…………」

 え?

「どうしようもなくて…………」

 な、何を言ってるの?…………

「お母さんは?…………」

 龍之介は黙って唯を抱きかかえた。そして、シーツにくるまれて、部屋の反対側に横たえられているモノのそばに運んでいき…………そっと降ろした。

 これがどうかしたの?…………

 唯の瞳は大きく見開かれ、肩が大きく震えている。龍之介は覚悟を決めて、シーツの一部をめくり返した。

 悲鳴は上がらなかった。



 コレハダレ?

 頭部の左半分はひしゃげて潰れていた。その上、何かの爆発に巻き込まれたのか、顔の左半分が焼けこげている。シーツに隠れてはいるが、腕や足のあるべきところに何もないのが見て取れた。そこだけを見ればひどく醜い骸であったかも知れない。だが、顔の右半分は生きていたときと同様、美しい母の面影を見せていた。

 コレハダレ?

 お兄ちゃんは何て言った? 三十分前まで息があった…………

 誰のせい? 唯は助けられなかった。唯なら助けられたのに、助けられなかった。

 どうして?
 気を失ってたから。
 どうして?
 お兄ちゃんを助けるのに力を使い果たしたから。
 どうして?
 お兄ちゃんがいないと生きていけないから。
 どうして?
 お兄ちゃんは唯の全てだから…………
 どうして?
 どうして?

『ほら、龍之介君よ、唯。ご挨拶なさい…………』

 お母さんは何?
 とても優しい人。

『はい、できたわよ。でも、どうして急にリボンをしたいって言い出したの?』

 お母さんは何?
 大切な人。

『もう泣かないの。唯も赤ちゃんが産めますよって印なんだから、喜ばなくっちゃ』

 お母さんは何?
 助けなきゃいけないひと。

『もう、いつまでも「お兄ちゃん」っ子なんだから、唯は…………』

 お母さんは何?
 いなくてはならないひと。

『そこでお塩をひとつまみ入れるの……どれどれ。あら、いけるじゃない……うふふ。本当に龍之介君好みの味付けね』

 でも死んじゃった。
 唯のせい?

『龍之介君とおそろいのパジャマにしたい? 重傷ね……ふふ……』

 でも死んじゃった。
 ゆいがねてたから。

『修学旅行で龍之介君と別のグループになったって……それで泣いてるの? 呆れた』

 でも死んじゃった。
 ゆいたちがたたかったから。

『八十八学園へ転校する?……やっぱり我慢できないのね。わかったわ。お母さんが龍之介君を説得してあげる……』

 どうして戦うの?
 それがしめいだから。

『お弁当? 唯が作るの? へええ。いつまで続くかしら。ふふふ…………』

 どうしてたたかうの?
 それがぷりんせすのためだから。

『また喧嘩して。さっきのは唯が悪いわよ。ちゃんと龍之介君に謝りなさい』

 どうしてたたかうの?
 それがせかいのためだから。

『龍之介君は妙に鈍感だから、しっかりアピールしないと、他の女の子にとられちゃうわよ。ふふ。頑張ってね』

 でもおかあさんはしんじゃった。
 おかあさんはしんじゃった。
 おかあさんは…………

「唯? おい、唯?」

 コレハダレ?

 オカアサンハシンジャイケナイノ。
 だってゆいはいきてるもん。
 ダカラオカアサンモイキテナキャイカナイノ。
 ゆいはおかあさんになにもしてあげてないもの。
 ダカラオカアサンハシンジャダメナノ。
 おにいちゃんのおよめさんになるのをみてもらわなくちゃいけないもの。
 ダカラオカアサンハイキテナキャイケナイノ。

 ダカラ…………

「唯!? 大丈夫か!? 唯!?」

 コレハダレ?

「うふ…………」
「唯?…………」
「うふふふ…………」
「唯!?」
「なぁに? お兄ちゃん」

 唯はそう言うと龍之介にしなだれかかった。

「だ、大丈夫なのか?」
「うん。もう大丈夫」
「そうか…………でも無理するなよ…………」
「うん。本当に大丈夫だから、だから、早く帰ろうよ」
「え?」

 今なんて言った?

