An Episode in The Known Worlds' Saga ---《 The Soldier 》 外伝


光の真名
ひかりのまな

第3章 『戦いへの序曲』

… C-Part …



「唯! これは一体!……」
「先輩! それは後です!」
「こずえちゃん……」
「《闇》の使徒は!?」

 芳樹の姿が見えない。コズエは、慎重に辺りを見回した。唯、友美、いずみの3人は全神経を張り詰めて索敵を行っていた。

「いない?……」
「いずみちゃんの攻撃でやっつけたんじゃあ……」
「いいえ。それなら、消滅シュプールが残るはずよ。まだよ。どこかに隠れてるわ」

 コズエが、何やら取り出し、キー操作を始めた。素早く結果を確かめると、空中に浮かんでいる3人に向かって叫んだ。

「レディ・ガーディアン!……《光》を司る者の守護者、ガーディアンですね!」

 3人は、そこで初めてコズエの存在に気づいた。

「あなたは?」

 友美がある確信をもってコズエに尋ねかえす。

「リサーチャー!……それでおわかりでしょうか?!」
「そう……やっぱりね……やっぱり来てたんだ」
「何なんだよ! おい! これは一体!」
「待ってください、龍之介先輩」
「こずえちゃん。しかしなあ!」
「しっ!」

 コズエの手に持った機器が何かの反応を拾った。

『ふふふふ……』
「誰!?」
『お元気かしら? 皆さん?』

 空中に染みが現れた。それがやがて人の輪郭をした闇となり、顔が手が胸が足が浮かび上がった。

「お前は!」

 いずみが再びサイコアローの構えをとる。

「ふふ、ご挨拶ね……私には、桜木 京子という名があるのよ」

 京子は、まるで意に介せずといった様子で、眼下の地面を睨みつけた。

「ドルジュ!」
「は、はい……」

 地面から湧き出すように、芳樹が姿を現す。明らかに怯えている。

「無様ね。消えなさい」
「し、しかし……」
「消えなさい!」

 芳樹は、血まみれになり、左腕が千切れかけている。足もやられているようで、這いつくばったままである。

「ここで帰ったら、『あのお方』に……」
「私の知ったことじゃないわ。おっと、動かないで!」

 先程から、少しずつ間合いを詰めていた3人に、警告を発する。

「あそこにいる二人が大切ならね」

 京子は、冷ややかな笑みを浮かべながら、3人を順繰りにねめつけ、あくまで付け足しだと言わんばかりの口調で続けた。

「私のサイコスピアに、遠隔シールドは通用しないわよ。」
「く!……」

 友美が唇を噛む。唯は、シールドを張ったまま、京子を見つめていた。その時、コズエが何やら呟いた。

「な!……何者?」

 京子にごくわずかだが隙ができる。いずみは、見逃さなかった。同時に、唯がシールドのパワーを上げる。爆風が瞬く間に吹き抜ける。校舎が、原形を留めないほどに崩壊する。土煙が激しく舞い、視界が途切れる。

「甘いわね」
「そこか!」

 再びいずみがサイコアローを放つ。だが、外した。

「な!?」

 闇のサイコスピアが、3人を襲う。避けきれない!……が、直前にビーム光が絡みつき、サイコスピアが消滅する。

「そこまでです!」

 コズエの声が響いた。土煙が少しずつ晴れていく。そこに、唯たちとよく似たバトルスーツを纏ったコズエの姿があった。

「こ……こずえちゃん?」

 龍之介は呆然としている。コズエは、MDLフェイザーを空中に浮かぶ京子にロックしていた。

「ノウンワールドのものだったか……だが、所詮そんなおもちゃでできることなど、知れているということをわからせてあげるわ」
「2000年前とは違いますっ!」
「大した自信ね。じゃあ、これはどう?」

 刹那、京子の体から闇が連続して打ち出された。

「やばい!……」

 いずみの声が途中で途切れる。辺りの様子が全く窺えなくなるほど、連続して爆発が起きた。

「唯! 友美! いずみ!」

 龍之介たちがまだシールドで守られているということは、唯がまだ生きていることを表していた。だが、爆焔がすさまじく、何も見えない。しばらく京子の姿を求めてフェイザーを構えていたコズエが、突然、龍之介に振り向いた。

