An Episode in The Known Worlds' Saga ---《 The Soldier 》 外伝


光の真名
ひかりのまな

第5章 『一瞬の風景』

… D-Part …



 次元暦 895.109。TERA-001。ショッピングモールと言っても、戦乱も同然の混乱の後である。流通が滞ったままなので、まだそれほど豊富に商品があるわけではない。が、

「でも休日のショッピングは女の子の宿命よ!」

 とサライユは宣う。

「たとえ買えるものがなくったって、一軒一軒冷やかして回るのが女の子の勤めってもんなのよ!」

 …………ちょっと違うような気もするが。

「あ、ごめん。私、約束があるんだ」

 真っ先にハノイユが異議を唱える。まさしくお約束である。当然、考えなしに言ったものだから、全員から突っ込まれたが、それは書かぬが武士の情けであろう。

「あは☆ ルナ、先に行くねぇ」

 大体どこに行くのかも決めてないのに、なぜ「先に行く」になるのだ。と突っ込む暇も与えず、姿を消すルナイユ。

「あ、ちょっと調べものがあるから」

 エマイユの優雅な微笑みにサライユが逆らえるであろうか。いや逆らえない。ということで、残ったのは3人になってしまった。

「ま、予想できた結果ね」
「…………どういう意味?」

 心なしかマナイユの視線が怖い。

「あはははは☆ じゃ、どこ行く?」
「サライユ…………」
「や、やぁねぇ。アミアが呆れてるわよ。ね?」
「え、え? まあ…………」
「あら? そういえば、アミアは出かけないの?」
「う、うん」
「喧嘩でもした?」
「だ、誰と!?」
「今更そんなこと言う?」
「…………だって鷹神君、用事があるって言ってたんだもん……」

 と、アミアはいじけて見せたが、二人が無視したことは言うまでもない。

 結局、休日に大人しく部屋に引っ込んでるような連中ではなく、件のショッピングモールを散々冷やかして回った後、ちょっと一休みして、アイスクリームなどなめているのである。

「ウィンドウショッピングと言って欲しいわね」

 失礼しました。

「で、これからどうする?」
「そうねえ、ワンパターンだけど…………」

 とサライユが綿密にたてた計画を弁じようとして、ふと口をつぐんだ。あらぬ方向を見てぽかんとしている。

「ねえ、サライユ?」

 返事はない。返事はないが、やおらにんまり笑うと、見ている方向を指さした。

「あれ見てよ」
「あれ?」
「あれあれ」

 サライユの指さした先に視線を移すと、

「あれ? ルナイユじゃない」
「本当だ。何してんのかしら?」

 ルナイユがぽつねんと立っている。

「こうして見ると、やっぱり可愛らしいわね」
「そーゆー問題じゃなくて」
「こっちに気がつかないのかしら?」
「無理無理。だって…………」

 さわやか…………かどうかはさておいて、笑顔を見せてルナイユに駆け寄る男がひとり。

「やぁねぇ、あんなにぴょんぴょん跳ねて」
「あ、腕を絡めた」
「…………」
「うわぁ、あぁんなにひっついてる」
「今にもとろけそう〜って顔ね」
「…………?」
「ちょっと……まさか」
「あ! キスした! だいた〜ん!」
「あの男の子…………」
「うんうん。どこの子かしら?」
「まあまあハンサムだけど、でもこんなとこでキスするもんねぇ」
「私、知ってる…………」
「「え!?」」

 思わずサライユとルナイユがアミアの顔をのぞき込む。

「「誰よ!?」」
「ほら、例の立木君…………」
「「立木!? ひょっとして、あの立木君!!? 橘学園の!?」」
「そ、そんな二人してハモんなくても…………」
「「どうなのっ!?」」
「そ、そうよ…………」
「な、なんてこと!」
「これは見過ごせないわね」
「ど、どうしたの?」
「あのね、アミア。あなた知らないの?」
「何が?」
「橘学園の立木 竜。ご飯を食べない日はあっても、女を口説かない日はないという」
「そ、そうなの?」
「そうよ。その立木君を……」
「ルナがどう手玉に取るか、すっごく興味があるじゃない!」

 思いっきりこけてしまったアミアだったが、サライユとマナイユの二人は目もくれずに立ち上がると、後を付け始めた。

「ちょ、ちょっと。どこ行くの?」
「あの二人の後をつけるに決まってるでしょ!」
「そ、それって……」
「アミアも早くなさい!」
「は、はぁ…………」



「お兄ちゃん……唯、幸せだよ……」
「お、大袈裟なやつだな」
「だってね……」

 ふふっとはにかむように微笑みをこぼす唯。くぉぉぉ! か、可愛いぜ! 思わず唯を抱く龍之介の手に力が入る。

「お、お兄ちゃん。苦しい…………」
「うう。可愛いよぉ……」
「……………………コホン……」

 ん?

