『そのままの君でいて』

(10 Years Episode 6)
〜 A-PART 〜

構想・打鍵:Zeke
監修:同級生2小説化計画企画準備委員会

 この作品はフィクションです。登場する人物、名称、土地、出来事等は実在するものではありません。
 また本作は(株)ELFの作品「同級生2」の作品世界を設定として使用しております。




 朝。
 20帖余りあるその部屋に天窓から光が射し込み、フローリングの床に反射する。
 部屋にはその天窓の他に、西側にもう一つの窓があるのだが、東から登る太陽の陽
は西側にあるその窓から差し込むことはない。
 つい最近まで書斎‥‥と云うより書庫だったその部屋は2つの本棚と、山と積まれ
た段ボール箱が面積の半分を占めていた。
 どうやらこの前の騒動で完全に引っ越しが終わらなかったらしい。
 しかし、部屋が変わったからといって龍之介の朝寝坊が直るという訳も無く、今日
も彼の朝は唯のモーニングコールから始まる。

「お兄ちゃん。そろそろ起きないと遅刻だよ。」
「う〜ん‥‥あと5分‥‥。」
「もう! さっきも同じ事言ってたよ。」
 どうやら既に本日2度目のモーニングコールのようだ。
「ほら、早く!」
 強引に唯が布団をひっぺがそうとするのだが、
「最後の5分だ〜」
 あくまでも龍之介が抵抗する。
 この労力を起きる為に使えば良いのだが、まあ二人にしてみれば朝のコミュニケー
ションみたいなものだった。
 とは言っても、今年で中学3年生になったこの二人。力ではやはりと言うか龍之介
の方が強い。唯が満身の力を込めても、龍之介から布団を引き剥がすことは出来なかっ
た。
「ん‥もう!」
 呆れたように布団から手を離してしまう唯。しかしこの程度で諦めてしまうほど短
いつき合いではない。
「‥‥そう。どーしても起きないってゆーなら‥‥」
 彼女は履いていたスリッパをその場で脱ぎ、一歩、二歩と後ずさりする。
「こうだよっ!」
 だだっ! と助走をつけ、唯が宙に舞った。
 その落下地点には当然の如く龍之介が‥‥そのままボディプレスの要領で、

 どっすん!

「ぐえっ!」
 唯の下敷きになった龍之介が、なんとも情けない悲鳴を上げる。
「起きた?」
 頭から被っていた布団を捲りながら聞くのだが、
「ぐおぉぉ〜。お、重い。‥‥お前、また太ったろ。」
「(カチン)☆!」
 龍之介にしてみれば、挨拶代わりの軽い会話のつもりだったのだが、その言葉は唯
の乙女心をぐっさりと貫いた。
 更に追い打ちを掛けるように、
「2kg太って、45kgってトコか?」
 瞬間、唯の眉がつり上がる。
 龍之介の当てずっぽう(まんざら当てずっぽうでもないのだが)で言った数値が、
昨日お風呂上がりに乗ってみた体重計の数値と見事なまでに合致していたからだ。
 しかも増量分までもがきっちりと正確だった。
 人間確信を突かれると感情の制御が難しくなる(早い話が怒り出す)。
 唯の場合も似たようなモノで、

   ずんっ!

 次の瞬間、全体重(45kg)を込めた膝がピンポイントで龍之介の鳩尾の辺りを
直撃した。
「★○◆△▼〜〜〜っ!」
 声にならない声を上げ、白目を剥く龍之介。
「ふんっ‥‥だ。」
 唯は小さく『あっかんべ』をすると、乱暴に部屋のドアを閉め、階下へ降りて行っ
た。
 こうして龍之介は望み通り、5分‥‥いや20分程の睡眠(気絶)を取ることが出
来たのだが、もちろんそれは幸せなことではなかった‥‥。

            ☆            ☆

 さて、ごくごく一般家庭にありがち(?)な朝の風景。同じ様なことが八十八駅に
ほど近いモーターショップでも起こっていた。

「かーさん! 何でもっと早く起こしてくれないんだ!」
 バタバタと居間に入ってきたのは、この家の一人娘である南川 洋子。
「目覚まし時計3つも掛けて起きない人間を起こしに行くほど私は暇じゃないの。」
 母親も毎朝のことなので、横目で我が娘をチラリと見るだけに止どめる。
(大した物を食べさせてはいないつもりなのだが、中学3年で身長が170cm近い
 のはどういう訳だろう? その割には出ても良いところが出ていない。)

 そんな母親の視線には気付かず、制服に袖を通し、歯を磨き、顔を洗い、髪を‥‥
「ぐわぁ〜〜! 間に合わないぃ!」
 とても女の子が出すような声では無い。普段なら遅刻しようが、早退しようが一向
に構わなかったのだが、今日は特別だった。
『今度遅刻したら、一週間罰として応接室の掃除当番する。』
 先日遅刻した時、業を煮やした担任の教師にそう宣言させられたのだ。
 で‥‥
 現在時刻は8:00。校門が閉まるのは8:20。そして洋子の家から学校までは
どんなに急いでも15分。
  今、この場で何もかも放り出して家を飛び出せば間に合うが、そうも行かない。長
く伸ばした髪が恨めしかった。

 それでも何とか体裁を整え、コップ一杯の牛乳でトーストを流し込み、自室に戻っ
て中身の無い鞄を手に取る。そして時計を‥‥
 見上げた時計は8時08分を指していた。
「終わった‥‥。」
 途端に動きが緩慢になる。これで一週間の掃除当番が決定したのだから当然といえ
ば当然か。
「あーあ。」
 のたのたと階段を降りて玄関へ。その時‥‥

「おはよーございます。」
 神の声が聞こえた。その声を聞くや否や先程までの俊敏さが洋子に戻る。
 ダダダッ! と転げるように階段を降り、店の勝手口から土間へ降りると、洋子の
言うところの『神様』が彼女の父親と何やら話し込んでいた。