「なぜ、戦わないんですか?」
「た、戦う?」
「なぜ目覚めてくれないんです!」
「こ、こずえちゃん、何を……」
「お願いです!『ソルジャー』! お願いです! 戦って下さい!」
「ソ、ソルジャー?」
「お願いです! このままでは!……このままでは!」
「こずえちゃん!?」

 爆発は続いている。光と闇が激しく交錯している。だが、戦いの様子を窺い知ることは出来なかった。

「お願い!……こずえじゃ、駄目なんです!……お願いです!……」
「そ、そう言われても……」

 突如、爆発がやんだ。

「皆さんは!……皆さんは!」

 コズエが慌てて空を見上げる。薄れ行く爆煙の中で、京子の姿が見えた。血がぽたぽたと流れている。

「こ!……このぉ!」

 コズエがフェイザーを連射する。だが、京子の体は、結界のようなもので守られているのか、すべて弾き返されてしまう。

「ははははは! 言わなかった? 私にそんなおもちゃは通用しないわ」
「!………」

 コズエの額に汗が浮かぶ。ガーディアンは? あの3人はどうなったの!?

「まだ決着はついてないぜ……」

 いずみが、テレポートアウトする。バトルスーツが傷だらけだ。続けて友美、唯が姿を見せる。唯のバトルスーツは、半裸に近い状態にまでボロボロになっている。

「……手加減しすぎたかしら」
「はったりはよせよ。あれが手加減した攻撃かよ」

 校舎は全壊している。運動場に避難していた生徒達の姿が見えるようになってきていた。京子は、そちらを一瞥すると、血まみれの右腕を上げ、照準を定めるかのように、ぴたりと止めた。

「そこの二人は守り切れたようだけど、あちらはどうかしらね?」
「き、貴様!」

 いずみの肩がわなわなと震える。友美の顔が青ざめ、唯が息を呑んだ。

「やめなさい。私たちの戦いに、あの人たちは関係ないでしょう!」
「あなたたちが、何もしなければ、関係ないままで終わるわ」
「あなたって!……」
「この前のお返しね。卑怯なのはお互い様でなくて?」
「そいつは、随分な言い草だな」

 その場にいた全員が、京子の頭上を見た。淳が、逆さまになって宙に佇んでいた。

「お前!」

 微かに、ヴンと音がした。はっとした京子の目に、次元干渉領域が見えた。

「じゅ、重積ヴォーテックス!」
「『光の使徒』の専売特許ではなくてね」

 瞬く間に京子の周りが囲まれる。

「ち、畜生!」
「観念するんだな。この前のようにはいかないよ」
『それは困る……』
「まさか!……」

 重積ヴォーテックスの囲みの中に、闇が弾ける。

「また貴様か! アーリマン!」
『まだまだ役に立ってもらわねばならないのでな……』
「ふん! いつものように、自力でどうにかするのを待っていたらどうだ?」
『この者だけは特別なのだ……』

 闇が京子を取り込んでいく。淳は、ヴォーテックスの囲みを縮めると共に、サイコスピアを構えた。

「ぬかせ!!」

 一気に重積ヴォーテックスを縮退させ、サイコスピアを放った。闇が瞬時に拡大し、同時に収縮した。逃げられる! 誰もがそう思った瞬間、そこで見ていた者、全員が驚く人物が現れた。

「せ、先輩!?」

 もう一人、淳が現れて、消え行く闇にマーカーを放つと、そのまま同時に消えた。

「ど、どうなってるの?」

 唯、友美、いずみが顔を見合わせる。コズエは、何が起こったのかわからず、きょとんとしている。龍之介は……言わずもがなだ。

「行ったな……」

 最初に現れた「淳」が、そう呟いた。彼の周りに陽炎が立ち、姿が変化する。

「REMさん!」

 唯が驚きの声を上げる。

「他人のマトリクスを使うのは、疲れるね」

 そう言って、にやりと笑う。

「どういうことですか?」

 友美がREMに尋ねると、REMは少し寂しげに笑って答えた。

「彼女を救うためにね。二人で考えた策だったんだよ。すまなかった。君たちが戦っているのはわかってたんだが、アーリマンが出てくると思われるタイミングまで、出ていく訳にはいかなかったんだ」
「彼女を救う?」
「彼女は……桜木 京子は、《闇》のものではないからね……」
「え?」
「詳しい事は俺も教えてもらってないけど、『彼』がそう言うんだ」
「じゃあ、一体、なぜ彼女は?」
「利用されてるだけなんだろうけどね……何故彼女なのかは、俺にもわからない」

