The story of a certain boyish girl.

いずみと龍之介の物語♪

Episode on St.B

…A-Part…




  もうすぐだ。腕時計で時間を確かめると、駅の改札に視線を戻した。ふと気がつくと
同じようにそわそわしてる女の子が少し離れたところにいる。栗色の髪の可愛い子だ。

  あの子もかな…………?

  やがて恋人らしい男の子が改札口から走って出てきて、女の子の前に立った。女の子
が何か盛んに怒ってる。あ、びんた張った。それでやっと彼女の気が晴れたようで、二
人は汎用人型決戦兵器に乗り込むと、マンホールの中に潜っていった。

  遅いなぁ…………

  道路の向こうで何か爆発した。見ると、眼鏡をかけてチャイナドレスを着た女の人が
なにやら大阪弁で喚きながら、壊れた蒸気バイクと格闘していた。あの人はいつもああ
だ。急ぐなら飛行船を使えばいいのに。

  わりい、遅くなって。不意に後ろから声をかけられる。遅い! だから謝ってるじゃ
ないか。知らない! ちょっとだけ拗ねてみせる。あいつは困った顔をして、しきりに
手をあわせて私のご機嫌を取ろうとする。しょうがない。ゆ、許してやってもいいけど
その代わりこれを食え。なんだいこれ? いいから、さっさと食えよ! はいはい……な
んだチョコレートじゃないか。悪いか。チョコレートなんかより、お前の方がいいな。
な、何言ってんだよ! ダメか? ……しょ、しょうがないな、全く、ほら。右手を差し
出してやると、あいつは、さもうまそうに食べ始めた。私は、うっとりとそんなあいつ
を見つめて……

「いずみ」

  今度は左手だ。こうしてるのって何だか幸せ…………

「いずみってば!」

  うるさいな。誰だか知らないけど、もうちょっとなんだから。せっかくおいしそうに
私を食べてくれてるんだぞ!…………

「起きんかい!!」
「んが!?」

  ……………………あれ?…………教室? え? 一体どうしたんだ? あ? え?

「なんつう顔してんのよ、あんたは」
「あ?」

  よく見ると、誰か私の前に立ってる。

「あ〜あ…………あんたのその顔見たら、百年の恋も一度で冷めるわね」
「香織?」
「他の誰に見えるのよ」
「汎用人型決戦兵器に乗り込んで人類を守るやたら気の強い女の子」
「…………あんたよくそんなディープなの知ってるわね」

  それには答えず、私は大きく欠伸をして、改めて周りを見回した。人気のない教室。
時計を見ると午後4時30分。そっか、私、香織を待ってて寝ちゃったんだ。

「で、話って何よ」
「は?」
「何なの? これでも忙しいんですからね。用件は手短にね」
「こらこら、香織が待ってろって言ったんじゃないか」

  はて? と言わんばかりに小首を傾げて考え込む振りをする香織。

「そうだったかしら?」
「そうだ!」
「ふっ…………昔のことは忘れたわ」
「をい!」
「じょ、冗談よ、冗談」

  へらへらと笑いながら、正面の席に腰掛ける。何というか、まあ。はぁ。

「さて、話というのは他でもないわ」
「うん」
「取り敢えず現状は安定してるようだけど、またいつ新たな問題が発生するかわからな
  いから、今のうちに適切な処置を講じておく必要があると思って」
「う、うん…………」

  なんだか、おおごとのようだけど…………そんな事件ってあったっけ?

「ただそのためには、正確かつ厳密なレポートが必要なのよ。わかるでしょ?」
「え、その…………」
「もちろん、作戦遂行に当たっては、優秀なスタッフが必要なんだけど、これはもう検
  証済みだから、心配しなくていいわ」
「はあ…………」

  一体、何の話をしてるんだ?…………私、まだ寝ぼけてるのか?

「後はそうねぇ……当事者の協力なんだけど、これはまあ言わずもがなね。そう思うで
  しょ?」
「え、いや、いきなり言われても……」
「思うでしょ!?」
「は、はい…………」
「よろしい。ま、作戦立案に関しては、実績のあるこの私に任せてもらうとして」
「はあ、実績ねえ……」

  はっ…………香織がジト目で睨んでいる…………

「何か言いたいことでも?」
「い、いえ、何でもありません…………」

  なんか……3学期になってから立場が弱い……しくしく……

「まずは当事者の意向よね。これなくしては、何も始まらないから」

  おずおずと頷いて見せる。が、何だか…………嫌な予感。

「で、どうすんの、あんた?」

  あぁあぁぁあ! やっぱ私のことかぁ!…………でも、何のことだ?