「オイルとタイヤの交換? タイヤは交換してやるけど、オイルは自分でやんなさい。
 その程度の事が出来なきゃバイクに乗る資格は無いよ。」
(この親父には愛想ってモンが無いんだよなぁ。)
 頭の片隅でそんな事を考えるが、当面の問題はそんな事では無い。洋子はその人物
――彼女にとって血の繋がりこそ無いモノの姉と呼べる存在――に向かって自分の存
在を明かした。

「愛衣姉!」
 その声で、自分の方に背を向けていた愛衣が振り返る。
「洋子‥‥まだいたの?」
 洋子がこの時間にここにいるのがどういう事なのかわかっているので、その口調は
ややあきれ気味だ。
「助かった、地獄に仏とはこの事だ。ひとっ走り頼むよ。」
 断りもせずにバイクに跨る洋子。手にはしっかりとヘルメットを抱えている。
「あのね‥‥私だって学校に行く時間なんだけど。」
「いいじゃないか。コイツなら北中まで10分と掛からないだろ?」
 そう言ってタンクの辺りをポンポンと叩いてみせる。洋子の通う中学校――北八十
八中学――までは、人間の足ならばどんなに急いでも15分掛かる。しかし、バイク
なら5分弱で行けてしまう距離だ。ただ‥‥
 愛衣は洋子に向けていた目を洋子の父親の方へ移した。彼女にとっては、こちらの
方が問題らしい。だが、幸か不幸か、

「気を付けてな。」
 無表情に返されてしまった‥‥もっとも、愛娘をタンデムシートに乗せても大丈夫
だという評価を貰った様なものなので悪い気はしない。
「‥‥ったく、『憩』のブレンドね。」
 手に持ったままのヘルメットを再びかぶり要求する。それとこれとは別なのだ。
「えーっ! なんだよそりゃ。『Mute』のコーヒーでいいじゃないか。」
 同じブレンドでも『憩』の方が100円高いのだ。
「何が楽しくて自分でいれたコーヒーを奢って貰わなくちゃいけないのよ。」
 それ以前に『Mute』のブレンドと『憩』のブレンドの違いは価格以外にもあっ
たりする。
「そりゃ確かに『憩』のコーヒーの方が美味いけど‥‥」
 ボソッと洋子が聞こえないように呟くのだが、
「‥‥モカブレンド。」
 その呟きは、しっかりと愛衣の耳に届いていたようだ。
「どうして高くなるんだよ。」
 モカブレンドはブレンドより100円高い。洋子の文句ももっともなのだが‥‥。
「キリマンジャロ。」
 更に100円高くなる。早めに妥協しないと、モノがどんどん高くなる恐ろしいワ
ザだった。
「‥‥‥。」
「ケーキセットにしよっかな。」
「わー、私が悪かった。『憩』のブレンドで勘弁してくれ。」
 容赦ない愛衣に、とうとう洋子が折れた。
「最初から素直にそう言えばいいのに‥‥。」
 ここで、『最初に素直な意見を述べたじゃないか。』なんて事は口が裂けても言え
ない。ただでさえ時間がないのだ。

 ヒュルヒュルヒュル‥‥ドヒュゥン! ドゥドゥドゥ‥‥
 僅かな眠りから愛衣の愛車が再び目覚める。
「行くよ。しっかり掴まって。」
「オーライ。」
 右手でシートのベルトを握り、左手で背後のグラブバーを掴む。バイク屋の娘とあっ
て、きっちりとタンデムシートの心得を身につけていた。
 こうしないと精神的にも肉体的にもライダーに掛かる負担が大きくなる‥‥らしい。
 加減速時に人ひとり分の体重が加わることになるし、体重移動も困難になる。こと
に洋子は女の子としては大柄なので、平均的な身長の愛衣には尚更だ。
 それ以上に、ライダーにとって、タンデムの生命を預かるという精神的負担はかな
りのモノ‥‥らしい(^^;;

 ドゥドゥドゥ‥‥ オォウ オォォォォォォン
 高校生の女の子が操るには、いささか大き過ぎるのではないかと思える400cc
のバイクは、その場に爆音を残し走り出した。
    
            ☆            ☆

 一方、龍之介はというと‥‥北中へとつづく道をジョギングしていた。
 こちらも洋子同様、今日遅刻すれば一週間のバツ当番が待っているのだ。
「はぁはぁ、ぜぃぜぃ‥‥くっそー唯の奴ぅ〜。」
 元はと言えばさっさと起きない自分が悪いのだが、そんな事は露ほども思っちゃい
ない。
 そんな龍之介の耳に、聞き覚えのある音が‥‥
 ヒュゥゥゥゥン‥‥
 バイクには全然詳しくない龍之介だが、この音は聞き覚えがある。
「らっきぃ〜」
 振り返った彼の目に映ったバイクには後光が射していたかも知れない。
 タンデムシートに先客がいる事を知るまでは‥‥。

 すれ違い様その先客‥‥洋子が龍之介に向かって軽く手を振り、愛衣は愛衣でスロッ
トルを噴かして小馬鹿にしたように龍之介を置いて走り去る。
「あ! こらっ、卑怯者。人間だったら2本の足で歩かんかいっ!」
 ついさっきまで後ろに乗せて貰おうなんて考えていた事は、すっかり棚の上に放り、
その後ろ姿に罵声を浴びせかける。しかし、もちろんそんな事で止まろう筈もない。
 走り去ったバイクを追いかけようと龍之介も走り出すが、すぐにそれが無駄な事だ
と言うことに気付き歩をゆるめる。

 オォォォォン‥‥
 が、5分もしない内に今度は前方から先の爆音が聞こえて来た。
「やたっ! 神はまだ俺を見捨ててはいないぞ。」
 無謀にも両手を広げ、バイクの進路に立ちふさがる龍之介。

「‥‥いい度胸ね。」
 バイザー越しにその姿を見止めた愛衣がヘルメットの中で薄い笑みを浮かべ、右手
にほんの少し力を込める。
 ぐぉぉぉん!
 爆音が一際高まる。もちろん脅しの為なのだが、龍之介は微動だにしない。