 校庭の方が騒がしい。戦闘が収まったため、煙が晴れ、空中に浮いている唯たちの姿が見えるようになったのだ。

「地面に降りて、スーツを解除した方がいい。でないと、大騒ぎになるよ」

 唯たちは、地面に降り立ち、制服姿に戻った。顔や手足に傷が無数にあり、血が流れている。

「じゃあ、俺はまだ仕事が残ってるんで」

 そう言って、REMは姿を消した。龍之介とコズエは、呆けたように、REMが消えた空間と唯たち3人を交互に見比べていた。



 不意に視界が戻ってきた。また?!……桜子は、病室を見回した。また意識を失っていた……あれからどうしちゃったのかしら?……自分の頬にそっと手をやり、ため息を吐く。先生はどこにも異常はないどころか、信じられないくらいどんどん良くなってるって言ってたし、看護婦さんに聞いても、そんな様子なんかないって言うし……

「でも、間違いないのに……」

 病気が良くなるのは嬉しい。でも、突然気を失ってしまうなんて……それも段々ひどくなってきてる。どうして誰も気がつかないのかしら……今日なんて、もう何度目かわからないくらいなのに……

『もう少しだから……』

 え?……ほら、また……私の中で聞こえるもう一つの私の声。私はヘンになってきてるの? ううん。そんなんじゃない。誰かがいる……私の中にいる誰かがもうすぐ目覚めようとしてるんだわ。私にはわかる。そうして私は……

「桜子ちゃん、どうだい?」
「あ、先生」

 主治医が回診にやってきた。

「まだ、時々意識がなくなるような感じがするのかな?」
「ええ、まあ……」

 桜子は、曖昧な返事を返す。人の良い医師だが、桜子の訴える事を気のせいだと言い張って認めなかった。診察の結果も、検査の結果も何ともないと言って。

「あんまり急に良くなってきたんで、不安なんじゃないのかい?」
「え?」
「実際、僕らも信じられないくらいだからね。あれだけ一進一退を繰り返してたのに、こうもあっさり病状が好転するなんて、ちょっと普通はありえないからね」
「はい……」
「まあ、喜ばしいことだよ。桜子ちゃんも素直に喜ばなくちゃ」
「そうですね……」
「じゃ、血圧を測るから腕を出して」

 検査なんかもうどうでもいい。私にはわかるもの。もうすぐ、私は私でなくなる……いいえ、私の中の私でないものと一つになる?……どっちにしても、もうすぐ…………



「唯……あれは何だったんだ。それにお前……」

 龍之介の声が唯の耳を通りすぎていく。お兄ちゃんに見られた……お兄ちゃんに知られた……お兄ちゃんだけは、関係のないところにいてほしかったのに……

「唯、話せよ。何があったんだ? お前、どうしちまったんだ!?」

 駄目。これ以上は駄目。お兄ちゃんを巻き込んだら、また「あの時」と同じになってしまう。それだけは嫌!……

「唯!」

 龍之介の声に苛立ちが混じる。だが、唯は顔を伏せたまま何も答えない。

「龍之介」
「なんだ? いずみ?」
「お前には、まだ話せないんだよ」
「なんでだ!?」
「いずれわかるさ」
「いずれじゃない! 今説明しろよ!」
「悪いな」
「龍之介君、ごめんなさい。まだそれは無理なのよ。それより……」

 友美が龍之介を制し、コズエに向かって尋ねた。

「ノウン・ワールドは、どこまで介入を進めてるの?」
「まだ、私を含めたリサーチャー3人が、ここにはいるだけです。おっつけコマンダーが一人来る事になってます」
「そう……戦場がどんどん辺境へ移っていってるから、人がいないのね」
「はい」
「ありがとう。またいずれ連絡するわ」
「おい、友美」
「龍之介君、まだ駄目よ」
「何でだよ。隠し事なんかやめろよ。今までずっとそうしてきただろ!」
「そう……今までは。でも、今度は特別なの」