「何、ぼけぼけっとしてんのよ。あんたのことよ、あんたの!」
「だ、だから、一体何のことなんだよ」
「決まってるじゃない! この時期、女の子が話題にすべきことと言えばただ一つ!」

  うわ!…………いきなし、肩をつかまなくても…………

「バレンタインしかありえないでしょう!」

  そ、それは香織だけだぁ〜〜〜!!

「さあ、吐くのよ! 一体どうしようっての!? さあ! さあさあさあさあ!」
「をい」
「え?」
「遊んでるだろ」

  思いっきりジト目で睨んでやる。

「あは…………あはははは。そ、そんなこと、ないわよ、ウフ☆」
「ウフ☆じゃないよ、ウフ☆じゃ」
「まあまあ。で、どうするの? 今更できあいってことはないだろうから、手作りする
  んでしょうけど、それにしても、色々オプションとかあるでしょうし」

  こ、この女は!……………………もぉぉ…………

「どうすんのって………私、そんなガラじゃないし…………」
「何言ってんの! 去年まではともかく、今年は龍之介君っていう、りぃっぱな彼氏が
  いるんですからね! なしっていう訳にはいかないわよ」
「いや、でも…………」

  そりゃ、言われるまでもなく、今年はあげたいなぁとか、思ってたけど……けどね、
けどね! いまさらどんな顔して龍之介にチョコなんぞ渡せっていうんだ!?

「ふっ……………………」

  お、おい。何なんだ、その意味ありげなため息は。

「可哀想な龍之介君」
「え゜…………」
「いずみのわがままに我慢してつきあってあげたのに、教会であんなことまでしてあげ
  たのに、一生懸命おこずかいを貯めて、指輪までプレゼントしたのに、それなのに、
  それなのにぃぃぃぃぃ!」
「あ、あの………………」
「ガラじゃない…………ただその一言で、たったそれだけで! 夢にまで見た恋人から
  のちょこれいとぉを諦めなくてはならないのね…………なんて可哀想…………」
「もしもし?」
「はぁ〜〜〜…………」
「香織?」
「何よ?」
「いや、だからな……その……」
「なんなのよ!?」
「あの、その…………」
「あげたくないのっ!?」
「え、それは……」
「どっちなの! はっきりしなさい!! お母さんはそんな優柔不断な娘に育てた覚えは
  ありませんよ!!」
「誰もあんたに育ててもらった覚えはないけど」
「それはともかくさぁ」

  ずり!…………

「椅子に座ってずっこけるなんて器用な子ねぇ……ま、それはともかくとして、あげる
  んでしょ?」
「あたた…………だからな、いまさら私がそんなことしてみろ。熱でもあるのかって言
  われるのが関の山だろ?」
「ふぅ〜〜〜〜」
「おい」
「いずみ」
「な、なんだよ」
「あんたが照れくさいのはよくわかるわ」

  い、いや、そんな真面目な顔して指摘されても…………否定はしないけど……

「でもね、恋ってそういうんじゃないと思うの」

  …………は?

「確かに今までは喧嘩ばかりしてたけど…………でもわかって!本当は、私を見て欲し
  かっただけなの!」
「香織?」
「ううん!……わかってる…………柄じゃないって…………でも……でも!」
「あの……?」
「私だって女の子なんだよ!……一生懸命…………作ったんだ…………」

  な…………なかなかの熱演だけど……それは誰のつもりかなぁぁぁ?

「受け取って…………くれるの?…………ホント?…………ううん……嬉しい……」
「をひっ」
「ああ! 龍之介! いずみ!……ひしっ!!」
「やかまひぃ!」
「…………ということを本当は期待してるくせに」
「う…………」

  ……………………よ、余計なお世話だ…………だってさ……だってさ…………

「龍之介君って、もてるよのねぇ〜」
「な、なんなんだよ、いきなり?」
「みのりちゃん、3学期になってから、ずいぶん変わったわよね〜」

  どきっ…………

「……………………」
「1年の都築っていう子も熱心だしねぇ〜」

  どきん…………!