「あたしも甘いなぁ。」
 やれやれと呟くのだが、その顔は何処か楽しそうだ。徐々にバイクの速度を落とし
ていき、止まった位置は龍之介の手前ぴったり30cmだった。
 すかさず龍之介が横に引っかけてあった洋子のヘルメットを被り、愛衣の後ろに断
りもせずに跨る。
 龍之介もまた、洋子と同様に愛衣の腰に手を回すようなことはしなかった。

 以前、愛衣のタンデムに跨ったとき、
『しっかり掴まって。』
 と言われ、
『わーい』
 とばかりに愛衣の腰に抱きつき、本気でぶん殴られた教訓が生きていた。それが全
く無いとは言わないが、別に抱きつかれた事を怒った訳ではない。
【タンデムに跨る者は、ライダーに命を預ける覚悟を求められる。】
『でなきゃ、少なくとも私のタンデムには乗せない。』
 えらい迫力でそう言われては、龍之介も大人しく引き下がるしかない。もっともそ
のお陰で、彼も遅刻が回避出来そうだった。

「運転手さん、北中まで超特急で頼むわ。」
 遠慮の無い龍之介、愛衣もいささか呆れ気味に、
「龍之介を送って行くと私が遅刻しちゃうんだけど‥‥それでもいいの?」
 正面を向いたまま聞く。実際にもう洋子の家にバイクを置いて行く時間的余裕は無
くなっていた。こうなると『白蛇ヶ池公園』に止めていくしかない。後ろに乗せた
《荷物》を北中に届ける余裕は皆無なのだ。
 しかし、それはあくまで愛衣の都合なので、
「俺は一向に構わないぞ。」
 龍之介は全く気にしない。
 その龍之介の答えは愛衣が予想していたモノとほぼ合致した。しおらしくお願して
くれば、身を犠牲にしても送り届けてやろうと思っていたのだが、こう予想通りの答
えを返されてしまっては送り届けるわけには行かない。
 もっとも、愛衣にしても龍之介が『しおらしくお願い』なぞしてくるなんて露ほど
も思っていなかったのだが‥‥。

「そう‥‥私は遅刻したくないから八十八学園に直行するよ。」
 言うや否やバイクは中学校とは反対方向に走りだした。
「こ、こら。そっちじゃない!」
 愛衣の意図を察した龍之介が喚き出すが、バイクの発する爆音の上、ヘルメット越
しでは聞こえるモノも聞こえない。

「かえせー、もどせー」
 無駄な抵抗と知りつつ叫ぶ龍之介。さすがにタンデムシートで妙な行動は取れなかっ
た。タンデムはライダーとは別個に存在しながらも、ライダーと一心同体でなければ
ならない‥‥らしい(^^;

 キーンコーンカーンコーン‥‥

 バイクが龍之介を乗せて走りだした数分後、北八十八中学で予鈴のチャイムが鳴り
響いた。このチャイムが鳴り終わるまでに校門の中に入らなければ遅刻なのだが、幸
か不幸か龍之介の耳にそのチャイムの音は届かなかった。

 この瞬間、龍之介に一週間の校長室掃除当番という義務が生じた。

            ☆            ☆

「唯ちゃん。」

 北棟2階にある3年B組の教室に、同棟3階にあるG組の水野友美が訪ねてきたの
は、龍之介の掃除当番が決定してから3分ほど経ってからだった。
「ん?」
 その声に、窓際の方で一塊りになって、きゃあきゃあ騒いでいる集団の中にいた唯
が振り返る。
「龍くんは?」


 この4月のクラス替えで、此処3年B組には唯と洋子が、G組には龍之介と友美が
それぞれ同じクラスになっていた。学校側は過去2年の経験から、問題児二人を如何
に押さえ込むかに腐心し、その結果、龍之介を押さえるために友美を、洋子を押さえ
る為に唯をそれぞれ同じクラスに配した。
 新しい学年になってひと月ほど経つが、まだ問題らしい問題が起きていない処をみ
ると、この方針は間違いではなかったようだ。
 しかし、唯はともかくとして、友美の負担は飛躍的に増大した。なにしろ、あの糸
が切れた凧より始末の悪い龍之介の面倒を見なければならないのだ、これが負担でな
くてなんであろう。


 とは言っても、別に友美が龍之介の面倒を見る義務は何処にもないので、放って置
いてもいいのだが、気の弱い担任の女性教諭に、
「水野さん、お願いね。」
 と涙目でお願いされては、
「はあ‥‥。」
 と答えるしかなかった。
 今も友美は予鈴が鳴り終わっても教室に来ない龍之介を捜すために奔走しているの
だ。そして此処B組は、龍之介に関する最も確実な情報が得られる場所だった。

「今日、龍くんは? 休み?」
 あまり考えられないが一応聞いてみる。何しろ15年もの付き合いで、龍之介が病
気で休んだ事など、それこそ数える程しか無い。しかし友美の問いに対する唯の答え
は、素っ気ないものだった。

「知らない。」
 ちょっと不機嫌そうな声の唯。
「知らないって、一緒に住んでるんでしょ?」
 唯の隣にいた女の子が言うのだが、唯の顔は相変わらず不機嫌そうだ。
(ははあ、ケンカしたな。)
 友美がその表情から推測する。と‥‥
「ケンカしたんでしょ?」
 女生徒達の輪の中央にいた綾子が何処か茶化したように唯を見た。

 宮城 綾子――龍之介と友美を除けば、唯と最も親しい女の子。その付き合いは唯
が転校してきた7年前まで遡る。以来、同じクラスにならなかったのは去年だけと云
う、事によると友美より近い存在かも知れなかった。

 その付き合いの長さ故なのか、唯の顔から何かを読みとったらしい。
「だって‥‥」
 反駁しかける唯だが、ケンカの原因が自分の体重にあるので口を噤む。
「どーせ大した事じゃ無いんでしょ? 二人のケンカの原因なんてイイトコ綾瀬君が
 唯のおかずのメインディッシュを取ったとか、食べかけのおやつ取られたとか、見
 てたテレビのチャンネル変えられたとか‥‥」
 綾子のその言葉はぐっさぐっさと唯の胸に突き刺さった。当たっているだけに何も
言えない‥‥更にそのケンカが小学生レベルなので情けない。