「もう…………いいかしら?……」
「え?」

 はた……と気がついてみれば、二人に背を向けた友美が、龍之介たちをちらちらと見ている。

「あ、あ? あ?」
「そろそろ、移動しなくちゃいけないんだけど…………」
「と、友美…………いつからそこに?」
「えと、ずっといたけど…………」
「ずっと?…………最初から?」
「そ、そうね」
「……………………見た?」
「……………………見た」

 な、なにぃ? するってぇと、友美の見てる前で俺は唯にキスしちまったのかぁ!?

「ゆ、唯…………」
「なぁに?…………」

 駄目だ。目がイッちまってる。

「ごめんねぇ、お邪魔したくはないんだけど」
「か! 可憐ちゃん!?」
「続きは二人っきりになってからにしてね」
「あ、いや、そのね、だから」
「相変わらずアツアツで羨ましいわ」
「さ、桜子ちゃん!?」
「時を経ても変わらないものってあるのね」
「あの、それはどういう…………」
「龍之介は何も考えないで、唯を幸せにしてやりゃあいいんだよ」
「あのなぁ、いずみ!」
「何だよ、いやなのか!?」
「そ、そうは言ってないだろ……」
「しっかり守ってあげなさいね。約束なんでしょ?」
「み、美沙さぁん…………」
「約束は守らないとね」
「はぁ…………」
「先輩!」
「げ、こずえちゃん…………」
「こずえ、感動しました!」
「あ、あの…………君たち?」

 にやにや笑いが、目が点になっている龍之介を遠巻きにしている。

「ひょっとして?…………」
「はぁい! あぁんな感動的なキスシーンは生まれてはじめてです!」
「だぁぁぁぁぁぁぁぁ!!! やっぱりぃ!!」

 頭を抱える龍之介を中心にして、笑いが広がった。知ってか知らずか、唯がとろけそうな顔で狼狽える龍之介にかじりつくので、余計に笑いを誘う。淳もいずみの肩を抱きながら、くすくす笑って茶々を入れる。

「ま、まあ…………仲のいいことは結構なことだし」
「せ、先輩〜〜〜」
「ひねまくってまともに唯ちゃんの相手をしてこなかったのが、いきなりキスというのもなんだけど、ま、仲良きことは美しきこと哉って言うしな。うんうん」
「そ、それしか言うことはないんですかぁ〜」
「なんだ、泣きそうな声を出して。唯ちゃんみたいな可愛い子の何が不満だ」
「それとこれとは…………」
「まわりをよく見ずに手を出したお前の責任だ。ま、唯ちゃんに不満はないようだし、別にいいんじゃないかい?」
「そりゃそうですけど…………しくしく…………」
「どうせ龍之介のことだから、おおっぴらにナンパできなくなるのが悲しいだけだろ」
「いずみぃ、それひどい」
「違うのか?」
「いやまあ、多少は…………っつぁあ!」
「お兄ちゃん…………」
「唯! いきなり何すんだよ!」
「お兄ちゃん…………まだナンパするつもりなの?」
「え? あ、いや…………」
「お兄ちゃん!!」
「しません! もうしません!!」

 再び起こる笑い。だが今度は、それも長く続かなかった。

「まあ、龍之介がどんなに頑張っても、街がこの有様じゃな」

 淳の言葉に沈黙が降りる。龍之介も改めて周りを見回してみて、一瞬、目を疑った。一面に瓦礫がまき散らされているばかりで、何もない街並み。歴史の教科書で見た空襲後の東京が思い起こされた。

「こ、これは…………」
「自衛隊も出てきたようだし、さっさと撤退した方が賢明なようだ」
「……………………」
「龍之介」
「はい」
「唯ちゃんを頼むぞ」
「はい…………」
「美佐子さんが無事だといいんだが…………」

