『そのままの君でいて』

(10 Years Episode 6)
〜 D-PART 〜

構想・打鍵:Zeke
監修:同級生2小説化計画企画準備委員会

 この作品はフィクションです。登場する人物、名称、土地、出来事等は実在するものではありません。
 また本作は(株)ELFの作品「同級生2」の作品世界を設定として使用しております。




 同日午後10時
 閉店時間を30分過ぎた『Mute』は全ての電気が落とされ、闇に溶け込んでい
た。店に面した幅8mの道は車通りも少なく、街灯もあるにはあるが10m程離れた
処にぽつんとあるだけでは、辺りを明るく照らすというわけにはいかない。
 その『Mute』の前を1つの影が通り過ぎる。
 ‥‥と、通り過ぎた影は30m程で回れ右をし、再び店の前を通り過ぎる。そして
また30mほど行くととって返し‥‥

「やっぱりもう居ないよなぁ‥‥」
 その影、龍之介が独りごちる。
 本当なら昨日と同じ閉店間際に来ようと思っていたのだが、外に出ようとリビング
の前を通り過ぎたところでお風呂上がりの唯に見つかった。

「どこに行くの?」
 と問う唯に
「別に‥‥何処にも行かないぞ。」
 咄嗟にそう答えていた。多少後ろめたさがあったのかも知れない。
 その後30分、唯が髪を乾かしている間、龍之介は見たくもないテレビを見るはめ
になった。

「まさか‥‥あいつ俺の事を見張ってたんじゃないだろうな。」
 自意識過剰というやつである。   
 更に店の前を一往復した後、ドアの前で立ち止まり、
「まあ、別に急を要する用事でもないし、明日でもいいか。」
 急を要しない用事なのに店の前を3往復する律儀さには頭が下がる。
 更に、そう言いながらもドアの取っ手に手を伸ばし‥‥
「あぁ〜〜、ヤメヤメ! 電気だって点いてないし、これだけ店の前をうろついてい
 ても出て来ないのは、いないって証拠だ。」
 伸ばした手を引っ込め、ドアに背を向ける。
「うん、いないいない。明日にしよう。」
 自分に言い聞かせ、その場から1歩 2歩 3歩‥‥

「逃げるな。」
 静かな、しかしある種の鋭さを持った声が龍之介の背中に突き刺さった。
 彼の身体が硬直したのは言うまでもない。

                   ☆

「何にする?」
 昨日と同じようにカウンターの中から聞く愛衣に、
「コーヒーを‥‥ホットで。」
 上目遣いに様子を伺いながら、龍之介が恐る恐る注文する。
 そんな彼の様子に気付いているのかいないのか、
「で‥‥なにか用?」
 顔も向けず、静かな口調の愛衣。
「た、偶々通りかかっただけだよ。」
「店の前を5回も6回も通り過ぎるのは偶々通り掛かったとは言わないわよ‥‥はい、
 お待たせ。」
 そう言って龍之介の前に出されたのはコーヒーカップではなく、グラス‥‥そして
その中には乳白色のグレープフルーツジュースが‥‥

 ザ――――――ッ!
 龍之介の背中を冷や汗が滝のように流れる。
 愛衣は硬直した龍之介を後目に、これまた昨日と同じように龍之介の右隣のスツー
ルに腰掛けた。
 意図的に昨日と同じ状況を作り出そうとしているとしか思えない。とは言っても、
愛衣が昨日の続きを望んでいると考えるほど龍之介は楽観主義者ではなかった。

 つつーと冷や汗が頬を伝う。
(こうなったら‥‥)
 半ばヤケになった龍之介は、これまた昨日と同じ手段を取ることにした。目の前の
グラスを手に取り、
(酔ってしまうしかない!)
 ぐいぐいとグラスの中味を口の中に流し込む。アルコールのせいにしてしまおうと
いうセコイ戦法だ。しかし‥‥
「アルコール、入ってないわよ、それ。」

 ヒュオォォォォ‥‥‥

 締め切った店内の筈なのに、何故か風が吹き抜けた。
 張り付いたような笑顔で空になったグラスをコースターに置く龍之介。
「い、いや‥‥ちょっとノドが乾いてたもんだからね。」
 誤魔化してみるが多分バレバレである。
「まさか‥‥」
 一端言葉を切り、そこで初めて龍之介に顔を向ける愛衣。
「酔った勢い‥‥なんて言うんじゃないでしょうね。」
 漫画だったら”きっ”という文字が入るくらい鋭い視線が龍之介に向けられた。
 今の龍之介ほど、夏の陣で大阪城の堀を埋められた豊臣勢の心境がわかる者はいな
いだろう。