「仲いいのねぇ。」
 別の女の子が感心したように呟く。
「そりゃ従兄だモン。」
「でも普通従兄妹だって事隠さない?」
「えー、なんで?」
「恥ずかしくない? 知ってた? E組の西島君とC組の村松さん、あの二人も従兄
 妹同士だったんだって。」
「うっそ、初耳。」
「だからぁ、隠してたんだって。ほら、F組の滝本さんっているでしょ?」
「ああ、あの寺屋(寺屋?)の娘。」
「そう。先週の日曜に、その滝本寺(?)で法事があったんだって。」
「そっか、それでバレたんだ。別に隠すこと無いのにねぇ‥‥どしたの? 二人とも。」
 その場にいた全員の視線が、先程から押し黙ったままの唯と友美に注がれる。二人
にとって、このテの会話は冷や汗ものだった。なぜなら唯と龍之介、この二人の本当
の関係を知っているのは、校内では一部教師と当事者二人、そして友美だけなのだ。

「え? あ、龍くん、どうしたのかなぁ‥‥って。」
 友美が心の内を悟られないように言葉を返す。すると綾子を初めとする女の子達が
ちょっとした苦笑を浮かべ、
「『龍くん』だって‥‥。」
「な、なによ。」
 訝しがる友美。
「幼なじみで、お隣さんで、同い年‥‥いいなぁ、私もそーゆー男の子が欲しかった!」
 拳を握りしめる女生徒を見て、友美が溜息をつく。
「またその話? 言っておくけど私達付き合ってなんか無いわよ。」
 今まで何度もこのテの話題が浮上しては消えていった。こう何度も噂になれば、い
い加減慣れる。
「でも、たまーに映画とか一緒に見に行くんでしょ? それってデートじゃない。」
 それは事実だったが、
「デートじゃないよ、唯も一緒に行くんだから。」
 唯が口を挟む。こーゆー話題は、唯にとってあまり面白く無いようだ。が、そんな
唯に対し、
「わかってないわね唯、あんたはダシよっ。」

 びししっ、と指差され唯が思わず後ずさる。

 と、そこで突然教室内の空気が変わった。ざわざわと波打っていた声の波長高が低
くなったような変化だった。なぜそのような変化が起こったのかというと、一人の女
生徒が無言の圧力を振りまきながら教室内に入って来たからだ。

「洋子ちゃん、おはよ。」「おっはよ、洋子。」 
 唯と綾子がほぼ同時に声を掛け、友美も軽く手を挙げて「おはよ」と口を動かす程
度のあいさつをする。
「おす。いやぁ、危なかった。危うく応接室を一人で掃除しなきゃならん処だったよ。」
 どっかと自分の席に腰を下ろすと、唯と友美そして綾子だけが洋子の回りに集まる。
 今まで一緒だった女の子達は、既に別の輪に加わりおしゃべりを始めていた。
「危なかった割には息が切れてないわね。」
 友美が鋭く指摘すると、洋子はあっさりと、
「はは、バレたか‥‥ちょーど愛衣姉が家に来ててさ、乗せて貰ったんだ。あ、そう
 いえば綾瀬の奴が走っているのを追い越したな。あいつは遅刻確実だ。」
「へえ。じゃあ、もう来る頃ね。」
 綾子が窓の方に目をやるが、洋子は否定するように、
「いや、あいつの事だから、私を送り届けた愛衣姉のバイクを無理矢理にでも止めて
 後ろに乗るだろ。」
「あ、そか。じゃ、もう来てるかもよ。」
 今度は友美に向かって綾子が言う。しかしそれをも否定する洋子。
「あまい。愛衣姉は中間テストの最終日で遅刻する訳には行かないと言っていた。も
 し綾瀬が強引に乗り込んだら‥‥」
 そこで言葉を切り、効果的な間(ま)を入れる。
「乗り込んだら?」
 その短い間さえ待ちきれないのか、唯が洋子を促す。
「‥‥今頃奴は、白蛇ヶ池公園にいるぞ。」
 洋子のその推測は当たっていた。

            ☆            ☆

 白蛇ヶ池公園‥‥その昔、封印した『七頭の大蛇』が千年の時を経て復活したとき、
この世は地獄と化した。復活を阻止せんと立ち上がった勇者達は一人の少女を残して、
次々と息絶えていく。
 兄を失い、仲間を失い、そして愛する人を失った少女は、『伝説の白蛇』を復活さ
せるべくその身を池へと投げる。
 そして‥‥復活した白蛇は大蛇と一緒に七日七晩暴れ回り、世界は滅びた。

 そんな【笑い話】がこの池にはあった。

――閑話休題――
 池の『伝説』の真偽はともかくとして、池のほかには森と呼ぶにはおこがましい程
度の樹木があるだけの公園‥‥その白蛇ヶ池公園にフェンス一枚隔てて、愛衣の通う
八十八学園があった。

 ドウドウドウドウ‥‥ヒューン
 林のちょっと開けた場所でようやく愛衣はバイクのエンジンを切った。ヘルメット
を脱ぎ、振り返って《荷物》の様子を伺う。
 案の定、恨めしそーな目で自分をねめつけている龍之介と目があった。

「私は『遅刻したくないから送っては行けないよ』って意味で言ったんだけど龍之介っ
 たらさっさと後ろに乗っちゃうんだもん。」
 弁解するつもりはさらさら無かった。
「素直に『叶(かのう)先輩遅刻しそうなんです、乗せてって下さい。』って頼まれ
 れば送って行ってあげることを考えてあげても良かったんだけど‥‥。」
「‥‥‥‥。」
 相変わらず無言の龍之介。
「『運転手さん北中まで』じゃねぇ‥‥」
「わかったよ‥‥愛衣に期待した俺がバカだった‥‥。」
 もうすっかり呼び捨てにされてしまっている。もっとも、この辺は愛衣も既に諦め
ていた。
「ひでぇよなぁ、純朴な少年を欺いて‥‥」
「はいはい、愚痴なら後で聞くよ。私だって学校あるんだからしょうがないでしょ。
 今なら走っていけば授業には遅刻しないわよ。行った行った。」
 取り付く島も無いとはこの事だ。諦めた龍之介は、愛衣に背を向け歩き出‥‥した
処でハタと気が付いた。
「八十八学園って私服だったっけか?」