 友美が、唯といずみに目配せする。

「ごめんなさい。これ以上私たちがここにいると、皆に迷惑がかかるだけだから」
「おい、どういう意味だよ」
「じゃあ……いずれまたね……」
「おい! 友美!」

 ふいと3人の姿が消えた。

「き、消えた?……」
「龍之介先輩」
「あ、ああ。こずえちゃん」
「なぜ戦わないんですか?」
「なぜって……俺の方が聞きたいよ。なぜ俺が戦わなくちゃならないんだ? あれが何なのかもわからないんだぜ」
「それは、あなたが『ソルジャー』だからです」
「またそれか。何なんだい、その『ソルジャー』って」
「2000年前、宇宙を救った戦士です」
「2000年前ぇ!? あのね、こずえちゃん。なんで俺がその何たらだって言うわけ? 俺は生まれてこの方……」
「あなたが『ソルジャー』なのは、間違いありません! 記憶と能力が封印されているだけです! どうして目覚めてくれないんです!」
「どうしてって……」
「ノウン・ワールドの科学も、2000年前に比べると、随分進んではいます。でも、未だに《光》と《闇》がどこから来て、何のために戦っているのか、どう対処すればいいのか、何もわかってないんです。頼りはあなただけなんです!」
「こずえちゃん……」
「お願いです! 戦ってください! このままでは!……このままでは!」

 その時、遠くから龍之介を呼ぶ声がした。あきらが走ってくる。

「お願いですよ!」

 コズエは、そう言い残すと、裏庭から出ていった。お願いって言われたって……そんな訳のわからない事……それより、今は唯の方が大事なんだ。あいつに何が起こったのか、なんであいつにあんな力があるのか……

「龍之介! こんなところにいたのか!」
「あきらか……」



 光も闇もない世界。次元と次元の狭間にかろうじて存在している、泡沫のような空間世界。京子は、ぐったりとして、中空に浮かんでいた。

「こんなところに境界空間を作っていたとはな……」

 京子とアーリマンのシュプールを追ってきた淳が、行き着いた世界。次元振動の干渉をうまく避け、強大なエネルギーを投入して得られる小さな世界。それが、次元境界。だが、次元構造体を無理矢理捻じ曲げて作られた世界であるため、長時間、その存在を続ける事は許されない。

『誰?』

 封印された京子の意識が、淳に語りかけた。

『君を助けに来た』
『助けに?……私はどうなってしまったの? あんな……あんなことを……』

 京子の意識が身震いするように、途切れる。

『《闇》に捉えられて体を支配されているんだ。君は特別だからね』
『《闇》? あの男のこと? 私が特別って?』
『ちょっとだけ待ってくれ、すぐに君を解放してあげるから』
『そうはいかん……』