「あ、あの‥‥、怒って‥‥る?」
「怒ってるわよ。」
 間髪入れずに答えが返って来た。
「あ‥‥やっぱり?」
「なにが『やっぱり?』よ。大体フォローが遅いのよ、丸一日経ってるじゃない。」
「へっ?」
 龍之介が想像していたより少しばかり違う反応だった。
「来たと思ったら店の前をうろついてるだけ‥‥挙げ句に逃げ出そうとするし。」
「えっと‥‥怒ってるってその事?」
 恐る恐る聞いてみる。
「取り敢えず今はその事だけ。 ‥‥あとは龍之介の返答次第よ。」
 世の中そんなに甘い訳がなかった。
「あ、やっぱり‥‥」
「当然でしょ。言って置くけど、アレ‥‥初めてなんだからね。」

 どっぱ〜ん!
 心の海岸に、東映映画のオープニングの如く波が打ち寄せる。
(なんか俺って同じ事を繰り返してるような‥‥)
 一昨年、唯にキスしたときも同じように誰かさんに追求されたような気がする。違
いはキスした本人に追求されている事だけだろうか。まあ、どっちにしろ覚悟を決め
ることには代わりは無かったのだが‥‥

「なにか言いたいことある? 言い訳ぐらいは聞いて上げるわよ。」
 最後通牒にも似たような響きを龍之介は感じ取った。もう開き直るしかない。
「無い。弁解するつもりも、言い訳するつもりも、謝るつもりも無い。」
  さすがに昨日と同じ愚を犯すような事はしなかった。
「ない!? 謝るつもりがないの?」
 そうは言っているが、その言葉に刺々しさはなかった。いや、むしろ安堵の雰囲気
すらあった。
「‥‥‥。」
 無言でグラスを弄ぶ龍之介。
「ふーん、そぉ‥‥謝るつもりが無いんだ。」
「‥‥‥。」
「自分が何をやったかわかってるのかな?」
 意地の悪い愛衣の追求に観念したのか、
「胸‥‥触った。」
 消え入りそうな声で応える。
「あれは触ったんじゃなくて、握ったっていうのよ。‥‥龍之介が思ってるよりずっ
 とデリケートなトコなんだから‥‥。」
 手を胸の前で交差させ言ってやる。
「悪かったよ。次から気を付ける。」
「別に龍之介の為に私の胸はある訳じゃ無いんだけど‥‥ま、次があるといいわね。
 ‥‥それで?」
 更に質問を重ねる愛衣。
「それでって?」
「胸を触る前に何かしたでしょ?」
(やっぱり胸より唇の方が大事なのかな?)
 などと余計な事を考えてしまう龍之介。それでも、答えない訳にはいかないと思っ
たのか、
「へいへい、俺は純情可憐な愛衣の唇を奪った極悪人ですよ。」
 素直(?)に認める。
「そこまで卑屈になる事無いんだけどね‥‥それから?」
 更に詰め寄る。
「それからって‥‥俺、他にも何かしたのか?」
 龍之介の背中が凍り付いた。それ以上何かやったとすればそれこそ酔った勢いとい
うことになる。
(キスして、胸触って、それから先っていうと‥‥)
 頭の中を煩な考えが駆け巡った。
「何か変な想像してるでしょ‥‥したんじゃなくて言ったのよ。」
 煩の海で溺れかけている龍之介に助け船を出してやる。ところが、
「‥‥俺、何か大事なこと言ったっけか?」
 龍之介にしてみれば、胸を触った事とキスした事が大きなウェイトを占めていた為、
言葉にまでは気が回らなかったようだ。
「言ったよ。すごく大事なコト。」
 逆に愛衣にしてみると、言葉の方こそが最重要事項だった。
「えーと‥‥」
 暫く中空を見つめる龍之介‥‥そして、
「良くない。」
「‥‥‥なに?」
 途端に愛衣の顔が曇る。
「だから、外国に行っちゃってもいいか? って愛衣が聞いてきたから『良くない』っ
 て言ったんだよ。」
 いささかぶっきらぼうな言い方だが、照れを隠すとこういう言い方になってしまう。
この言葉だって龍之介にしてみれば十分恥ずかしいのだ。
 しかし愛衣の聞きたい言葉はそんな言葉ではなかった。 
「‥‥その後。」
 往生際の悪い龍之介に溜息混じりに促す。だが、
「えっ? だってその後はそのまま‥‥」
 キスしたと言いたいらしい。
「その後、私が『どうして?』って聞いたでしょ。」
 だんだん詰問口調になってくる。
「ええっ!? そうだったっけ?」
 そう龍之介が答えると同時に、愛衣が右手を振り上げた。
 慌てたのは龍之介だ。
「うわっ! ちょっと待て。思い出す! 思い出すから‥‥。」
 睨み付けながらも、ゆっくりと上げた右手を降ろす。
 惚けているのか、それとも本気で忘れているのか、考え込む龍之介。