「な…………何が……?」
「龍之介君のこと、一生懸命聞き回ってるってテニス部の友達が言ってたな〜」
「…………だから……何なんだよ」
「何ってったっけ? 市民病院に入院してたって女の子? よくお見舞いに行ってたって
  噂だけどなぁ」

  ……………………う、うるさい…………

「そういえば、前、ラジオで言ってたけど、可憐ちゃんの気になる男の子って、確か、
  『R』のつく子なのよねぇ」
「……………………ぐすっ」
「彼女になったからって安心できないところが、龍之介君なのよね〜」
「う、うるさい…………ぐすっ」
「冬至温泉から訪ねてきた女の子ってのも…………ちょっと……やだ、何泣いてるの
  よ?」
「な、泣いてなんか、いないやい!…………ぐすっ」
「もぉ〜、ほんっと素直じゃないんだから」
「ふん…………ぐすっ……」
「泣くほど妬けるんなら、素直にあげたら?」
「何を?…………ぐすっ」
「手作りのチョコレートに決まってるでしょ。あんた、人の話聞いてる?」
「手作りったって、そんなの作ったことないし……」
「男の子ってねえ、どーゆーわけか『手作り』に弱いのよねぇ」
「りゅ、龍之介もかな?…………ぐしゅ」
「そりゃそうでしょ。あぁ! 俺のためにわざわざ自分で作ってくれるなんて! ウルウ
  ル……いずみ……龍之介……龍之介の熱い吐息に目を閉じたいずみは、やがて……」
「漫画の読み過ぎだ……ぐしゅっ」
「何言ってんの。こないだ部室でまんまやってたことじゃない」
「あ、あれは!…………」

  お、思い出しちゃった…………

「いいなぁ……キスしてもらえる相手がいて」
「…………」
「真っ赤な顔しちゃって。んふふ、何考えてるのよ?」
「べ、べべべ、別に何も考えてない!」
「熱い抱擁を交わす二人」
「はぁ?」
「窓の外には木枯らしが吹いている。だがそれも、夢中になって口づけを交わす二人に
  は、愛の讃歌にしか聞こえない」
「か、香織?」
「そしていずみは、頬を染め、恥じらいながらぽつりと呟く……龍之介、バ、バレンタ
  インのプレゼントがもう一つあるんだけど……なんだい?……優しく問う龍之介……
  うん……プレゼントは……私……恥ずかしさで顔を真っ赤にするいずみ。龍之介はそ
  れを聞いて、何も言わずいずみをベッドに誘った」
「こらこらこら」
「そして、まだ男を知らぬふくらみに龍之介の指がふれる……あ……私……初めてなん
  だ……恥ずかしさで顔をそむけるいずみが震える声で龍之介に訴える……わかった…
  だが、愛おしい女を前にして龍之介は冷静ではいられない。ついついいずみに触れる
  指にも力が入る……痛いよ、龍之介……切なげにいずみは訴えるが、しかし同時に初
  めての感覚に体をさらわれ、その手を払いのけることができない……」
「おい、こら」
「やがて荒々しくいずみの服をはぎとった龍之介は、もどかしさもあって乱暴にいずみ
  の双丘を愛撫する……痛い……乱暴にしないで……だがいずみの願いは既に龍之介の
  耳に届かない……やがて龍之介の指がいずみの一番……」

  げしっ!

「いたぁい! 何するのよ、いずみ!」
「今のは何だ?」
「今のって?」
「ベッドに誘うだとか、初めての感覚だとか!」
「いずみ・龍之介、愛のバレンタイン。すと〜り〜ばい渚 香織。てへっ」
「勝手に作るなぁ!」
「あらぁ、だってさ、龍之介君って何か手慣れてるようで、意外に焦りそうな感じだ
  し」
「誰もそんなこと言ってない! それに龍之介はもっと優しかった!」
「ふうん……って、え?…………」
「第一、なんでバレンタインの話がそうなるんだ?」
「…………」
「プレゼントは私? ったく今時そーゆーシチュエーションの方が恥ずかしいぞ…………
  ってなんだよ? 何固まってるんだ?」
「…………今、何て言った?」
「は? 今時そーゆー…………」
「その前」
「バレンタインの話が……」
「その前!」
「その前って?………」
「もっと優しかった……ですって?」
「ああ、そのこと…………?」
「もっと優し『い』じゃなくて、優しかっ『た』?」
「…………?」
「どうして『過去形』なのかな?」
「……………………」

   し……………………しまったぁぁぁぁぁぁ!!!