 もちろん龍之介にだって八十八学園に制服がある事ぐらいは知っていた。現に制服
姿の愛衣だって何度も見ている。しかし今、龍之介の目の前にいる彼女はジーンズに
ウィンドブレーカーという出で立ちだった。このテのバイクにスカートで乗る人間は
いないであろうから、それはそれでいいのだが‥‥するとこの後、彼女は何処かで着
替えなければならないと言うわけで‥‥
「本当は洋子の家で着替えるつもりだったんだけどね。しょーがないからここで着替
 えるわ。‥‥早く行きなさいってば。」
 最後の言葉は、いつまで経ってもこの場から離れない龍之介に言ったのだが、
「こんな場所で着替えるのか? 誰かに見られたらどうするんだ。俺が見張っててや
 るよ。」
 へっへっへ。とわざといやらしい笑い顔を浮かべる龍之介。別に彼女の着替えを見
られるのを期待している訳ではない。こうやって足止めしておいて遅刻の道連れにす
るつもりらしい。
「いーわよ、見られても。だから早く行きなさい!」
(アセってるアセってる。)
 内心龍之介はほくそ笑んだ。そしてトドメとばかりに、
「ほぉ、見られても良いんだったら、見せて貰おう。」
(勝った!)
 心の中で凱歌をあげる。久しぶりに、本当に久しぶりに愛衣から一本取った。いっ
つもいいように丸め込まれていたのだから喜びも一塩だ。
(『Mute』のスペシャルミックスピザで勘弁してやろう)
 などと皮算用まで始める龍之介。だが‥‥
「そぉ? 見ててもあんまり面白いもんじゃないと思うけど‥‥。」
 龍之介のいやらしい笑いを愛衣は大して気に止めず、デイバックの中からチェック
のスカートと八十八学園のトレードマークとも言えるチェックのリボンを取り出す。
 そして、あろう事か龍之介の前で着替え始めた。

 ‥‥と言っても、ジーンズはスカートを穿いてから脱ぐわ、シャツはウィンドブレー
カーの下に着込んでいるわでとても龍之介の目の保養にはならなかった。
「‥‥詐欺だ。」
 襟にリボンを通し、結ぶ愛衣の姿を見て龍之介が呟く。
「だから言ったでしょ、面白くないって。」
 ミラーを覗き込み、リボンと前髪を確認すると、
「じゃね。遅刻したからって学校サボるなよ。」
 軽くウィンクして龍之介に背を向けると、愛衣はちょうど人ひとりが通れるくらい
に開けられたフェンスをくぐり、学園の敷地内に消えていった。

「‥‥誰が開けたんだ、この穴? 人の事言う割に、愛衣も結構無茶やるんだよなぁ。」
 愛衣がくぐり抜けていった穴を見つめ、龍之介が呟く。もっとも、この穴の発見は、
彼の後の学園生活で大いに役立つことになるのだが‥‥。

                   ☆


 こうしてひとり公園に取り残された格好になった龍之介だが、これで素直に学校に
向かう彼でないことは皆様御存知の通り。
 確かに愛衣に言われたとおり、今から走っていけば授業には間に合うのだが、既に
罰当番が決定しているのに加え、

「1時限目は‥‥げっ! 谷川かよ。」
 学年主任にして数学担当の谷川教諭は龍之介にとってあまり好ましい相手ではなかっ
た。良くいえば『熱血教師』なのだが、生徒達の間では『暴力教師』言われているの
だ。まあそれだけの事を龍之介がやっているからだと言えばそれまでなのだが‥‥。

「よし! 決めた。一時限目はサボリだ。 そうと決まれば‥‥」
 自分で決めておいて『そうと決まれば』も何も無いのだが、ひとりで納得した龍之
介はそのまますたすたと池の方へ歩き始める。
 伝説の池と銘打ってはいるが、そこはそれ‥‥ボートぐらいはあった。慣れた調子
でフェンスを乗り越え、一艘のボートを拝借する。管理人が出てくる10時までたっ
ぷりと時間はある。

「ふわぁ〜。春眠暁をおぼえずってね。」
 ボートを池の中央まで移動させると、そこでゴロリと横になる。
『寝る子は起きる』という『寝る子は育つ』を茶化した諺があるが、そんな諺を根底
から覆すように、龍之介はみたび眠りについた。

            ☆            ☆

 ところ変わって、北中北棟3年E組の教室。
「よっ、タッちゃん。」
 ある程度覚悟はしていたが、まさかこんなに広まっているとは思わなかった。

 西島達也。彼は普段友人達から『タッちゃん』などとは呼ばれていない。同学年で
彼をそう呼ぶのは従兄妹である香織だけだ。
 しかしそれは昨日までの事で、今朝教室に入ってからは男女を問わず『タッちゃん』
と呼ばれるようになってしまった。

「やかまし。従兄妹なんだから仕方ないだろ。」
 彼は今話し掛けてきた友人へ向かって、煩そうに手を振った。心情的には噂を広め
た張本人をぶっ飛ばしたかったが、相手が女の子ではそうも行かない。仮にぶっ飛ば
せる相手だったとしても、妙な噂に拍車を駆けるだけだ。
 彼と従兄妹の香織がデキているという噂に‥‥。

「うんうん、わかるぞ。いくら法律で結婚が許されるからと云っても、なにかと世間
 の目もあるしなぁ。」
 悪いことについ先日、公民の授業で、『4等親(従姉妹)以降は婚姻できる。』と
いうのを習ったばかりだった。
「だからそんなんじゃ無いって言ってるだろ。」
 さっきからそんなやり取りばかりをしている。もちろんふたりはそんな関係ではな
い。大体、互いの家を行き来するのだって年始ぐらいのものなのだ。