 龍之介にとっても愛衣にとっても長い時間が過ぎた。もっとも時計の長針は30度
(つまり5分)しか動いてなかったが‥‥

「あのー‥‥」
 龍之介が恐る恐る切り出す。
「そんなに大事なことなのか? 『どうして?』って聞かれて『どうしても』って答
 えるのが‥‥」
「‥‥その後」
 にべもなく言い放つ愛衣。
 もし本気で忘れているのであれば許さない処だが、彼女の目から見れば龍之介が覚
えているのもかかわらず誤魔化しているのがバレバレだった。

「その後って‥‥‥。」
 それがわかっているのかいないのか、龍之介は再び考え込むフリをする。
 ちなみにその間愛衣は身じろぎもせずに考え込む龍之介を見つめていた。これがま
た強烈なプレッシャーになる。

 5分経過‥‥
 10分経過‥‥
 15分‥‥‥
「10、9、8‥‥」
 業を煮やした愛衣が、遂にカウントダウンを始める。
「6、5、4‥‥」
 ゆっくりと右手を上げる。
「3、2、1‥‥」
「ごめん! 思い出せない。」
 1発殴られるだけで済むなら、それで良かろうと、目を瞑り歯を喰いしばって来る
べき衝撃に備える龍之介。
 だが、振り下ろされた手は、龍之介の頬でなくシャツの胸襟を掴むと、そのまま
『ぐっ』とばかりに愛衣の方へ引き寄せられた。

「私が赤道挟んで反対側の国に行っちゃってもいいの?」
「は?」
 一瞬、呆気にとられる龍之介だったが、すぐに愛衣の意図に気付いた。昨日の再現
をしようというのだろう。
「えーと‥‥良くない。」
「どうして?」
「えと‥‥どうしても。」
「ちゃんと答えて。」
「‥‥‥‥‥‥。」
「‥‥‥‥‥‥。」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
(この間、龍之介の中でどんな葛藤があったかは枚挙に暇がないので割愛する。)
 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥あ」
 どうやら覚悟を決めたらしい。
「思い出した?」
「えーと、言うのか?」
「‥‥‥。」
 無言だったが、愛衣の目は『もちろん』と語っていた。

「その‥‥何か言ったのは思い出したんだけど‥‥。」
 この期に及んでの嘘。
「ひっぱたかれたい?」
 すぐさまその嘘を見破る。
「あの‥‥もーちょっと近付けば、完全に思い出すんだけど‥‥」
「もうちょっとって、どれくらいよ。」
「‥‥じ、10センチくらい‥‥かな?」
 ちなみに二人の距離は10センチもない。
「ほんっとに思い出すね。」
「たぶん‥‥」
「多分?」
「いや、絶対‥‥」
「ホントだね。」
 目を伏せ心持ちアゴを上げると二人の距離が一気に縮まった。

「んっ‥‥」
 龍之介の唇に触れる感触。柔らかい‥‥
「‥‥‥ん?」
 いや、柔らかくなかった。驚いて目を開けると‥‥50cm程向こうで、愛衣が怒っ
たようにこちらを見ている。
 龍之介がキスしていた相手はというと、何処にあったのか掃除用のモップだった。

(謀られた!)
 モップを握り締め歯噛みする。
「ひきょー者。」
「卑怯はどっちよ、言わないでキスしようとしたでしょう?」
「ぐぐっ‥‥」
 言葉に詰まる。言われてみれば確かにそうだ。しかしだからと言ってモップにキス
させられた屈辱は消えない。

「さてと‥‥言って貰おうかな。」
「何をだよ‥‥」
「絶対思い出すって言ったから、思い出したんでしょ。」
 勝ち誇ったように言う。
「ああ。思い出したよ。‥‥言ってやろうか?」
 対照的に、愛衣をねめつける龍之介。
「うん‥‥お願い。」
 こちらは龍之介の瞳をじっと見つめ、しおらしくも『お願い』なんて言ってしまう。
 逃げ道は全て塞いだということだ。

