『さとみ』

               written by 古酒
 〜或る日の午後 あるいは プロローグ〜

 冷たい風がほんのひととき吹き抜ける、街並みは冬へ向けての化粧に忙しく、
その姿を刻一刻と変化させている。
 雑踏の流れはいつもよりも早くはないだろうか。
 平日の午後、この時間帯に先負町の駅前を歩く人影はまばらではあるのだが…。
 それでも窓ガラスから差し込む太陽の光は、いまだに柔らかい温かさを与え
てくれている。
 そんな或る日の午後、彼女はそこにいる…。

        §          §          §

 喫茶店『OTIMTIM』、かなりの繁盛を見せるこの店は、駅前という立
地条件の良さもさる事ながら、マスターである女性の評判からもその理由にす
る事が出来るであろう。
 その繁盛していると言う店であっても午後のこの時間帯ではそうそう客が入
っているものではない。
 ちょうど客が引けてしまった時間帯、マスターであるその女性がカウンター
の椅子に座り誰かに話し掛けている…。
 「ふぅ、いつもの事とはいえさすがにこの時間は暇ねぇ、ねえ、そう思うで
しょう」
 話し掛けている相手は何も答えない、しかし女性はそんな事はおかまい無し
に話を続けている。
 「もうあなたが来て1年近くが経つのねぇ、あの時は大変だったわよね、何
しろ突然の出来事だったから」
 女性が話し相手の方に手を伸ばす、その体に手が触れようとした瞬間、相手
は身を捩り、俊敏な動作でその手をかわした。
 「あっ、このさとみさまから逃れようというの、そうはいかないわよ、こら
待てっ」
 逃げた相手を追いかける彼女、しかし相手の動作は素早く、なかなか捕まえ
る事は出来ない。
 椅子と椅子の間、あるいは机と椅子の間、次から次へと場所を変える相手。
 それを追いかける彼女の顔は、本当に楽しそうな、幸せそうな笑みが浮かん
でいる。
 ガタンッ「それっ」
 ガタタンッ「あっ、こらっ」
 「はあっ、はあっ、すばしっこいわねぇ、よお〜し…」
 彼女は少し腰を落とし、力を貯めるといっきにその力を解放した。
 「それっ」
 バタンッ
 「ほーら捕まえたっ、もう逃がさないからね」
 相手を背中からぎゅっと抱きしめる彼女、愛しげに抱きしめる彼女ではあっ
たがその腕の力はあくまでも優しく安心感を与えるものであった。
 しばらくは抵抗をしていた相手も次第に落ち着いてきたのか、暴れる事をや
め、彼女に抱きしめられるままになっていた。
 「ねぇ、あなたを最初に見つけたときはどうしようかって思ったわ、私たち
ね、以前…そう中学の頃だからもう7年以上も前になるんだけどね、同じよう
な事があったんだ」
 彼女は相手の背中に語り続けている。話している相手はおとなしくしている
が話を聞いている様子ではない。
 しかし彼女は相手が聞いている事は期待していないようだ。まるで独り言の
ように、それでいて語りかけるように話を続けている。
 「あの時は結局何も出来なかった、自分がとても無力に感じたわ、それは卓
郎だって同じだったと思う。だからあなたが現れたとき、私はあの時のような
思いをしたくないって思ったわ」
 彼女は抱きしめている相手を確認するかのようにその腕に少し力を入れる。
 「卓郎は反対したけど、きっと思いは同じだったと思うの、でも卓郎は私の
事も気遣っていたのね、また同じ思いをするかもしれないって…」
 じっとしていることに飽きてきたのか、その相手はむずむずと身を捩じらせ
ている。
 彼女はそっと手を離すと相手の顔の目の前に回った。
 「ねぇ、あなたはここに来て幸せだった?」
 不安と期待、二つの感情が入り交じった声で彼女が相手に問う。
 しかし返事はない…。

 から〜〜ん、乾いた音が店内に響く。そろそろ夕方にかけての忙しくなる時
間帯が迫ってきている。
 「はーい、いらっしゃいませ」
 「ご注文は何にいたしますか?」
 今まで語りかけていた相手を残し、彼女はいつもの彼女へと戻っていく。

 そして…

 ニィ

 たった一言、満足げな声で「しあわせだよ」そう言っているように彼はその
一言だけを彼女に向けて語りかけていた。

        §          §          §

 「ただいまぁ」
 「あっ、卓郎お帰り、仕事の方は大丈夫?」
 「ああ、なんとかな、まあ、大丈夫じゃなくても頑張るさ、なにせ…」

          To be continued there happiness life....and so....

戻る