「じゃあ、なんで隠してたんだよ。」
「お前らみたいのがいるからだよ。」
 間髪入れずに言ってやった。現に従兄妹だということがバレてからこの騒ぎだ。
「でもよ、綾瀬と鳴沢は従兄妹同士なのに平気で触れ回っているぜ。」
 龍之介と唯、こちらは全校公認の従兄妹同士だった。
「はん、俺に言わせりゃ、あいつらの方が異常だよ。」
 彼は以前からそう思っていた。自分達がひた隠しにしていることを平気で公言して
いるふたりの方がおかしいと。
「まあ、あいつらは一緒に住んでるしな。黙っていてもすぐばれる。」
 それは確かにそうなのだが‥‥。

「従兄妹同士だから一緒に住んでいるか‥‥うん?」
 頭の片隅で何かが引っかかった。
 従兄妹と言うことはふたりの親のどちらかが兄妹(姉弟)同士ということになる。
 彼は龍之介の母親と唯の父親は飛行機事故で死んだらしいと聞いていた。しかも
同じ飛行機のだ。
 普通に考えればこのふたりが兄妹(姉弟)関係にあったと考えるだろう。
 では、いま健在している龍之介の父親と唯の母親は?
 血の繋がらない赤の他人ではないか。仮にこちらの方が血の繋がった兄妹だとして
も、何故名字が違うのだ?
(おもしろいな。)
 彼は胸の中で立てた仮説にもう少しセンセーショナルな味付けを施した。 
『これで少しは自分達の噂が薄れるかも知れない。』
 その程度の考えで、彼は友人に向かってこう言った。

「従兄妹同士だから一緒に住んでいるんじゃなくて、一緒に住んでいるから従兄妹同
 士だってカムフラージュしているんじゃないか?」

 この些細な一言は単なる火種に過ぎなかった。だが、噂というのは尾鰭が付く。きっ
かけを作った本人でさえ想像も付かないような尾鰭が……

            ☆            ☆
 ……  

 密閉された室内で火災が起きた場合、火はある程度まで燃えたところで勢いが衰え
るという。
 燃焼‥‥すなわち酸化する訳だから、その室内の酸素をある程度消費すると、勢い
が衰えるのも当然なのだが、

 『もし、その状態で密室のドアが開いたら』
  どうなるだろう?

 くすぶっていた火は新たな酸素の供給により勢いを取り戻し、更に悪いときには加
熱された内装材から可燃性のガスが発生、火は爆発的な燃焼を起こす事になる。
 俗にフラッシュオーバーと言われる現象は『バックドラフト』として消火作業に当
たる消防隊員にも恐れられている。

 北八十八中学北棟2階の東端にある3年E組の教室が、今ちょうどそんな状態だっ
た。西島達也が立てた仮説は、その直後に始まった1時限目の授業の間中、火がくす
ぶるかの様に静かに、だが加熱させられた内装材が可燃ガスを発生させるように確実
に広まって行った。
 そして授業終了。
 担当教師が開けた教室のドアは、バックドラフトを引き起こした。

 噂という名の炎が奔流となって廊下を駆け抜け、階段を昇って行く。
 炎や煙が水平移動より垂直移動の方が早いのに関係しているかどうかわからないが、
噂は同一階にある唯のクラス――B組よりも、直上階にある友美のクラス――G組の
方に早く行き着いた。
 もっとも、それはほんの数秒の差でしかなかったが‥‥。

                   ☆

「きりーつ。きょーつけー。れいー。」
 1時限目の授業が終わり、当直の生徒がおざなりの号令を掛けるが、本気で謝意を
表す生徒など1人もいなように見えた。ただ単に、授業が終わった儀式のような感覚
で頭を下げているようなものなのかもしれない。
 それはこのクラスの委員長である水野友美も同じようなものだった。もっとも、彼
女の場合は他のことに気が回っていたからに他ならない。
 後ろを振り返り、『ふう』と溜息をつく。心配の種はまだ来ていなかった。

「あれ? 綾瀬君は?」
 そんな友美の背後から声を掛けてきたのは、歩くスポーツ新聞芸能欄、校内ワイド
ショーレポーターの異名をとる、長岡志保(仮名)。
 彼女は龍之介がいないのを知るや、すぐに矛先を『該当者を古くから知る』友美に
向けた。
「まあ、いないんならしょうがないか。じゃあ、水野さんでもいいや。ねぇ、本当の
 処どうなの?」
「なにが?」
 いくら友美が頭の回転が速い女の子だからといって、今の志保(仮名)の言葉から
全てを察するという訳にはいかなかった。 

「だからぁ、鳴沢唯と綾瀬龍之介の関係。」
 いらだつような志保(仮名)の声。
「関係って‥‥父母の兄弟姉妹の子供同士、つまり従兄妹。‥‥っていうより兄妹に
 近いわね、あのふたりは‥‥で、それがどうかしたの?。」

 そもそも唯と龍之介が従兄妹同士であると言い出したのは友美だった。
 7年前、ふたりが一緒に暮らし始めた頃、唯はその事でよく男の子達にからかわれ
ていた。見かねた友美が咄嗟に、
『ふたりは従兄妹同士なんだから。』
 そう言ってしまっていた。それは8歳の子供にとって、魔力を帯びたかのような言
葉だった。なぜならそれまで唯をからかっていた男の子達は波が引くように去っていっ
たのだから‥‥。
 だが、無垢で無知な子供も年を経ると次第に知恵が付き、疑り深くなる。それに伴
い、新たな嘘で元の嘘を塗り固めていくという事が起こっていた。
 友美や唯はともかく、龍之介が塗り固めた設定を何処まで把握しているか怪しいも
のだ。

「ふっふ〜ん」
 友美の返答に志保(仮名)はさも楽しげに鼻を鳴らした。
「でも、少なくとも鳴沢唯の母親と、綾瀬龍之介の父親は兄妹じゃ無いわよね。」
 断定するように言い切ると、
「どうして?」
 大して驚いた風もなく友美が聞き返す。
「だってそうじゃなきゃ、飛行機に乗っていた方の親同士が兄妹じゃないって事にな
 るわよね? 赤の他人が同じ飛行機に乗って事故に遭う。偶然で片付けるられる問
 題じゃないわ。」
 特ダネじょーほーっ! と絶叫せんばかりの志保(仮名)。ここに来て友美は彼女
が何を言いたいのか理解した。
 つまり、龍之介の父親と唯の母親には血の繋がりが無く、にも係わらずひとつ屋根
の下に暮らしている。それでは不自然なので、実際は互いの親同士が再婚しており、
その子供である龍之介と唯は血の繋がりなど無いのではないか?