 淳と京子の会話に、割り込んできたものがあった。淳は、静かに振り返ると、その者が姿を見せるのを待った。

『アーリマン。出てきたらどうだ』

 ぼうっと闇が広がり、ゆらゆらと揺れる人型が現れた。

『2000年前といい、今回といい、なぜお前は、邪魔をする? 己の使命を忘れたわけではあるまい』
『使命だと? 俺は何も一方的に、《光》に肩入れしているわけではない』
『そうか? あのガーディアンの……そう、ハノイユとか言ったな。あの女のためではないのか?』
『黙れ』
『中立を旨としてきたお前が、特に激しく介入するようになったのは、あの時からではなかったかな?』
『ふん。《光》と《闇》のバランスがこうも崩れてしまっては、当然の処置だろう。それとも何か? 俺が恣意的に介入を行っているとでも言いたいのか?』
『バランスが崩れたのは、私の責任ではない』
『どうだかな』
『それならば、「最終観測者」にでも、お伺いを立てたらどうだ?』
『馬鹿な! 「最終観測者」のプランに、このような事態が予め想定されていたとでも言いたいのか?』
『違うか? 宇宙を《光》と《闇》のせめぎ合う場にしたのは誰だ? エントロピーを増加させるものと、エントロピーを減少させるものに、わざわざこの宇宙を分けたものは、一体誰だ?』
『その均衡の中で、生命が繁栄するようにな。そのためのプログラムだ。そのための存在だ。お前も俺も、プリンセスもな。だが、お前は、その均衡を破ろうとしている。《光》とのせめぎ合いに必要とされる以上の力を使ってな』
『くく……そんな力があるものか。この宇宙には、「最終観測者」が用意したものしか存在してはいない』
『ほう? ならばこの空間は何だ? この空間を維持するエネルギーはどこから来ているんだ? 詭弁はやめるんだな。「最終観測者」が用意したのは、自己発展型システムであって、何もかもが予め用意されている訳ではない。何よりも、それならば、俺が存在する必然がないではないか』
『はっはっは! まあ、いい……いずれはお前にもわかることだ。それまでは、過剰な介入を控えることだな』
『お前が、それなりに「力」をセーブするならな』
『くくく……それこそ無理な相談と言うものだ。持てる「力」を全て使って、《光》と戦うのが、わしらに課せられた使命だからな』
『アーリマン……貴様、何を企んでいる?』
『これは心外な事を言うものだな。わしらは、なすべき事を行っているだけだ』
『あの子を拐って、ガーディアンたちにぶつけているのは、何故だ? お前には、お前の使徒がいるだろう』
『「ルール」は、それを禁止してはいなかったはずだが』
『当たり前だ。そんなことを禁止する必要もなかったからな。使徒に選ばれる存在は、他にいくらでもいるだろう』
『たまたま、2000年前の戦闘で、気に入ってな』
『ぬかせ! 貴様が、それだけの理由で、危険を侵してまで、レディ・ガーディアンを「闇」に封じ込めるものか』
『わしは気まぐれでね』
『勝手にほざいてろ。とにかく、あの子はもらっていくぞ』
『そうはいかん。どうしてもというなら……』

 宙づりにされていた京子の体が、かくんと動いた。

『いや! もうやめてぇ!』
「何をするつもりだ! アーリマン!」
『嫌ぁ! これ以上、殺し合いなんかさせないで! お願いぃ……』

 ゆっくりと淳と同じ平面に降り立った京子の体が、戦闘の構えをとる。

「アーリマン! 貴様!」
『ゆっくりと見物させてもらうよ……どうやって連れ帰るのかをな』
「『介入者』たる俺まで抹殺したいんだな」
『くくく……そんなことはないさ……ただ連れ帰られると、わしの計画に問題が生じるのでね。ちょっと抵抗させてもらうだけだ』
「待て! 貴様、本気で俺を!……」

 京子の第1撃が、淳を襲った。ぎりぎりのところを掠ったそれは、まるで鞭のように向きを変え、再び淳を襲う。

『嫌ぁぁぁ!! もうやめてぇ!!』

 京子の意識が悲鳴を上げた。



 エミュイエルの張った結界の中で、可憐は昏々と眠り続ける。識閾下から深層心理構造を突き破って現れた「力」のために、彼女の精神はズタズタだった。

 可憐の傍の空間が、ゆらりと揺れ、REMが姿を現す。

「まだ……か……」

 彼女が、マナイユだったとはな。まあ、ガーディアンの一人だと言う事はわかっていたが……あいつも何で隠したりしたんだ?……いや、俺が聞かなかっただけか……見つかっていないガーディアンは、後一人。その子が見つかれば準備期間は終わる……プリンセスとアーリマンの本格的な闘争が始まる。結局、「光の使徒」で目覚めたのは俺だけか……いつもなら、他の使徒が覚醒しないのは、その必要がないからで、すんでしまうんだが、今回ばかりは何か違う。今まで、《闇》のものだけが先行して覚醒することはなかった。だが、気づいたら、あいつらは皆、目覚めた後だ。それだけじゃない。覚醒前のガーディアンを襲うなんてこともなかった。何を狙ってるんだ? おまけに京子ちゃんを連れ去って、《闇》の覚醒を施すなんて……くそっ! その京子ちゃんを助けられずに、挙げ句、人任せで待ってるしかないなんて!……

 REMは、軽く頭を振って、ため息を吐いた。情報が少なすぎる。その上、京子ちゃんのことが絡むと、冷静に判断できない。これ以上は考えても仕方がない……彼は、可憐に目を向けた。胸のふくらみが、規則正しく上下している。身体に影響は出ていないようだ。