「どうして愛衣にキスしたかって言うとだな。」
「うん。」
 ちょっと違う様な気がしたが、今更このムードは壊せない。
「愛衣が‥‥」
「‥‥はい」
「スキ‥‥‥だらけだよ。」
「‥‥‥‥‥‥‥。」

『…キダカラダヨ』
『スキダラケダヨ』
 確かに字数とイントネーションは似通っていた。意味は全然違うが‥‥。

「‥‥どーゆー繋がりがあるのよ。」
 今度は愛衣が龍之介をねめつける番だった。
「つまりだな、スキを作る愛衣にも責任の一端が‥‥」
「どーしても言いたくない訳ね。」
「脅して言わせる言葉かよ。」
「誰が誰を脅したって?」
「愛衣が俺をだ。」
「私がいつ、どーやって脅したのよ?」
「今さっき、俺に無理矢理『好き』って言わせようとしたじゃないか。」

                  ・
                  ・
                  ・
                  ・

 妙な間が空いた。一瞬キョトンとする愛衣、そして自分がどれほど大事な事を言っ
たのか把握していない龍之介。

「私、龍之介に無理矢理『好き』だなんて言わせてないわよ。」
「は?」
 呆けた顔。そして‥‥
「あっ‥‥」
 滑った口を慌てて押さえるがもちろん遅い。
 見事な誘導尋問だった‥‥いや、誘導と言うよりは、龍之介が勝手に自爆しただけ
なのだが‥‥

                  ☆

「さて‥‥と」
 愛衣が微かな笑みを浮かべ立ち上がり、まだ口を押さえたままの硬直している龍之
介の前にあるグラスを片付け始める。
 そして、
「お店閉めるから龍之介も手伝って。」
 龍之介向かって言うのだが、
「ちょ、ちょっと待て、何か誤解しているぞ。『好き』ってのは言葉のアヤで‥‥」
 益々ドロ沼。
「はいはい言葉のアヤね。わかったからそのモップで床拭いて。」
 わかるつもりはさらさら無いようだ。
「だ〜か〜らぁ〜」
 反駁しかける龍之介に
「あ、明日も閉店前に来てモップ掛けしてね。」
「なんだって?」
「そーだなぁ。明日から今月末まででいいから。」
「なんで俺がそんな事‥‥」
「イヤならいいわよ。」
 それきり黙り込んでしまう。沈黙は人の不安を掻き立てるものだ。

「俺、一応受験生なんだけど‥‥」
「だから今月一杯でいいって言ってるでしょ。」
 龍之介の方を見もしないで答える愛衣。
「あの‥‥断ったらどうなるの、それ。」
 恐いけど聞いてみる。
「別に‥‥何も起こらないわよ。」
 それが一番恐い。
「‥‥‥やらせていただきます。」
 と、それまで洗い物をしていた愛衣の手が止まり、
「ありがと。だから龍之介って好きよ。」
 微笑んで言ってくれた。
 もちろん龍之介には愛衣の『好き』がLoveなのかLikeなのかはわからなかっ
たのだが‥‥。
「何か違う‥‥」
 龍之介のその呟きは洗い物を続ける愛衣の耳には届かなかった。

            ☆            ☆

 翌週、月曜‥‥

 20帖余りあるその部屋に天窓から光が射し込み、フローリングの床に反射する。
 部屋にはその天窓の他に、西側にもう一つの窓があるのだが、東から登る太陽の陽
は西側にあるその窓から差し込むことはない。
 ようやく片付けの終わった室内は、たったひとりの男の子が使うにしてはいささか
広すぎるきらいはあるが、色々な出来事が解決した事で彼も心機一転‥‥

「お兄ちゃん。そろそろ起きないと遅刻だよ。」

 それでもやっぱりと云うか龍之介の朝寝坊が直るという訳も無く、今日も今日とて
彼の朝は唯のモーニングコールから始まる。

「う〜ん‥‥あと5分‥‥。」
「さっきも同じ事言ってたよ。」
 本日も既に2度目のモーニングコールのようだ。
「ほら、早くぅ!」
 毎日の様に繰り返していることだが、今日も強引に唯が布団をひっぺがそうとする。
「最後の5分だ〜」
 これまたいつもの様に龍之介が抵抗する。で‥‥