「‥‥と言いたい訳でしょ?」
 簡単に纏めてみせて逆に訊ねる。志保(仮名)はうんうんと首を縦に振ると、目を
爛々と輝かせながら、
「で? で? どうなの?」
「さあ? 私もあんまり細かいことまでは知らないわ。それから、確認が取れていな
 い事を触れ回るのはどうかと思う‥‥だけど何処からそんな話が出てきたの?」
 それとなく情報元を探り出そうとする。
「E組の西島って子。その子もC組の村松さんと従兄妹同士の仲なんだって。
 でねでね、聞いて! その子が言うには、自分達は従兄妹同士って事をひた隠しに
 しているのに、件のふたりがそれを公表しているのは‥‥」
 志保(仮名)もまた、ここで効果的な間を入れる。
「公表しているのは?」
 話を円滑に進めるため、友美は敢えて志保(仮名)に調子を合わせた。志保(仮名)
も優等生、水野友美が自分の話に興味を持ったことに満足し、
「公表してるのは、実はふたりには血の繋がりが無くて、カムフラージュする為に従
 兄妹と偽ってるんじゃないか‥‥って。」

(なるほど、それでか。)
 志保(仮名)の話で、噂の立った原因が大体掴めた。
「言われてみれば確かにそうなのよ。私にも同い年の従弟がいるけど、同じ学校には
 通いたくないもの。」
(さて、どうしたものかな?)
 既に友美は志保(仮名)の言葉に5%程の意識しか向けていなかった。頭の中で今
まで積み上げてきた『嘘』を整理し始める。

「あ、綾瀬君。」
 友美が頭の中で急速に対応策を練り始めた時、志保(仮名)がちょうど教室内に入っ
てきた龍之介を捕まえた。
「ねえねえ、鳴沢唯が実の従妹じゃないって本当?」
 いきなり確信を突く。そんな志保(仮名)に友美は頭を抱えたくなった。彼女が考
えていた対応策は、事の収拾を図る為のモノはもちろん、龍之介に上手く(暴走しな
いように)説明する事も含まれていたからだ。
「ちょっとごめんね。」
 志保(仮名)の言葉に、怪訝そうな顔をした龍之介だが、彼が何かを言い出す前に
友美がそこに割って入って行き、龍之介の腕を取ると、教室の外へと連れ出した。

 そのまま廊下を進み、屋上へ続く階段を上がる。屋上には扉に鍵が掛かっている為
外には出られないが、それ故人気はない。
 ただ、そこへ行く間にも龍之介の顔を見るや、ひそひそ話を始める生徒や、指差す
生徒と擦れ違う事になり、屋上に出る扉の前まで来た時には、既に何が起こったのか
を察したのか、龍之介の表情は厳しいものになっていた。
 そんな龍之介に向かって、
「察しはついてると思うけど‥‥」
 そう彼女は切り出した。
 
            ☆            ☆

 一方、唯のクラスにも噂の波紋は広がっていた。

「別に難しい事を聞いてる訳じゃないだろ? 龍之介の奴とはどういう関係かって聞
 いてるだけじゃないか。」
 噂を聞きつけて冷やかしに来ていた男子生徒数人が、唯に詰め寄る。
「さっきから何度も言ってるじゃない。ふたりは正真正銘従兄妹同士だって。」
 降って湧いた様な噂に困惑気味の唯、それを見かねた綾子が横から口を挟むのだが、
「宮城には聞いてねーよ。鳴沢に聞いてるんだ。」
 鼻で笑うような男子の態度が、綾子の癇に障った。
「へー、そう。そこまで強引に唯に詰め寄るって事は、あんた達には唯が綾瀬君の従
 妹じゃないって証拠があるんだ。」
「んなもあるか! 無いから直接聞いてるんだよ。」
「あたしにはあるわよ、唯と綾瀬君が従兄妹同士だって証拠が。」
 今度は綾子が鼻で笑う番だった。
「へぇ、見せて貰いたいね。」
 唯に詰め寄るのを中断し、綾子の方へ顔を向ける。くだらん事だったら承知しない
ぞといった雰囲気だ。

「私が知らないからよ。」
「は?」
 一瞬、男子達は呆気にとられた。『何を言ってるんだこいつは』そんな表情を綾子
に向ける。綾子はそれを無視し、
「もしふたりがそんな関係だったら、私に話してくれている筈だもの。」
 身じろぎもせずに、男子生徒と向き合う。その目は自信に満ちていた。7年間の付
き合いは伊達じゃないと言わんばかりだ。 

「とまあ、そう言う訳だ。これ以上何か聞きたいって言うなら、私が聞いてやるよ。」
 綾子の背後から洋子も援護射撃を開始する。これでは彼らも口を噤まざるを得なかっ
た。それでもまだブツブツと口の中で何か言っていたが、
「話が無いならさっさと消えろ。」
 ドスのきいた洋子の言葉に身の危険を感じたのか、如何にも渋々といった感じで教
室を出ていく。