 言われるまでもないことだった。『憩』は、八十八町のちょうど中心あたりにある。いや、この状況だと、あったと言う方が適切なようだった。

「唯、行くぞ」
「う…………うん」

 唯が不安げに可憐や淳の方を見る。なおも躊躇するその様子に、可憐が力強く、後押しの言葉をかけた。

「唯ちゃん。行きなさい」
「…………いいの?」
「我慢してるあなたを見る方が辛いわ」
「……………………」
「いい? 今度こそ、龍之介君の手を離しちゃ駄目よ」
「…………ありがとう…………マナ…………」

 お礼なんて言わないで、だって私は…………その言葉が口から出るのを辛うじて可憐は押さえ込んだ。

「行くぞ。唯」
「う、うん」
「じゃあ、先輩」
「ああ。気をつけてな」
「友美はどうするんだ?」
「あ…………私は、後から行くわ」
「そうか…………?」

 龍之介はさらに何か言葉をかけようとしていたようだが…………結局、何も言わないことにしたようだ。

「じゃあな」
「また後で…………」

 歩き出した龍之介の後を追った唯が、淳たちを振り返り、ちょこんと頭を下げる。みんなで手を振って見送ると、慌てて龍之介を追いかけて手を繋ぎ、瓦礫の向こうに消えていった。



「さて、我々も退散しようか」

 それを見届けてから、淳が振り返ってガーディアンたちに言う。とミサが口をはさんだ。

「ちょ、ちょっと待って」
「何だい?」
「取り敢えずあなたがソルジャーだってことにするとしても、あなたたち、これからどうするつもりなの?」
「取り敢えずって…………俺ってそんなにらしくないんだろうか……しくしく」
「ぼけてないで答えてよ。それとも何? ノウンワールドのエージェントには教えられないっていうの?」
「誰もそんなことは…………ああ、そうだ」
「?」
「そういや、君がノウンワールドのコマンダーだってことは証明してもらってないな」
「な!?」

 何を言うんだこの野郎!? とミサは言いかけて口を噤んだ。確かに一理はある。

「私の個人IDなら、中央のドメインに照会して…………なに?」

 淳がにやにや笑っている。

「ミサ・タミネンス・ウェイズバック。同家のセカンドチルドレンの一人。識別アカウントは、misa#tribium@t-weiz.marce.m-e.cern.theo.grnd110」
「なんでそれを……………………あぁあ! 覗いたわねぇ!!」
「覗いたとは人聞きの悪い。公式記録をチェックしただけじゃないか」
「あのぉ〜」

 コズエが口を挟む。

「何だい?」
「いつの間にそんなのお調べになったんですか?」
「ああ」

 と淳は肩をすくめ、ミサにウィンクすると、

「さっき、素敵な弾をプレゼントして頂いた時に、IDを失敬してね」
「あ、あの間にぃ!?」
「そういう君は…………コズエ・フェアロード・ライナック。同家の第三位ファミリーマザー継承者で、アカウントは、kozue#rosan@fairload.rn.c-c.prost.lag.erde035」
「すっご〜い」
「なに、感心してんのよ! んなことはどうでもいいの! ところで…………本当に公式記録をチェックしただけなんでしょうね?」
「お望みなら、プライベートデータにもアクセスするけど?」
「結構です!」
「お、怒んなくてもいいじゃないか。ちょっと身元を確認しただけなのに」
「…………まあ、偉そうに文句言える立場じゃないけど…………ってそうじゃなくて! これからどうするつもりなのか聞いてるのよ、私は!」
「ふむ…………どうする?」

 と言って可憐を見る。

「い、いきなり振らないでよ…………今のところ、妙案があるわけでもないし。向こうの出方次第ってくらいよ」
「だそうだ」
「…………だからね、それくらい私でも見当つくわよ! その間、何もしないのか!?って聞いてるわけ! 特にあなた!」
「お、俺?」
「当たり前でしょ! それとも何!? 知らんふりでも決め込もうって言うの!?」
「い、いや…………それはだな」
「それは、何よ? 大体陰険だわよ。とっくに調べてるくせに、身元証明を要求してみたり。どうせ私のスリーサイズから何から調べ上げてるんでしょ!」
「いや、そんなことはないが…………調べてみたいけど…………あ痛!」
「へ?」
「緒黒先輩…………」