 だだっ!
 どっすん!
「ぐえっ!」

 そして龍之介が頭から被っていた布団を捲り、
「起きた? お兄ちゃん。」
 と聞く。いつもと変わらぬ‥‥いや、
「‥‥唯。」
 捲った布団の向こうから、龍之介がいつになく真剣な目で唯を見ていた。
「な、なに?」
 思わず顔を赤らめる唯。それもその筈で、2人の間にある空間は1秒以下で縮まる
距離だった。
「あのな‥‥」
 無理な体勢にも関わらず、龍之介が上体を起こそうとする。
「‥‥うん。」
 それに倣って、唯の瞳が徐々に細くなる。
「‥‥‥‥。」
                  ・
                  ・
                  ・
  ずんっ!
「◆□■△▽▲◇〜〜〜〜っ!」
 声にならない声を上げ、龍之介が白目を剥く。今日も何か余計な一言を言ったらし
い。
            ☆            ☆

 カシャン
 友美が門を出ると、ちょうど隣の家から唯が出てくるところだった。
「おはよう。」
 と声を掛けると、唯も気付いたのか友美の方へ足早に駆け寄って来る。
「おはよ、友美ちゃん。」
 互いに朝の挨拶を交わすと、2人は並んで歩き出した。

 暫く2人は無言で歩いていたのだが、
「龍くん、今日は来るのよね?」
 友美が切り出した。
「うん。そうみたいね。」
「ちゃんと起きられた? 久しぶりだからなかなか起きなかっ‥‥やだ、また喧嘩し
 てるの?」
 友美が唯の微妙な表情を読みとる。
「え? あ‥‥大したことじゃないよ、うん。」
 どこかはぐらかすように言う唯に、
「そう? なら良いんだけど‥‥」
 友美は納得したようなしないような顔で目線を外し、再び歩き出した。


 5月中頃‥‥平年並みの暖かさ。
 あちこちに雲がぽかぽかと浮いていたが、間違い無く晴天と呼べる天気。もう半月
もすれば衣替えと云うこともあって、冬服では少し汗ばむくらいの陽気だった。


「‥‥本当に、大したことじゃ無いんだ。」
 暫く無言で歩いていた2人だが、5分ほど歩いた処で唯が、ぽつりと切り出す。
「ただ‥‥お兄ちゃんが『学校ではもうお兄ちゃんって呼ぶな』って言うから‥‥。」
 どこか寂しそうな表情の唯。
「‥‥そう‥‥なんだ。」
 友美には、それが唯にとってどれだけ大きな事か理解しているつもりだった。何か
慰めの言葉を掛けようするが、上手く言葉が浮かばない。

 そんな友美の心の内に気付いたのか、
「あ、でも『学校では』って事は、学校以外では呼んでも良いって事だよね。」
 自分自身に言い聞かせるように、明るい表情を見せる。そんな唯に応えるかの様に、
「そうね。多分龍くんもそこまでは言わないと思うわ。だって7年間もそう呼ばれて
 いたんですもの。」
 友美も笑顔を返す。
「うん。唯だって家の中でまで『龍之介君』なんて呼びたくないもん。」
 そう言う唯に、友美がちょっと複雑そうな笑みを返すが、そんな彼女の表情を唯は
読みとる事は出来なかった。

            ☆            ☆

 キーンコーンカーン‥‥
 8時20分。このチャイムが鳴り終わるまでに校内に入らなければ遅刻というチャ
イムが鳴り終わって数分後‥‥

「ひゃー、あぶねーあぶねー。危うく遅刻するところだった。」
 騒々しかった教室に、そう言いながら5日ぶりの登校となる龍之介が駆け込んで来
た。途端に今まで騒がしかった教室が、一気に”しん”と静まり返る。
 だが、龍之介はその静けさを別段気にした風もなく、自分の席に向かう。
 と、教室の端っこの席に座っていた男子生徒が立ち上がり、龍之介に向かって

「お、おはよう‥‥。」
 さして大きな声では無かったが、樹の声は教室内にいる生徒の耳に行き渡った。も
ちろん龍之介にも‥‥。彼は樹の方を一瞬だけチラッと見、
「おう。」
 軽く手を上げ声を返す。それで室内の空気が和んだのか、さわさわと教室内がさざ
めきだした。

 友美はそれを見てホッと胸をなで下ろした。誰かが例の噂で挑発し、また龍之介が
暴れ出すのでは無いかと心配していたのだ。
 そんな友美の方へ龍之介が歩いてくる。彼の席は友美の3つ斜め後ろの席だった。
 すれ違う直前、友美が顔を上げ龍之介を見上げる。
 目が合った。
(なんだ?)
 という顔をする龍之介に、友美はいつもと変わらぬ笑顔のまま‥‥いつもとちょっ
と違う言葉で応じた。

  「おはよう、龍之介くん。」


『そのままの君でいて』了


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