「お、お母さん…………ショックだわ」
「あ、あの、その、えと、いや、だから、その、あの…………」
「い、いずみちゃんが……知らない間に、龍之介君とそーゆー関係になってたなんて」
「だからそれは私が龍之介をあわわそうじゃなくて龍之介と旅行がだわわわわ!」
「ほぉー、へぇー、ふぅーん」
「そうだ! た、単なる言い間違い! なはは! 私ってそそっかしいから! な!?」
「今さらそーゆーいいわけが通じると思う?」
「…………え〜〜〜ん! 忘れてくれぇ〜〜〜!」
「んふふふふふ」

  か、香織の目が妖しいよぉ〜〜〜。

「そーゆー深い仲なら、バレンタインも手作り以外は考えられないわね」
「かおりぃ〜〜〜」
「だぁいじょうぶよ。あんた、結構料理上手だし。簡単じゃない。こりゃ、龍之介君も
  相当期待してるわね」
「ひえ〜〜ん」
「あんたがイヤなら、私があげてもいいけどぉ?」

  な、なんだとぉぉぉぉっ!?

「それは駄目!!!」
「おお、こわ…………ちょっとした冗談じゃないの…………素直じゃないくせに嫉妬深
  いんだから…………ぶつぶつ」
「何か言ったか?」
「じゃ、あげるのね?」
「だから何でそーなるぅぅぅぅ!」
「素直にあげるって言わなきゃばらすわよ」
「や、やめてくれぇぇぇぇぇ!」
「じゃ、あげることにする……と」
「でもな、あと10日もないのに」
「いいじゃない。短大の入試も終わったんだし。どうせ暇でしょ?」
「それとこれとは問題が違うぅぅぅ」
「さて、当面の懸案事項も片づいたことだし」
「話を聞けぇぇぇぇ!」
「じゃ、その辺の経緯をじっっっっっっくりと聞かせて頂きますか」

  うっ…………そう言った香織の瞳が、好奇心一杯に煌めいた。

  …………私が何をしたって言うんだぁぁぁ!!!


「ええと…………『手作り洋菓子100選』と…………あったあった」

  結局、香織には、龍之介とのことを洗いざらい話してしまう羽目になってしまった。
うくく……私の馬鹿……

「チョコチョコ……と……」

  お菓子関係は全然駄目なんだって言ったのに……なんで手作りチョコを龍之介にあげ
ることを香織に約束しなきゃいけないんだ……料理本見れば簡単よぉって言ってくれた
けど、こんな時期にこんな本買ってたら、あからさまに誤解されるだろぉ!……って誤
解じゃないか。

「ええと……これかな?……なになに……『材料のチョコレートは、市販のもので充分
  です』……ふうん……『……次にチョコレートを湯煎にかけて溶かします』……」

  なんだ、簡単じゃないか。市販の板チョコを溶かして固めただけの安直なのは駄目
よ!とか香織は言ってたけど、この程度でいいなら、楽勝、楽勝♪

「あ、やっぱり、いずみちゃん!」

  え? ゆ、唯?!

「どうしたの? お菓子の本なんか読んで」
「あ、あばばばば」

  あわわ、狼狽えて隠してしまった…………ひぃ〜ん、きっとばればれだぁ。

「いずみちゃんがそんなに慌ててるってことは……ははぁ〜ん」

  う、唯の目が光った…………やっぱしばれてる。

「あ、ゆ、唯はさ、どうしたんだ? 今さら料理の本でもないだろ?」
「唯? 唯はね、看護学校から入学までの読んどくように言われた本を買いに来たんだ
  けど」
「そ、そんなのがあるのかぁ。大変だなぁ。あはははは」
「うふふふふ。いずみちゃんってわかりやすいね」
「あはは……な、何が?」
「お兄ちゃんに手作りのチョコかなんかあげるんでしょ?」