 それまで黙っていたいずみが、形容のしようのない顔で淳を睨んでいる。

「それって…………どういう?」
「あ、あはは。単なる言葉のあや。ね?」
「先輩…………」
「い、いずみ…………ちょっと待ってくれ」
「私だって…………私だって…………言いたいこと一杯あるのに…………2000年も待って、やっと会えたのに…………ミサさんのスリーサイズを調べてみたい…………ですって?」
「いや、だからな…………」
「はいはい。いずみちゃんもそこまでにしてね」

 さすがにこれ以上脱線されてはかなわないのか、可憐がいずみを止めた。

「可憐…………だって!」
「わかったから。後でゆっくりさせてあげるわよ。今はそんなことで揉めてる場合じゃないでしょ」
「でも…………」
「とにかく、もう時間がないわ。今後のことはまた改めて打ち合わせするってことでどうかしら?」

 まだ何かぶちぶち言いたそうないずみを放っておいて、ミサに話を振る。

「…………この場合、仕方ないわね」
「じゃ、そういうことで、撤退しましょ」
「あ、待って。あなたたちに連絡をつけるにはどうしたらいいの?」
「えっと…………」

 返答に困って、友美に助けを求める。

「『城』には端末があったから、後からアドレスを知らせるっていうのじゃ駄目?」
「それでいいわ…………って『城』って何?」
「説明すると長くなるから…………それは後にしませんか?」

 ヘリコプターの爆音が近づいてくる。

「状況が状況のようだし」
「そうね。ウチのアドレスはわかるわね?」
「ええ、多分。ソルジャーが調べてるでしょうし」

 友美はにっこり笑って、淳を見た。なぜか狼狽えている淳と、それを見てまたまた睨み付けているいずみ。

「じゃ、そういうことにしましょうか」
「では、また後ほど」

 友美が可憐に視線を送ると、可憐は頷き、テレポートした。いずみは黙って淳の袖口をつかむと、何も言わず淳と共に姿を消した。

「桜子ちゃん。行きましょ」
「ええ…………」
「どうかしたの?」
「ううん。ミサさん、コズエさん。またね」
「え、ええ…………」
「必ず連絡して下さいね!」

 コズエが元気よく桜子に答える。

「ええ…………」

 桜子は、コズエに向かってにっこり笑うと、友美と共にテレポートしていった。

「そう言えば、あの子…………」
「どなたですか?」
「桜子…………ちゃんだっけ…………あなたをずっと見てたようだけど…………?」
「そうなんですか?」
「ええ…………知り合い?」
「いえ。さっき会ったばかりですから」
「そうよねぇ…………ま、気にしてても仕方ないか。私たちも引き上げましょ」
「はい」



 次元暦 895.109。TERA-001。マナイユ・サライユ・アミアの三人は、ルナイユの後をつけている。正確に言うと、デート中のルナイユを、だが。

「それにしても、べたべたねぇ」
「かぁ〜、世界一の幸せ者〜って顔だわねぇ」
「…………いいなぁ…………」
「きゃ! 彼のほっぺについたアイスを……なめちゃった……」
「う〜ん。立木君の方は照れてるわねぇ」
「…………羨ましい…………」
「をや?」
「どうしたのかしら?」
「あら、立ち止まっちゃったわね」
「何か揉めてるのかしら?」
「ルナイユがしきりに誘ってるようだけど…………」
「一体何を?…………」
「え゛…………」
「う゛そ…………」
「い゛…………」
「「「ホテルに入ってった…………?」」」

 思わず顔を見合わせる三人。

「どうしよう?」
「どうしようったって…………」
「まさか踏み込むわけにもいかないし」
「そう…………ね…………」
「いけないことをしてるわけでもないし…………」
「よね…………」

 ちょっと沈黙。

「帰ろか」
「う、うん…………」

 妙に力の無い様子で、三人はやって来た道を戻り始める。…………やっぱりショックか?