「‥‥ったく。」
 去って行く男子生徒にまだ怒りの収まらない綾子。
「ごめんね、ふたりとも‥‥。」
 唯がふたりに最大限の感謝を込めた笑顔を向けるが、心の中は申し訳なさで一杯だっ
た。こんなにも自分を思ってくれているのに、そのふたりに隠し事をしている自分が
ひどく卑怯に思えた。
「唯も黙ってないで何か言ってやればいいのに‥‥大人しくしてるから面白がってか
 らかいに来るのよ。」
「うん‥‥」
 確かに秘密は知っている人間が少なければ少ないほどバレにくい。
 だが、既に洋子との付き合いは1年半、綾子に至っては自分がこの街に来て以来、
7年もの付き合いになる。最近では休日になると、この3人に友美を加えた4人で、
遊ぶことが多くなっていた。
(もう良いよね?)
 唯は自分自身に問うてみる。
 反面、恐いのもまた事実だった。もちろん、ふたりがその秘密を外に漏らす事がで
はない。事実を隠していた事で、ふたりに詰(なじ)られるのが恐かったのだ。
 だが、この機会を逃すとまた負い目を持ってふたりに接しなければならない。
 唯は決断した。龍之介や友美が何か言うかもしれないが、それを説得するのは自分
の役目だ。

「ねぇ、放課後‥‥」
 ふたりを見上げ、切り出す。
 が、ふたりの意識は唯に向いていなかった。怪訝そうにその視線を追う。廊下がや
けに騒がしい。廊下を行き来する生徒の流れが妙なのだ。
「‥‥なんだ?」
 好奇心旺盛な洋子が真っ先に廊下へ飛び出した。残されたふたりも、一瞬顔を見合
わせ、
(行こうか?)
(うん。)
 ふたりは目だけで会話し、洋子の後に続いた。

                   ☆ 

 騒ぎの元は廊下の突き当たりの教室のようだった。何故かと云うと、そこに人集り
が出来ているからだ。
 背の高くない唯や綾子などは、人集りの内側でなにが起きているかわからなかった
のだが、
「おらおら、どいたどいた。」
 こういったイベント(?)にはめっぽう強い洋子が人集りを掻き分け、中へと進む。
 その洋子の後ろを、カルガモの雛の如く唯と綾子が続く。
 ほどなくして最前列まで出てきた3人は、そこに見知った顔を見つけた。

「なんだ、優等生じゃないか。意外だな、こーゆー事には興味が無いと思ったのによ。」
 茶化した様な声で洋子が言うのだが、声を掛けられた方の友美はまるでその声が耳
に入っていないかの様に、騒ぎの起こっている教室内を呆然と見つめている。
 その瞬間、唯には騒ぎを起こしている人物の見当が付いた。

「友美ちゃん。」
 名を呼ぶが返事はない。仕方なく、今度は肩に手を置き、
「友美ちゃん‥‥友美ちゃんってば!」
 揺すると、ようやく友美が振り返る。
「あ、唯‥‥ちゃん。」
 その顔は『血の気が失せたのでは?』と思える程青ざめていた。
「どうしたの? 何が‥‥」
 言いかける唯の声を

 ガラガラ ガッターン!
「きゃあっ!」
 教室内からの派手な音と、その近くにいる女の子のモノだろうか、悲鳴が断ち切っ
た。一瞬そちらへ目を向けかける唯の耳に、
「本当の従妹じゃないんだって。」
 どこかでそう囁く声が聞こえた。
(え?)
 更に追い打ちを掛けるように、
「唯ちゃん、ごめん‥‥ごめんなさい。わたし、わたしが‥‥」
 声の震えを堪えるような友美の声。
 予想していなかった訳ではないが、全身を激しい悪寒が駆け巡った。

 ガッシャーン!
 またも派手に何か(人)が机を巻き添えにして倒れる音が響く。唯は今度こそ教室
内に目を向けた。

 惨状‥‥と云うには少し表現が大袈裟かも知れないが、唯にしてみれば十分、惨状
と云える状況だった。
 教室の中央辺りの机や椅子が、きれいになぎ倒されている。その周辺には当事者を
除いて生徒の姿はなく、皆、壁際に張り付くようにしてその様子を眺め、それを止め
ようとする者はひとりもいない。

「自分に不都合な噂が立ったからって、他人の噂を流して良いって道理はないだろ。」
 倒れた生徒――西島達也――に向かって怒りを顕(あら)わにする龍之介。
「噂? 俺と香織は正真正銘の従兄妹同士だぜ。‥‥どっかの誰かさん達と違ってな。
 大体、その噂に過剰反応して出てくるあたり、噂が事実だって言ってる様なもんだ
 よなぁ。」
 やられた方も負けじと、廊下にいる観客達にも聞こえるように、わざと大声で言い
返す。
「悪いのか?」
 唯は‥‥いや、その場にいた全員が耳を疑う。
 今、龍之介の口から出た言葉は、明らかに噂を肯定する言葉だった。
 そんな雰囲気をまるで感じていないかのように、今しがた殴り倒した人間の胸ぐら
を掴み、締め上げる。
「は、はは‥‥なんだ、やっぱり事実だったじゃねえか。毎晩、鳴沢相手に頑張って
 るってか?」
「てんめぇ〜」
 締め上げた手とは反対側の拳を握りしめ、力を込める。

「だめっ!」
 その様子を見た唯は、咄嗟に教室内へ飛び込んだ。そして今にも殴り掛からんとし
ていた龍之介の手を抱きかかえる。
「お兄ちゃん、もう‥‥いいよ。」
 必死の訴え。唯には龍之介が自分の為にこんな事をしているのだと言う事がわかっ
ていた。自惚れなどではない。例え対象が自分じゃなくても、友美でも綾子でも、龍
之介は同じ行動に出るだろう。

「唯?」
 なんでこんな所にいるんだ? といった様な目。唯の抱えた腕から込められた力が
抜けて行く。しかし、
「へっ、なにが『お兄ちゃん』だ。血の繋がりなんか無いくせに。」
 負け惜しみの一言が、静まりかけていた龍之介の怒りに火を付ける。唯もその手を
止める事はできなかった。

 ばぐっ!

 壁際まで飛ばされた身体は、数人の生徒によって受け止められたが、軽い脳しんと
うでも起こしたのか、もう彼は何も言えなくなっていた。
 直後に騒ぎを聞きつけた教師が教室内に入って来たが、彼らには野次馬と化した生
徒達を追い払うぐらいしか出来る事は無かった。
 もちろん、その後に拡がった噂を止める事など出来ようはずもない。

 人の噂は75日と言うが、まだその初日が始まったばかりだった。



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