  わ、わかってんなら聞かんでくれ〜。

「あのね、せっかくいずみちゃんがやる気になってるのに悪いんだけど…………」
「え? あ? な、なんだ?」
「お兄ちゃんね、チョコだめなんだ」
「へ?」

  駄目って? そういや、あいつがそんなの食ってるとこ見たことないけど。

「昔ね、唯がお菓子作りに凝ってたことがあってね」
「うん」
「毎日何か作っては、お兄ちゃんに試食してもらってたんだ」
「うん」
「で、特に凝ってたのが、チョコ使ったやつで…………でね、唯ってやりだしたら、
  止まらないでしょ? 毎日毎日試食してもらってたんだけど」
「う、うん」
「お兄ちゃんが鼻血出して、お腹壊すまで試食させちゃって」
「…………」
「それからお兄ちゃん、チョコ食べなくなっちゃったんだ」
「そ、そうかぁ」

  龍之介のやつ、チョコ苦手かぁ。ってことは、わざわざ手作りなんかしてあげなくて
もいいってことじゃないか。えへへ、らっき☆

「あ、で、でも大丈夫だよ」
「え? 何が?」
「いずみちゃんがくれるって言うなら絶対無理してでも食べると思うから」
「い、いや、無理して食べてもらわなくても……」
「そうだ! ケーキかなんかで、あまり甘くないようにしたらきっと大丈夫だよ!」

  け、けぇき?

「チョコをかけたりするのは駄目として…………何がいいかなぁ………」

  けぇきって、あのけぇき? む、無理だ…………絶対無理だ…………

「そうだ! アップサイドダウンケーキがいいよ!」
「あ、あの、唯?」
「うん! それそれ! お兄ちゃんも喜ぶと思うし!」
「あの、知ってると思うけど、私、お菓子作りは苦手で…………」
「ええと、確かいずみちゃんが持ってる本にも作り方が載ってたはずだけど…………
  ちょっと貸してね」

  お〜い。聞いてるか?

「ほら、やっぱり載ってた!」

  と言って唯が開けてみせたページには…………

「う、うまそうだな」
「でしょ!? 絶対お兄ちゃん気に入るよ」

  そりゃ、気に入るだろうし、作ってあげたいけど…………果物がいっぱい入ってて
うまそうだけど…………なんなんだ、このややこしい作り方?

「これならあんまり時間もかからないし、簡単だし。ね、これにしない?」

  これにしない?って言われても…………うう、唯がにこにこしてる…………こ、これ
で簡単なのか?…………だとしたら、私には一生お菓子なんか作れそうにない…………

「どしたの? いずみちゃん?」
「ふぇ? あ、なんでもないよ。なんでも。あはは」
「じゃ、決まりだね。うふふ。お兄ちゃん、どんな顔して受け取るのかなぁ」

  そ、その前に私がどんな顔してるか見てくれ…………

「そぉだ。そう言えば、今使ってるマフラーが色落ちしてきてて、そろそろ新しいのが
  欲しいって言ってたんだ」

  ま、待ってくれ。

「どうするいずみちゃん? って聞くまでもないよね。うふ☆」

  ゆいぃ〜〜。私、編み物駄目だって知ってるだろぉ〜〜〜。なのになぜ、にこにこ笑
いながら、決めつけるぅ〜〜………しくしく……

「ケーキとマフラーか。うふふふ。いいなぁ…………あ、そだ!」

  あわわ。も、もう何も思い出さなくていいって!

「わ、私、そろそろ行かなきゃ!」
「え? そなの?」
「ご、ごめん。ちょっと用事があってさ……あはは……じゃ、じゃな!」
「あ、いずみちゃん!」
「な、何?」
「本、忘れてるよ」
「え、あ? ほ、本?」
「この本、買うんでしょ?」
「いや、あの、ちょっと見てただけだし……」
「買って、お兄ちゃんにケーキ作るんだよね」
「う…………」

  な、なんか今日の唯の笑顔には迫力がある…………負けてしまいそう……

「マフラーはね、今、ATARUにいい毛糸があるんだ。ちょっと待ってね」

  言うなりポシェットからメモ帳を取り出して、なにやら書き込んで私に差し出した。

「はい、これ。頑張ってね、いずみちゃん」

  お願ひ…………そんな風ににこにこ見ないで……

「あのな、だから私、お菓子とか編み物とか……」
「頑張ってね☆」

  うう…………負けた……

「あ、ありがとう、唯」
「ううん。何かあったら、いつでも聞いてね」
「あ、ああ」
「お兄ちゃん、きっと大喜びだね」

  …………完敗……

「あ、でも、編み物は唯より友美ちゃんに相談した方がいいかな」

  ま、待て待て待てぃ!