「唯はもう大丈夫だから、早くお家に帰ろうって言ったの」
「ゆ、唯?」
「遅くなると、お母さんに怒られちゃうよ」
「ゆ…………い…………?」
「うふふ……うふふふふ。なぁに? 変なお兄ちゃん。うふふふふ」
「……………………」
「うふふふふふ…………」

 絶句する龍之介を見て、唯は忍び笑いを漏らした。

 その目に現実を拒絶する光を宿らせて。



 同時刻。やはり八十八町のはずれにあったおかげで、なんとか崩れ落ちずに残っていた篠原邸にいずみは戻っていた。死んでも淳のそばを離れないとだだをこねていたのだが、両親が心配してるからと、淳が無理矢理いずみを屋敷に放り込んだのである。

 帰らぬ娘を心配していた両親の喜びはひとしおではなく、その日だけは、いずみもお姫様待遇であった。だがそのお姫様は、鬱々とした気分でお湯につかっている。水道が止まっているのにどうやってお風呂を用意したのかはわからない。夕食の食材だってこの状況でどうやって手に入れたのか、決して簡単ではなかっただろう。だが、その愛情に感謝はしているものの、いずみの心はやはり晴れなかった。

「ばか…………」

 湯の中にうずくまりながら、いずみは泣いている。

「人の気も知らないで…………」

 相変わらず優しい。ソルジャーはいつでも優しい。それはいずみにもわかっていた。

「でも…………前と違う…………」

 以前は、私をあんなに悲しそうに見てなかった。

「私は何も変わってないのに」

 愛されてはいる。でも、以前のような激しさが欠けているような気がする。

「もう…………終わりなのかな…………」

 そう呟き、また涙を流す。何よりも気にかかるのは、この体になってから、彼がいずみを求めようとしないことだった。

 ゆっくりとお湯から上がり、浴室に据え付けになっている姿見の前に立つ。小柄ではあるが、均整のとれたプロポーション。細い首。丸みを帯びた肩。張りのある乳房。程々にくびれた腰と女性らしさを表す下半身。しっとりと濡れた肌は、肌理の細かさを訴えかけるようである。

「前の体より、魅力的だよね…………」

 力無く鏡の中の自分に呟いてみせる。

 でも顔が違う…………

 そんなことをソルジャーが問題にしないことはわかっていた。目覚めてからまだ数日も経たず、そんな時間はなかったんだと自分に言い聞かせる。だが以前は? 戦いのさなかでも求めあったのではなかったか?

「お願いだよ…………私を捨てないで…………」

 そのまましゃがみこみ、肩を震わせる。彼女にはもう何もなかった。戦いの大義は、数しれない戦闘の中ですり切れていった。友であっても、《闇》の者であったがために多くの人間を手に掛けてきた。当初はそれを《闇》の責任にすることで何とか心の平衡を保っていた。だが、あまりに繰り返される戦いは、彼女の正義感をすり減らすには、充分すぎるほどのものであった。

 自分は何のために戦っているのか?

 今はただソルジャーがそれを望むからとしか言えなかった。それだけを頼りに戦っていると言っても過言ではなかった。

「私…………私…………」

 疲れていただけかも知れない。あるいは、延々と繰り返される戦いに彼女の精神が耐えきれなかったのかも知れない。だが、いずれにせよ結果は同じだった。

 いずみの悲鳴に驚いた両親が浴室に駆けつけたとき、そこには全裸で横たわっている骸があるだけだった。何が起きたのかは知る由もない。いくら呼んでもぼんやりとした虚ろな目が光を取り戻すことはなかったし、その唇から、両親の名が出てくることもなかった。死んではいない。呼吸もしっかりしていたし、心臓も力強く動いていた。

 だが、彼女は既に屍も同然の状態だった。





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