「緊急防御プログラムか……一体、何をしたんだ?」

 封印の強制解除。それが何を意味するかくらいは、REMにもわかった。過去の記憶と現在の記憶が入り乱れ、人格の再形成の安定性が損なわれる。その結果どうなるかはわからない。全ての人格の基礎には、それまで積み上げられてきた記憶がある。それが根底から混乱するのである。うまく整理されて再び安定した人格を得られるか、そのまま人格崩壊が起こるか……まさしく5分と5分の賭けだった。

 そういえば……俺にもあったな、そういうことが……REMは空を仰いで、遠い過去の記憶を手繰り寄せた。あれは……もうどれくらい昔の事だったか忘れてしまった……

 彼は、かつて、SOLS-879系次元世界に栄えていた、レムリアの祭司だった。ただひたすら、信仰を深め、神の声を聞くために修行を重ねていた日々。もう、遠い、遠い太古のことだ……

「神の声か……神の如き存在はいたが、神はいなかった。俺も青かったな……」

 REMは、苦笑した。この世の全てのものは、エントロピーの平衡状態へ向かって突き進んでいる。人間も例外ではない。宇宙の熱的死の果てに見出される再生。それが、信仰の中心だった。今思えば、何故そんなことを真面目に信じていたかはわからない。だが、当時は真剣にそれを追求していた。だから、「奴」の声が聞こえたときは、狂喜したものだ……「奴」、アーリマンの意図など気づきもせずにな。再び、REMの口から苦笑がもれた。「力」を与えられ、全てのものに熱的死をもたらす事。信仰の実現に自分が加われた事に身震いさえしていた。だが、その結果は何だった? 苦い思い。レムリアは滅び、俺は一人で取り残されてしまった。再生はなかった。そんなものは嘘っぱちだった。プリンセスとの戦いもそうだった。信仰と矛盾する相手を攻撃する事に躊躇いはなかった。最初は。だが、レムリアが滅び、信仰に裏切られ、俺には、何も残らなかった。アーリマンは「約束の地」へ民を誘う神などではなかった。迷い。自分のしていることに対する疑問。自分自身への疑問。「俺は何者だ?」……

 宇宙は善悪で作られてはいない。いや、善悪などという価値観を超越した法則で動いている。わかりきったことだ。だがそれでも、俺にはその物差しが必要だった。自分が縋れるものが欲しかった。アーリマンには、失望した。すると、選択肢はもう一つしか残っていなかった。プリンセスのもとへ行くこと。《闇》の使徒から《光》の使徒へ自らを変える事……その時だったな、確か。

「う……うん……」

 可憐の唇からうめき声がもれた。REMは、急速に現実に引き戻された。

「可憐ちゃん?」

 返事はない。だが、微かに身体をよじらせている。

「可憐ちゃん?」

 もう一度、REMは語りかけた。すると、それに答えるかのように、可憐の目がぱち
りと開いた。



 八十八学園の校舎は、全壊で、授業が続けるなど、とんでもないことであった。対応については、後日連絡を入れる事として、教師たちは生徒を帰宅させた。龍之介は、唯や友美、いずみの姿を求めて学校中を探しまわったが、無駄だった。3人が立ち寄りそうな所、唯が行きそうな所、全て回ったが、どこにも姿はなかった。龍之介は、悄然として、自宅の玄関に入った。唯は帰ってなかった。

「どこ行っちまったんだ……」

 リビングのソファに腰を下ろし、ひとりごちた。まだ『憩』の営業時間中なので、美佐子は、店の方にいるのだろう。家の中はひっそりと静まり返っていた。しばらくそのまま、ぼうっとしていた龍之介だったが、ふと、何か手がかりはないかと思い立ち、唯の部屋を調べてみる事にした。

「勘弁しろよ……事態が事態だからな……」

 そこにはいない唯に向かって詫びの言葉を言うと、龍之介は2階へ上がり、自分の部屋と向かいあわせになっている、唯の部屋の前に立った。もう、何年も入った事のない部屋……小さい頃は、ここを開けるのも何てことなかったのにな……いつからだろう。唯の部屋へ行きづらくなり、外で唯と話をするのが気恥ずかしくなったのは……中学に上がった頃かな……それに、俺たちの事を中傷する奴がいたしな……それに対する意地もあったんだと思う。少しずつ唯から離れて行こうと……いや、実際に離れていきつつあったんだ。唯は悲しそうにしてたけどな……それが、こんな形でしっぺ返しを食らうなんて……俺は最近の唯のことを何も知らない。友達くらいは知ってても、その仲の良い友達ごとどっかへ行っちまった。すると後はもうお手上げだ。後悔先に立たずとは、よく言ったもんだ。