「い、いいよ、いいよ! そんな迷惑かけるわけにいかないし」
「でも、お兄ちゃんが好きそうな凝った柄なんか、編み込むの、結構面倒だと思うよ。
  友美ちゃん、編み物上手だから、頼りになると思うけど」

  …………心の中をひゅるひゅると木枯らしが吹き通っていった。

「柄?」
「うん」

  こ、この上、柄物を…………編めと?…………あの…………

「で、で、で、でも、友美も受験で忙しいし、この際、私でもできるシンプル……」
「そうだ! みのりちゃん!」
「ほへ?」
「みのりちゃんにお願いしよ! みのりちゃんって、案外センスいいし、きっと相談に
  のってくれるよ」
「だ、だからな……」
「うふふふふ。いずみちゃん、直接頼むのが恥ずかしいんでしょ? 大丈夫! 唯がみの
  りちゃんに言っといてあげるから!」
「いや、そんなにあちこちに言われても…………」
「大丈夫だよ! お兄ちゃんにはばれないように、ちゃんと口止めしとくし」
「いや、そうじゃなくて……」

  だから、編み物は苦手なんだって…………だ、誰か助けて…………

「じゃ、頑張ってね!」
「あ、あのな、唯」
「さて、そうと決まれば、善は急げだよね」

  いや、そーゆー恐ろしいことをニコニコ笑顔で言われても…………

「家に帰ってみんなに電話しなくちゃ!」

  そのみんなってのは誰なんだよぉ、唯ぃ。

「じゃね、いずみちゃん!」
「あ、唯!」

  あ……あ…………あ…………パタパタ走って店を出ていってしまった…………

  ケーキとマフラー? 私が? どっちも初めてなのに…………すっごく苦手なのに……
どーしてそーゆー話になるんだ? あうあう…………

「私が何をしたって言うんだ〜〜〜〜!!」

  言ったとおり、唯はあちこちに連絡したんだろう。その日の夜、早速友美から電話が
あった。毛糸の太さにあわせて、編み棒は使い分けなくちゃいけないというところから
始まって、あれこれ初歩的なことをレクチャーしてくれた。いや、それはありがたいん
だけど……参考になる本も教えてもらったんだけど……やっぱできそうにないよぉ。う
う……正直にできないって言わなくては…………

『ごめんね、いずみちゃん。本当は電話なんかじゃなくて、ちゃんとついててあげたい
  んだけど』
「い、いいって。友美はまだこれから入試だろ」
『それはそうだけど…………でも、こういうのって、電話で話をしただけだと、なかな
  かわからないし……』

  いや、だから、編むって決めつけないでくれよぉ…………

「何言ってるんだよ。電話してもらっただけでもありがたいのに」
『…………いずみちゃん』
「なに?」
『なんか…………遠慮してない?』

  …………違う! 断じて違う!…………ただ、編み物は苦手で……だから……

「な、何を? 今さら友美に遠慮なんかしないって」
『そう?……………………あのね、いずみちゃん』
「う、うん」
『私、本当にもう龍之介君のことは気にしてないから』
「う、うん…………」

  それは…………

『だから、変な風に気を遣ったりしないでよ』
「そ、そんなことないって」
『本当に?』
「本当!」

  だから、そう、当面の問題は編み物であって…………

『そうよね……ごめん、変なこと言って』
「気にするなよ。それより来週、本番だろ? 私は大丈夫だからさ」
『私だって大丈夫よ』
「そりゃそうだと思うけど、大事はとらなきゃ。何てったって、やり直しはきかないん
  だからな。そだろ?」
『え、ええ』
「私なら大丈夫だって」
『……そうよね。いざとなったらいずみちゃんって凄いし』
「そうそう。まかしとけって」
『うふふ。じゃあ、頑張ってね』
「ああ!」

  …………って…………え?

『来週の入試が終わったら、国立の試験まで間があるから、何か手伝うわね』
「う、うん。た、頼むね……」

  これって…………墓穴を掘ったってやつ?……

『じゃ、あんまり無理しないでね』
「うん……じゃ、な」

  ……………………しばし茫然…………

  ああああああ! 馬鹿! 私の馬鹿! もう後に引けなくなってきたじゃないか!

「お…………お星様の馬鹿野郎〜〜〜!!」




《 B-Partへ続く 》
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