「ねぇ……」
「なに? アミア?」
「ルナイユが育った世界っていうのも、こういうのに大らかなとこだったの?」
「そうね…………必ずしもそうではなかったけど…………でもどうして?」
「ちょっと意外だったから」
「かもね…………でも、あの子にとっては自然なことだと思うわ」
「そりゃ……私もそうだと思うけど……」
「そうじゃないの」
「?」
「あの子にとって『愛する』ことは、自分の全てを捧げることなのよ」
「どういう?…………」
「うまく言えないけど…………自己犠牲とかそんなんじゃないんだけどね……献身っていうのかな。うまく言えないのよ。表に現れる行動としてはそう言ってしまっていいんだけど、なんか、ね」
「何があるの?」
「ん…………私たちでも追跡不可能な何かがあるのよ。精神の奥底に」
「そんなのが?…………でもそんなはずは…………?」
「そう…………原理的に私たちが追跡し切れないない精神構造なんてないはず…………でもそれはあるの。もっともそれはルナイユに限ったことじゃないけど」
「じゃあ、単にガーディアンが特別っていうだけじゃないの?」
「なのかも知れないわね。でもね…………」

 ふと、マナイユの表情に憂鬱の影が浮かぶ。

「あの子のは…………ひどく脆い感じがするのよ。とてもね…………」
「ま………まさかぁ。だってあの子、意外とタフじゃない」
「大きな矛盾に直面してないからよ。今まではね」
「マナイユ…………」
「そのときどうなるかは…………正直……わからないわ」



 八十八町は、ごく周辺の建築物を除いて、壊滅状態にあった。当然『憩』も例外ではなく、龍之介と唯は、その足で八十八学園へ向かった。八十八町の主だった建造物は病院を含めて破壊されており、最外縁部にあった八十八学園だけが、辛うじて被害を免れていたのである。

「何にもなくなっちゃったね…………」
「ああ…………」
「……………………」
「唯?」
「…………ごめん。なんでもないよ…………」

 何でもないはずがないことは、唯の顔色からして明らかだったが、さすがに龍之介も余裕をなくしており、詳しく問いただすことなどできない。結局、二人とも黙りこくったまま、八十八学園の校門をくぐった。

「!……………………」

 外の状況を地獄と呼ぶのなら、学園内の惨状は何と形容すべきか? 自衛隊の救援部隊が次々と到着する中で、負傷した人々が力無く群れており、あるいは既に骸と化したのか、ぴくりとも動かず体を横たえる人々で校庭は一杯になっていた。

「唯。どうした? 行くぞ」
「う、うん…………」

 返事をしたものの、足が震えて前に歩き出せない。こういう状況を目にしたことがなかったわけではない。戦いがあれば傷つく者がいる。自明のことである。そして、今までは唯=ルナイユもそれを受け入れることができていた。だが、今回は違う。ひどく、その状況が恐ろしかった。理由もわからず唯は怯えていた。龍之介に抱かれて口づけを交わしたのが、とても遠い過去のような錯覚に陥っていた。

「唯?」
「お兄ちゃん…………ごめん…………」

 そう言って唯は龍之介の腕にしがみついた。龍之介はしばらく唯の顔を見つめていたが、やおら唯を抱き寄せると、ゆっくりと歩き始めた。

 どんなに街並みが焼けただれていても、そこに人がいなければ無惨な印象は生まれない。だがここには人がいた。大勢の人がいた。血の匂いが鼻をつき、言葉にならないうめき声が耳を刺した。

 唯の異常に気がついたのは、唯自身ではなく、龍之介の方であった。校舎に近づくにつれて、唯の体が触れていなくてもわかるほどに震えだし、足取りがおぼつかなくなっていた。いくら龍之介に余裕がなくとも、さすがにおかしいことはわかる。

「唯、向こうで少し休もう」
「へ…………平気…………だよ……」
「いいから休め」

 引きずるようにして木陰へ連れていき、わずかに空いていた空間に唯を座らせる。顔が血の気を失って真っ白になっており、ひどく汗をかいていた。呼吸の度に肩が上下しており、尋常ではない。

「どこか痛むところはないのか?」
「う…………ん…………」

 龍之介の手が唯の額を覆う。龍之介の掌に妙に冷たい感覚が返ってくる。

「どこが…………どこが苦しい?」
「ちが…………う…………力を…………使いすぎ……ただけ…………」
「ちから?」
「ん…………」

 でもいつもと違う…………いつもなら、こんな風にはならない…………予感…………何かの予感…………わからない…………

「唯、ちょっと待ってろ。薬をもらってくるから」
「い…………や…………」

 震える手で龍之介の袖を握りしめようとするが、力が入らない。

「唯?」
「こ…………わい…………」
「怖い? どうした? 唯?」
「そば…………に…………」

 いきなり言葉が途切れ、唯はかっくりと龍之介の腕の中にもたれ込んだ。

「唯!? おい、唯!?」





《 E-Part へ続く 》
《 C-Part へ戻る 》
戻る