 龍之介は、少し呼吸を整えると、唯の部屋のドアノブに手をかけた。さらに一呼吸置いてから、静かにドアを開く。

 きちんと整えられた部屋があった。妙な違和感。ベッドには、きちんとカバーがかけられおり、ペンギンのぬいぐるみが2つ壁に寄せて置いてあった。机の上は片づけられ散らかっているものなど何もない。書棚も整理されており、大掃除をした直後の部屋のような印象があった。女の子らしい部屋ではある。だが、それ以上のものを感じることができなかった。そう、唯の部屋のはずなのに、唯の匂いがしないのだ。

 龍之介は、そっと足をしのばせて部屋の中に入ると、机の上や、書棚を見まわした。手がかりになりそうなものはおろか、余計なものなど何一つない。嫌な胸騒ぎがする。

「変だな?……」

 部屋の真ん中に立って、よくよく周りを見回す。チェックインしたてのホテルのように、綺麗に片づけられた部屋。
 チェックインしたてのホテルのように……
 チェックインしたての……ように!?

「まさか!」

 龍之介の足が震えてくる。まさか! まさか! 唯に限ってそんなことは! 今朝までそんな素振りもなかったじゃないか! でも!……

 呆然として龍之介は部屋を出ると、一目散に階段を駆け降り、喫茶店と行き来できるようになっている勝手口を乱暴に開けた。美佐子がびっくりして、龍之介を見る。

「ちょっと、龍之介君! お客さんがいなかったからいいようなものの、もう少し……」
「美佐子さん!……美佐子さん……唯が……唯が……」

 龍之介の顔は青ざめ、足はがくがくと震えている。

「唯が、唯がどうかしたの? 唯に何かあったの!?」
「唯が……唯がいなくなっちまった! いなくなっちまった!!」
「ど!……どういうこと! 龍之介君! 何かあったの!?」
「唯は……もう帰ってこない……帰ってこない!!」

 龍之介の頬に涙が流れた。



 コズエは、居間に座って、先程の「事件」について、レポートをまとめていた。他の二人はまだ帰っていない。本格的な戦闘が始まった場合に備えて、街のあちらこちらに様々な機械をとりつけて回っているのである。

「で……同日『ソルジャー』との再度の接触の後、レディ・ガーディアンとの接触にも成功。と。ただし、十分なコンタクトをつけることができず、後日……」

 キンコ〜ン。ドアフォンが鳴る。

「ん、もう! こっちは急いでんのに!」

 無視無視。コズエが再び、レポートに記録を開始しようとすると……

 キンコ〜ン。キンコ〜ン!

 もう。さっさと諦めてよ!

 キンコ〜ン! キンコ〜ン!…………キンコンキンコンキンコンキンコンキンコンキンコンキンコンキンコン!!

「もう!」

 仕方なく、コズエは、玄関に立ち、ドアを開いた。ポニーテールに、ラフなスタイルの女性が立っている。

「あなたがコズエちゃん?」
「え? あの?……」
「あら、私の事、聞いてなかった?」
「失礼ですけど、どちら様?……」
「本日付けで、TERA-133 から、こちらへ配転になった、コマンダーよ」
「あなたが!……す、すみません! 気がつかなくて!」
「いいの、いいの。あ、自己紹介がまだだったわね」
「あの私は……」
「知ってるわ。今回のプロジェクト中で、最も若くして抜擢された、可愛いコズエちゃんよね」
「そ、そんな……」
「あ、嫌みのつもりじゃなかったのよ。それだけ期待されてるルーキーってこと。私だって期待してるんだからね」
「はあ……」
「で、私はミサ。こっちじゃ、『田中 美沙』になるわ。本日をもって、対アーリマン殲滅作戦の実施責任者に就任します。よろしくね」

 ミサは、そういって、コズエに手を差し伸べた。





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